世相を斬る!の最近のブログ記事

いろいろ検討はされているようだけれども、今回の総選挙もいわゆる「ネ
ットでの選挙活動」は原則として禁止されたままおこなわれることになり
そうだ。
もともと選挙期間以外に投票の依頼などをおこなうことはいっさい禁止さ
れているのだが、選挙期間中も頒布するハガキ、ビラ、ポスターなどの数
がこと細かく制限されている。ネットによる選挙活動(以下ネット選挙)
は明文で禁止されているわけではなく、条文の解釈上そう読み取れるとい
うだけである。
思うに、この制度は「物理的に平等な選挙運動」を保障するものだと思う。
これは立候補者の経済的な格差を得票に反映させないためのひとつの方法
だと思う。それは経済力のある者ほど物理的に多くの『文書図画』をばら
まけるというのでは公平な選挙ではないという考えに裏づけられているの
だと思う。
つまりむかしからあるハガキ、ビラ、ポスターという"物理的な文書図画"
とは異なる"理論的(?)な文書図画"にもこの規制をあてはめることに
は無理がある。
だとすれば、ネット選挙を禁止する正当な理由はこの理念だけではでてこ
ないのではないのか?
考えられる理由としてはいわれのない誹謗中傷が横行する可能性などがあ
げられているが、そういった情報はいまでもいわゆるアンダーグラウンド
なサイト上で流通している。候補者の公式サイトが発する情報のみが候補
者の公式な情報であるとすればそれで足りるのではないだろうか?
サイト制作はお金をかければそれなりのものはできる。しかし、肝心の候
補者に優れた資質がなければそのサイトはただのお飾りに終わる。

社会的制裁

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よく有名人が被告の裁判で、被告が受けた『社会的制裁』が量刑に大きく
影響を及ぼすことがある。
しかし『社会的制裁』とは文字通り『社会的』な意味での制裁であり、本来
『法的』な意味を持たないはずである。
しかし司法の場ではしばしばこの社会的制裁があたかも法的な意味を持
つがごとく量刑を決定するうえで大きな意味を持っているのが現状である。
確かにこと有名人、とくに芸能人などは事件によるイメージダウンにより仕
事を失ったりさまざまな損失を被ることになり、それはむしろ『法的制裁』よ
りも事実上の損失が大きいことがしばしばである。
しかし、この社会的制裁の量刑に与える規準とは存在するのであろうか?
社会的制裁は被告の社会的身分などさまざまな要素が絡むため、一概に
客観的基準によりその大小を判断できる性質のものではない。したがって
その判断は裁判官の裁量によりほぼ決まるといってよい。

裁判員制度の適用されるような事件でこの社会的制裁についての扱いが
はたしてどのようになるか注目されるところであろう。

18世紀、フランスのモンテスキューは国家権力を立法、行政、司法に分割し、
それぞれが均等な権限を持ち、互いに牽制しあうことにより国家の法的安定
性が生まれると説いた。
しかし現代社会においてはそれに加えて報道機関を『第四の権力』と呼ぶこ
とがある。
この場合報道機関が"国家権力の監視役"を担うことによって意義のあるもの
になると仮定されている。
しかし実態はどうか? 報道機関が国家権力の監視役を担うことに値するほ
ど健全な組織だろうか?
また、事実上これらの『四権』は「国家権力(三権)対報道機関」という図式で
存在している。もっと言えば、報道機関にとって論議の対象が立法であろうと
行政であろうとあまり関係のないことであって、対象が国家権力に向けられて
いる、それだけで彼らは意義あるものと勘違いする傾向にあるようにわたしに
は思える。

そこでわたしは『現代社会における三権分立』というモデルをイメージしてみた。
それは国家権力、報道機関(マス・メディア)、一般市民による相互抑制のモデ
ルである。
インターネットなどの情報伝達の手段が飛躍的に発達した現代社会において、
一般市民の発する情報はどんどん"政治的影響力"を拡大しつつあるように思
える。
例えば02年の韓国の大統領選挙にネットの与えた影響は、もはや政治的に
無視できないものになっていたと思われる。その傾向は今後さらに強まるであ
ろう。
一般市民の発する情報はなにもネットだけに限られるものではないが、この『三
権』の政治力を考えた場合、かなりお互いの監視役として均等な関係になりつ
つあるように思う。
ただ、こういう意見をわたしはほかに聞いたことがない。ひょっとしたらわたしが
あさって方向に突っ走ってしまった意見かもしれない。

ひとつだけ言えることは、報道機関には言論の自由があるので、国家はむやみ
にその活動をおさえることができない。
報道機関の暴走をおさえるためには、一般市民の力がますます不可欠であると
思う。

栃木県足利市でおきた幼女殺害事件の犯人として服役していた受刑者が
釈放された。
正式には再審で最終的に彼の無罪が確定することになるだろう。

この事件における警察、検察、裁判所の不手際(とあえて言わせてもらう)
による損失は極めて大きい。無期懲役の有罪判決を受け、服役していた元
受刑者の"個人的な損失"はもちろん、彼を犯人と決め付けてしまったため、
真犯人を突き止めることなく時効をむかえてしまったという"社会的な損失"
も大きい。

ただ、救いだったのは彼の刑が無期懲役であったことだ。
なぜなら足利事件と同じくDNA鑑定の信用性に疑問がありながら、死刑判
決が確定し、2年後に刑が執行された事件があったからである。

それは92年に福岡県飯塚市で女児2人が殺害された、いわゆる『飯塚事
件』である。
この事件では被告人の自白さえ得られておらず、被害者に付着していた犯
人と思われる血痕が被告人のDNAと一致したという検察側が提出した検
査結果が決定的な証拠とされた。
しかし、逮捕前に検察が第三者機関に依頼した鑑定では一致しないという
結果が出ていた。

「疑わしきは罰せず」、いわずもがな刑事裁判の鉄則である。
しかし死刑囚となったその男はもうこの世にいない。

韓国のノ・ムヒョン(盧武鉉)前大統領が亡くなった。
一国の国家元首としての評価はさまざまであると思うが、貧しい農家に生
まれ、高卒後独学で司法試験に合格した努力のひとである。国家元首が
続けざまに二世議員に落ち着く国と比べれば、このような経歴のひとが大
統領にまで登りつめることができたということ(韓国は日本以上に学歴社会
といわれている)、インターネットが大統領選挙の結果に大きな影響を与え
たことを考えると、その意味では"政治の民主化"は日本より進んでいるの
かもしれない。

しかし相次いで退任後の歴代大統領経験者とその周辺で検察による不正
追及がおこなわれてきたのは非常に政治的なものを感じる。韓国は88年
まで事実上軍事政権下にあった。民政化されたといってもその最初の大統
領ノ・テウ(盧泰愚)氏は元軍人であった。民政の歴史はまだ20年ほどしか
ないのである。それだけに大統領の権力はいまだ強大で、利権に絡んだ金
銭の動きも大きかったのだろう。
そして政権が交代すると新任大統領は自己の正当性を強調するためにも
前大統領の金銭スキャンダルを検察を使って追及してきた。そう解釈され
ても無理もないのではないだろうか。

ノ・ムヒョン氏とその家族らに不正献金されたとされる額はこれまでの歴代
大統領経験者の疑惑と比べてけたちがいに少ないという。また、「家の近く
にとても小さな碑石を一つ建てて、残してくれ。」と遺書で述べられているに
もかかわらず、氏の葬儀に国費を投ずるというのも現政権の政治的意図を
感じる。

氏の日本やアメリカに対する言動には、ときに急進的とさえ受け取られかね
ないものもあったが、就任当初から最後まで政治的基本軸はブレることはな
かった。
いかにも『人権派弁護士』出身の政治家らしい姿であった。

ご冥福をお祈りします。
명복을 기원합니다.

スリランカの少数民族タミル人武装組織・『タミル・イーラム開放のトラ(LTTE)』
の最高指導者ヴェルピライ・プラブハカランが側近らとともに政府軍により射殺
された。
これにより何十年と続いたスリランカの内戦も収束をむかえると思われる。

最高指導者を殺害することは歴史的にも敵の戦闘への士気を削ぐ有効な手段
のひとつである。
国際的には決して望ましい解決方法ではなかったであろうが、おそらく内戦を終
結させるために考えられる、もっとも有効で現実的な方法であっただろう。

しかしこれですべてが終わったわけではない。この内戦のはじまりはタミル人に
対する不当な差別により蓄積した同民族の政府に対する不満が原因である。
カンボジアなどで行ったように国際組織による和平プロセスをスリランカにも導
入すべきであろう。

日本にも少数民族は存在する。そういうひとたちが武装蜂起した場合、日本政府
は適切に対応できるのだろうか? 幸い彼らは温厚でいままでそういった動きを
見せることはなかった。だからそんなことは想定しなくてもいいことなのだろうか?

少数民族の独立運動は世界中で起こっている。決して対岸の火事では済まされ
ない。憲法第9条は国家間の問題を扱っているが、いわゆる『内戦』について現行
憲法は想定していない。刑法上『内乱罪』というのはあるが、民族間の対立という
事態を想定したものではない。
日本はあらゆる面で緊急事態に対する"免疫"が不足しているのである。

スリランカに日本国憲法とおなじものが制定されていればこんなことにならなかっ
ただろうか? 当然そんなことはないだろう。現行憲法に空想的平和主義者が抱い
ているほど平和的抑止力などない。かえって緊急事態への適切な対処の妨げに
なるだけだ。

われわれはもっと世界の現実を見なくてはいけないのではないだろうか?

ネット上では以前から広く知られていた藤川優里八戸市議が秋葉原のある
イベントに姿を現した。
ネット上の画像では姿を拝見していたが、テレビ画面で観ても確かに"美し
すぎる"と言われても言い過ぎではないなと思った。

しかし当然マス・メディアには彼女の存在を素直に歓迎しない輩がいる。
【戯言戯画】藤川優里 祝「世界一」...太宰を読みなさい

マス・メディアのにんげんはなにかと文学や新聞(なぜか他のメディアを差
し置いて)を読めと言うが、正直いまの時代ネット上の情報のほうがよっぽ
ど実生活の役に立っている。
文学や新聞は確かに人間の内面を形成する上でたいへん影響力があるが、
べつにそれによって人間的に成長するとは限らない。
かえって厭世的になったりして人格形成にマイナス効果になることは大い
にある。
ましてや太宰なんてまさにそうだ。
ネット上の記事のなかには、そこらへんの並の新聞記者には書けないよう
な秀逸な文章も存在する。新聞社なんてしょせん一民間企業である。スポ
ンサーによる記事内容の制約が存在するから本質をぼかしたり記事その
ものの掲載を避けたりすることなど日常茶飯事である。

朝日新聞はカラ出張問題を適切に処理し解決策を講じたのか?

わたしは忘れたころには何度もこのことを言わせてもらう。

「公務員の給料は高すぎる!」という非難の声が巷ではよく聞かれる。
むかし公務員は給料が安い代わりに身分が安定していると言われた。
しかしそれも日本経済が右肩上がりだった時代の話。景気の悪い昨今では
民間の賃金は低く抑えられ、相対的に公務員の給料は高く感じられるよう
になった。
そもそも公務員の俸給(給与)は『民間のそこそこ大きな企業の給与』の相
場をもとに人事院が政府に勧告した(人事院勧告)俸給額をもとに政府が給
与法改正案を国会に提出し、それが可決されることにより最終的に決定す
る(国家公務員の場合)。
だから国内で大部分を占める中小企業の給与事情は公務員の俸給には反
映しにくい仕組みになっている。

わたしの率直な感想を申し上げると、いまの時代公務員なんて給与が高く
なければやってられないと思う。それでもわたしのように辞めてWebクリエ
イターなどという真逆の職に就く者だっているのだから。

まずわたしの周辺に関しての話として前置きしておくと、公務員はいまどんど
ん人員が削減されている。しかし公務は法令に基づいて発生しているのでそ
れに応じて簡単に減らせるようなものではない。それは真綿で首を絞めるよ
うに職員の勤務状況に影響してくる。
実際わたしがいた部署は2ヶ所ともいきなり人員を1名減らされ、わたしの仕
事は2人分になった。
そんなこんなでヒイヒイ言っているところに国立大学の独立行政法人化の話
が浮上した。わたしが公務員を目指したのは正直安定を求めたからである。
ふだんの職務が厳しいうえにその安定も脅かされようとしていたのである。
わたしは焦っていた。正直やや理性を失っていたふしもあったと思う。辞める
ならまだ若いうちのほうが選択肢がある。そう思って30になる直前に公務員
を辞めた。その後ウェブの勉強をし、Webクリエイターに落ち着いたのはそれ
から約半年後であった。

わたしは公務員の給与は民間より少し高いくらいが妥当だと思う。民間では
上っ面の面接だけで採用を決めてしまうところが多いだろうが、いまは公務員
の面接試験も厳しい(現にわたしも落とされた)。そこへたどり着く前に1次の
筆記試験がある。わたしのころはたしか10倍近い倍率のところもあった。それ
だけ学生時代しっかり勉強しておかなければ公務員にはなれないのである。

そう考えると民間企業を経験したわたしにとっても、公務員の給与は一概には
言えないが、総じてそんなに高いとは思わない。なんのために必要なのかわ
からない仕事も多いし、ちょっとミスをしただけで本省(霞ヶ関)に伺いを立てな
ければならない。どんなに一所懸命働いてもほとんんど給料アップになどつな
がらない。
だから民間との賃金の差額は"我慢料"だと思う。公務員の仕事は巷に思われ
ているほど楽ではない。

ブレる裁判所

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福岡市東区で06年8月に起きた3児死亡飲酒運転追突事故の控訴審
判決が福岡高裁であった。
1審では飲酒の事故への影響を認めず危険運転致死傷罪を適用しな
かった。
しかし控訴審では一転その適用を認め、懲役20年の実刑判決を言い
渡した。

立法の趣旨からすれば、まさにこのようなケースを想定して01年に危険
運転致死傷罪は新設されたのであるから、本来1審でも当然この罪が適
用されるべきはずである。しかしこの犯罪が認められるためには被告が
飲酒により通常の運転が不可能な状態であったことを検察側が立証しな
くてはならない。ところが被告は事故の後逃走し、水を大量に飲むなどあ
る程度の判断力を持っていたため、本来ひき逃げや証拠隠滅としてさら
に厳しく罰せられるべきはずが、かえって正常な運転が困難なほど酔って
はいないという判断が1審ではなされたのであった。
今回控訴審をむかえるにあたって検察側に真新しい証拠はとくになかった。
にもかかわらず裁判所の判断は覆された。これはさきにも言ったようにさら
なる犯罪行為そのものがかえってもとの重大な犯罪の立証を困難にする
という"法的矛盾"が存在することが大きな原因だろう。
このような法的矛盾は本来立法の段階でよく考慮されていなければならな
いのだが。
また"故意犯"とはいっても1審で認定した"過失犯"との量刑の点において、
場合によっては殺人罪よりも重くなる危険運転致死傷罪はあまりにも厳罰
過ぎるのではないかという意見もある。

いずれにしてもこの判決は裁判員制度にも大きな影響を与えることになる
だろう。

昨日開かれた小室哲哉被告の判決公判で裁判長ははじめに被告が有
罪であることのみを述べ、主文を後回しにした。
これは主文を述べた瞬間、報道関係者が一斉にその内容を外へ伝えよ
うとバタバタ音を立てるので、いちばん被告にしっかり聞いてもらいたい
判決理由を騒がしくない状態で聞いてもらうよう考慮したものと思われる。
しかし報道関係者の無神経さはその上を行っていて、結局主文が後回
しにされた旨を伝えに走り回ったようだ。

確かにいままでの裁判では主文をはじめに述べるのが一般的だったが、
判決理由をしっかり聞いてもらうためにもこの方法はいいかもしれない。
主文が最後に述べられることが慣例になれば、無神経な報道関係者も
公判の終わりまでバタつくことはなくなるだろう。

判決については、確かに小室氏には深い反省の色がわたしには感じら
れので、執行猶予付きは妥当ではないかと思う。
ただ、ミュージシャンとして再びよい音楽を創りだすことができるようにな
るかは正直難しいと思うが。

"科学"は日々進歩する。
というか、科学には「後退する」という前提がない。
例えば、マルクスによる資本主義社会から共産主義社会へ移行する過
程についての理論は、ある時期まで一部では"科学的"とされていた。

1990年に栃木県足利市でおきた幼女殺害事件の裁判において、もっ
とも重要な証拠とされたのは当時導入間もなかったDNA鑑定の結果で
あった。
DNA鑑定はこれまでの警察の捜査方法を根底から覆すくらい画期的な
ものであった。画期的であったがためにその方法の斬新さばかりに気を
とられ、結果的に鑑定結果の精度の低さに目が向けられなかった。
"科学的"であるはずが、じつは"非科学的"だったのである。

DNA鑑定の"神話"を信じたのは栃木県警だけではない。検察も裁判官
も、そしてマスメディアもである。

わたしが中学・高校のとき、『科学する野球』という本がはやった。
その理論を端的に言うと、例えば消しゴムをねじるともとに戻ろうという力
が生まれる(『内部応力』と言われていた)。それを野球の動作に応用すべ
きだという話で、投手で言えばバックスイングのときできるだけ捻りを加え
ることによって大きな内部応力が生じ、結果力強いフォワードモーションが
得られるといったようなものである。

その理論をまさに地でいっていたのが高校初期の桑田真澄投手である。
彼は高校2年の夏くらいまではひと一倍大きなひねりを加えた脚の上げ方
をしていた。しかし、彼はこの理論に疑問を抱き、高3のときにはもうすで
に以前とはまったく異なるフォームに変えていた。いわゆる"静かなフォー
ム"への変化である。
このことは彼がプロ以降トレーニングに古武道を取り入れたことでかなり
有名になったが、松坂なども桑田に習ってあまり捻らないフォームに変え
たといわれている。
わたしも当時この本を読みながら、「ホントかなぁ?」と思った記憶がある。
実際やってみればわかるが、最終的にフォワードモーションを速くするため
にこの予備動作はあまり意味がないと思う。せいぜい脚はプレートと平行
なくらいの捻りでいいと思う。

話が大幅にずれたが、"科学"という言葉はいわば魔法なのである。
科学的というだけでなんだか話に説得力が出てしまう恐ろしいものなので
ある。
しかし、ものごとの科学的側面を無視することはできない。いわば程度の
問題で、ここからは科学的、ここまでは非科学的というものではないので
ある。

足利事件裁判では当時のDNA鑑定という"科学"を大多数のにんげんが
信用してしまったため、あってはならないことが起きてしまった。
これはDNA鑑定だけの話ではない。これから裁判員制度がはじまればこ
の手の問題はますます処理しきれない難題として裁判員たちに降りかかっ
てくるだろう。

"科学"はまず疑ってかからねばならないのだ。

熊本県本渡(ほんど)市(現天草市)で02年、同市立小2年の男児(当時8歳)が、男性臨時教員から体罰を受けて心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したとして、市に約350万円の賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(近藤崇晴裁判長)は28日、教員の行為を体罰と認め賠償を命じた1、2審判決を破棄し、原告側の請求を棄却する逆転判決を言い渡した。小法廷は「許される教育的指導の範囲を逸脱するものではなく、体罰に当たらない」と述べた。


この判決の前提として、『体罰』にあたると思われる教員の行為が学校
教育法第11条において明確に禁止されているということがあり、したが
って裁判の焦点も一貫してこの教員の行為が体罰にあたるかどうかに
終始した。
しかし客観的に考えて教員が女子児童を蹴った男子児童を注意をした
ら逆に蹴り返されたのだから教員が教育的指導うんぬんは別にして多
少感情的になったとしても当たり前だと思う。
事件の起きた場所が教育現場という特殊な事情だったことから争点が
別の方向になったわけだが、こんなことは日常生活によく起こりうるいざ
こざにすぎないのではないだろうか。
つまり、体罰であろうがなかろうが教員のおこなったことは暴力であり、
男子児童のおこなったことも暴力であることにちがいない。しかし男子児
童のおこなった行為に対し感情的になった教員がおこなった行為は著し
く暴力的だったとまではいえないと思う。
したがって今回のケースは体罰の判断基準を示す判例とするには適切
ではないと思う。体罰の判断基準を議論しうるケースとは教員が感情的
になっておらず、自らの"教育的判断"のもとにおこなう暴力的(うまい言
葉が見つからない)行為であると思う。

しかし、正直いってこの教員には同情する。逆にこの男児の保護者は裁
判に訴える以前にこの男児に適切な家庭教育をしていたのか疑問を感
じる。裁判の結果うんぬんは別にして、教員を蹴るという極めて非常識な
行為をおこなった男児に対して保護者は適切な戒めをおこなったのだろ
うか。むやみやたらと女子児童や教員を蹴っておいて自分が反撃を受け
るとPTSDに陥るというのはいくら小学生といえどもあまりにひととしてな
にか欠落していると思う。
少なくともこの教員よりもよっぽど。

戦後社会の発展とともに、必ずしも憲法の条文に明記されていない人
権が一般に認められるようになってきている。代表的なものに環境権、
肖像権、プライバシーの権利などがあるが、とりわけ我々がふだんよく
耳にする権利が『知る権利』である。

報道機関はしばしば「国民の知る権利に応えるために」という名目で首
を傾げたくなる報道をすることがある。
学説上『知る権利』とは憲法21条で保障する『表現の自由』から派生す
る権利といわれている。つまりマスメディアを核とする報道機関が国家
に介入されることなく(もちろん制約はあるが)自由に情報を発信するこ
とができることの裏返しとして、国民がその発信された情報の入手を国
家によって阻害されない権利(国などに対して情報の提供を求める権利
『積極的自由』に対し、こちらは『消極的自由』と言われている)である。

しかしさきほども言ったようにマスメディアの報道にはどう考えても国民
の利益になるとは思えないものが多々存在する。「国民の知る権利に
応えるために」という名目でおこなわれる行き過ぎた人権侵害と思われ
る報道はあとを絶たない。その根底にはマスメディアといえど利潤を追
求する一民間企業がほとんどであるという事実がある。彼らも生き残り
をかけて必死なのもわかるが、「こういう情報を伝えるのはあなたたちの
権利に応えるためなのですよ」的な態度には憤りを感じる。

知る権利とは少し離れるが、先日起こした朝日新聞の"カラ出張"による
脱税事件、わたしは報道機関としての資格すら疑われるべき重大な失
態だと考えている。それがほとんどスルーされたままひとびとの記憶か
ら消え去ろうとしている。これこそ大問題だと思う。

「ゆとり教育は、保護者が何を求めているかを霞が関が把握していない
典型例」と彼が言ったのはかなり前のことですが、わたしとは根本的に
教育についての考え方がちがうようです。

彼が新自由主義者もしくは市場原理主義者かどうかはよく知りませんが、
少なくともその傾向はあるように感じます。
わたしは教育制度を"需要と供給の法則"で決めるべきだとは到底考え
られません。
以前わたしは文教政策は社会福祉政策でもあると言いました。生活保護
の制度は主に"経済的弱者"を救うための制度ですが、わたしは"教育的
弱者"も同様に行政で救済すべきだと思っています。
ここでいう教育的弱者とは正規の授業についていけなかったり、そもそも
学校へ行くこともできない児童・生徒などのことをいいます。こういう子ど
もたちを一般の子どもたちの学力レベルになるべく近づけるための努力
を払うことに行政はもっと努力をすべきではないでしょうか?

はっきり言ってそのような方策は全体の学力(あくまでも数値上の)を上げ
るためには効率的ではありません。同知事の掲げる『超エリート校構想』な
どは結局そういった子どもたちに対しなんの意味も持ちません。

わたしが中1のとき、となりにヤンキーの女がいました。その子がなにを思
ったのか数学の質問をわたしにしてきました。いつものやりとりの調子なら、
「そんなもん、先生に聞けよ」と言い放つこともできたでしょう。
しかし、ここでわたしが答えなければ彼女は一生勉強に興味を持たなくな
ってしまうかも知れない、そんな予感がしたのです。
それでわたしは基本的なところからその問いに対して説明しました。そんな
に時間的にはかからなかったと思います。彼女は意外なほどあっさりとわた
しの説明を理解してくれました。ただ、当時から自分でもひとに対する教え
方には自信がありました。だから最初から教育的弱者に対し積極的に目を
向けないような考えには抵抗があります。やり方しだいで彼らの学習意欲を
向上させ、ある程度の学力水準に持っていくことは可能だと思います。行政
はそれをシステムとしていかに機能させることができるか考えるべきではな
いでしょうか?

以前このふたつの団体が起こした事件は似ていると言った。
結果として起こった現象を見ると"社会学的には"確かに似ている。
連合赤軍は同士を"総括"し、オウム真理教は"ポア"した。

しかしやはりちがうと思う。しかも本質的なところが。

連合赤軍の究極の目的は"革命"を起こし、日本のそして世界のひとび
とを幸せにすることだった。その目的のためには命も惜しくないくらいの
覚悟が彼らにはあったと思う。そしてその妨げとなるような行為をおこな
った者への"自己批判の同志的援助"という名目で総括はおこなわれた。
しかしオウム真理教の信者は、やがて訪れる"ハルマゲドン"から自らを
救出するために
入信した。"ポア"とは「意識を高い世界へと移し替える
こと」とされ、それは積極的に死という経験を与えることによって、より高
位の世界へ意識を転生させることができるという解釈からおこなわれた。

しかし結局のところ、連合赤軍は森恒夫と永田洋子、オウム真理教は麻
原彰晃の腹積もりいかんで犠牲者が決まっていったという点では共通し
ている。
だがそれがたとえ絵空事だろうとなかろうと、最終的に目差すことが誰の
ためのことかという点は大きく異なる。

連合赤軍とオウム真理教の起こした一連の事件の本質は、やはりちがう
と思う。

連合赤軍のリーダー格のふたり、森恒夫と永田洋子はあの『あさま山
荘事件』の直前に警察の山狩りに遭い逮捕された。意外なほどあっけ
なく。

森はその翌年の元日、「自らに死刑を下す」という遺書を残し拘置所の
独房で首吊り自殺した。
永田は森の死後も自己の過ちを"自己批判"しつつ獄中で脳腫瘍に侵
され、もがき苦しむ日々を送りながら現在は寝たきり状態だと言われて
いる。
1993年最高裁判所で死刑が確定。再審請求していたが2006年東
京地裁は棄却の決定を下した。

森が選択した首吊り自殺とはじつはいちばん楽な死に方だ。窒息で息
苦しくなる前に血液が脳に行き渡らなくなるため失神するからだ。
"総括"によって死んでいった同士のむごい殺され方からすれば彼の死
に方はとても納得のいくものではないだろう。
一方永田の脳腫瘍からもたらされる激痛はすさまじいものだったという。
まさに"生き地獄"、しかし脳腫瘍はなんの罪のないひとでも侵され苦し
むことのある病気だ。そう考えると罪深き者への因果応報というわけで
もないと思う。

結局のところふたりが総括した同志たちの死は、どんなかたちでも報わ
れないのである。共産主義国家あるいは社会主義国家の現状はとても
かつて理想とされた国家像とは程遠いものである。しかしその観点から
彼らの行為を単なる"愚行"と切り捨て、一連の連合赤軍の起こした事件
を解釈していてはものごとの本質は見えてこない。

本当のところはいまの時代に生きる我々の世代にあの時代は理解する
ことは不可能だと思う。

地上波デジタルテレビ放送への完全移行まで2年半を切ったというの
にデジタルチューナー(デジタル対応テレビを含む)の普及率は49.1
%だという。
そもそもテレビ放送のデジタル化を"お上の押し付け"とぶった斬るメデ
ィアもあるが、おそかれ早かれデジタル化は国際的にも時代の趨勢で
ある。そんなことを言っているメディアこそ頭が"アナログ"だと思う。
しかしわたしが望ましいと考えるテレビ放送のデジタル化は政府が目
指しているものとはちがう。
いまCMでも宣伝しているが、都市部ではすでにNTTの光回線でテレ
ビ放送が観られるようになっている。これは『IPテレビサービス』といっ
て、以前は放送業界の事業を通信業界が乗っ取ってしまいかねないた
めか法律上の規制がかかっていた技術である(現在行われているサー
ビスがその法的な面をクリアしているかはいまだ議論されているようだ)。
NTTの光回線の敷設には電気会社の電柱が使用されているので、従
来の放送用電波を受信することにより視聴するタイプのテレビとちがい、
原理的には電気の通っている家庭にはこの方法でテレビが視聴可能に
なる。山間地など電波の受信環境の悪い地域でも、この方法ならあらゆ
るチャンネルの視聴が可能になる。
そのような問題を抱えた地域は自治体レベルで主にCATVで対応して
いるようだが、こうした自治体の自発的な活動に頼らず、総務省が中心
になって"公的な"IPテレビサービスに力を入れればこういう問題は解決
するはずである。

地デジの完全移行がひと段落したころには、都市部ではほとんどIPテレ
ビに取って代わられているなんてことになっている可能性がある。
総務省の方、もう一度考え直してみてはどうだろうか?

東京マラソンで松村邦洋が倒れ、一時意識不明になったという。
じつは昨日、テレビの企画がらみでタレントにマラソンをさせることが
多いが、制作者は走ることの危険性をきちんと把握しているのだろう
かと話していたところだった。
わたしの高校生時代には『40キロハイク』という学校行事があった。
名前のとおり40キロの距離を歩くというものだが、なかにはこの区間
を走りきってゴールする者もいた。
わたしも3年のとき40キロ走破に挑戦してみた。まだ野球部員として
現役の、練習で毎日7キロくらい走っていたときだ。
しかしだいたい15キロくらい走ったところで脚が痛くなり走れなくなっ
た。若く健康で常日ごろから鍛えているにんげんでさえ持久走は体の
負担の大きい運動なのである。

松村はマラソンは初めてではなく完走したこともあったそうだが、やは
りあの体で長距離を走るのはたいへんな体の負担になる。彼がどの
程度準備をして今回の大会に臨んでいたかはわからないが、その準
備段階から番組制作サイドでも十分健康上の配慮を配っていなけれ
ばこういう事故は起こりかねない。万が一、半ば強制的に参加させた
流れがあったとしたらこれは大問題である。

今回最悪の事態は免れたが、番組の企画でタレントを走らせるのなら、
番組関係者はマラソンは危険の伴うスポーツだということを十分考慮
して番組を企画してほしいものである。

佐渡島で試験放鳥されたトキのメス4羽のうち3羽が本州へ飛来、残
る1羽も単独行動をしていて今春の繁殖は危機に瀕しているという。
いま日本にいるトキはすべて純日本産ではない。生物学的にはまった
く同種の中国産のトキを人工繁殖させたものである。いま佐渡市長が
本州に去っていったメス3羽を捕獲し佐渡へ連れ戻すよう要望してい
るという。

トキ保護の最終的な目標はトキ自身が自然繁殖により自力で個体数
を増加させることができる環境を築くことだろう。トキはもともと日本国
内に広く生存していたが、20世紀初頭絶滅が危惧されるようになった。
にんげんの生態系の広がりと変化により、トキの生息環境が脅かされ
たためとする説が有力である。

いま佐渡で行われていることは、人間社会の影響で変わってしまった
トキの生態系をにんげんの力でもとに戻すべきだという思想的背景が
あるのだと思うが、わざわざ同種の中国産トキを連れてきたり、遠くへ
行ってしまったトキを捕獲して連れ戻そうという話が出ているのを聞く
と、むしろそのほうが"自然の摂理"に反するような気もする。
当然ながら人間社会も地球全体の生態系の一部である。しかしなにが
望ましい生態系なのかを決めるのにはにんげんの価値観が絡んでくる。
しかし捕鯨問題でもわかるようにその価値観は一様ではない。

トキに関する日本の取り組みを批判するつもりはないが、あまり過剰に
"環境保護"の名目で自然の生態系ににんげんの手をかけることは結
果的に望ましい生態系の姿にならなくなるのではないかと思う。

いま、フィリピン人のカルデロンさん一家について、メディアでもさまざま
な意見が飛び交っている。

例えば、今日の毎日新聞朝刊の『余録』では、
「(前略)しかし在留許可を求める市議会の意見書や2万人署名が物
語る通り、十数年間は善良な暮らしを重ねてきた一家である。不法入
国に何の責任もない13歳の少女の「私の母国は日本。家族とも離れ
たくない」との思いを引き裂いては、後世に名裁決と語り伝えられるの
は難しかろう(後略)」
とある。

法律とはときに"道義的に"不条理と思われる結果をもたらすこともあ
る。

民法722条2項の問題もそう。
「(前略)婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子
は、婚姻中に懐胎したものと推定する。」

カルデロン・のり子さんも民法722条2項のために無戸籍状態にある
ひとたちも彼ら自身にはなんの落ち度もない。
しかし裁判所や行政機関は"情"に流されることは許されないのである。
法規にある以上、それに沿った判決をし、行政行為を執行するのは彼
らの責務なのである。

わたしが危惧するのは、これから裁判員制度が開始されるというのに、
マスメディアがあいかわらず"情理"に訴える報道を主体としていて、扱
っているトピックに関する法律論にほとんど踏み込んでいない取材が多
いことである。
いくら2万人の署名が集まったところで、裁判員が担当案件に係わる法
解釈は変わってはいけない。法律を変えるのは立法府(国会)の仕事で
ある。しかし現時点では、裁判員制度がつつがなく実施されるかどうか
危惧を抱く世間の状況である。

マスメディアはもっと『リーガルマインド』の啓蒙活動に力を注ぐべきであ
る。メディアがいまのような"情"に訴える報道ばかりしている限りは、裁
判員制度が開始されたとき、適正な法の執行を行うことができなくなる
可能性がある。

かつてジョン・レノンが「世界で一番かっこいい男」と評したエルネスト
チェ・ゲバラ。日本でも彼の顔がプリントされたTシャツやポスターなど
をよく見かける。最近では彼を題材とした映画も数作公開され、世界
的にも彼のいまだに衰えぬ根強い人気が垣間見える。

さて、このゲバラという人物についてわたしはどう踏まえているか?
ひとことで言えば、"頑固な理想主義者"である。
ゲバラに本当に達観した分析力があったとしたら、自分がいま目指し
ている"革命"の行き着くさきが想像できたはずだ。彼はキューバで成
し得たこと(これはある意味確かに評価に値するできごとだと思う)が
世界で普遍的に可能であると勘違いした。
しかし実際には世界の国・地域には各々の社会的背景があり、とても
ひとつの価値観で覆いつくせるものではなかった。そこが彼の思想が
"理想"の範疇を超えるものでなかったと思う理由である。

また、彼の行動・思想に共感する者の心理をわたしはどう踏まえてい
るかだが、そのようなひとたちの多くは「"法治力"ではなく"政治力"を
求めている」と言えるのではないだろうか。
話をわかりやすくするために端的に言うと、国内のひとびとの行動は
"法(のり)"によって支配されている。しかし、国際関係になると各国の
行動は"政(まつり)"によって支配されている。
国際法という概念はあるが、それは各国間の条約や協定などの寄せ
集めででき上がる"仮の法規範"であり、それは各国のポリティカル・パ
ワー(政治力)によりいくらでもかたちを変える性質のものである。
本来"法"とは一定の改正手続きを経ない限り不変のものである。その
意味で現在の国際法は"真の法規範"たり得ない。
国際社会は各国のポリティカル・パワーのせめぎ合いにより成り立って
いる。例えばアメリカのイラク侵攻が"正しかった"かどうかは、国際的
にはなんとも言えない。国際政治に正しいかどうかという概念は本来
存在しないのである。あるのはポリティカル・パワーのせめぎ合いが残
した結果だけである。

いまの日本には日本国憲法という強大なロー・パワー(法治力)を持っ
た基本法が存在する。そしてその枠内でいまのところ政治は行われて
いる。憲法改正の論議も、ほとんどがその憲法内に定められた手続き
に則った範囲で行われ、その意味で法規範は十分に尊重されている。

ただ単にゲバラはカッコいいと思ったからそのTシャツを着ているのかも
しれない。ポスターを飾っているのかもしれない。でも、彼の支持者のな
かには亀井静香氏のような人物もいる。ひとことでポリティカル・パワー
と言ってもその定義は難しい。端的に言うとひとや国に影響力を与える
力と言おうか。ゲバラには40年の月日を越えてひとびとを引き付けるそ
の力があるのだろう。

オフレコ取材

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漆間巌官房副長官がいわゆる『オフレコ取材』で、「特捜の捜査が自
民党に及ぶことはない」と述べたことを重く見た河村官房長官は、当
初オフレコ報道として慣例として使われていた『政府高官』にあたる
人物が漆間氏であることを明らかにした。河村氏曰く「漆間氏は元警
察庁長官であり、官房副長官という職にある者の発言として不適切」
という理由から発言者を明らかにしたほうがよいと判断したとのこと
だが、実際には現在自民党の二階氏周辺にも捜査は及んでおり、漆
間発言に深い政治的背景の裏づけがあったわけではないことは明ら
かになるのだが、これではオフレコ取材の意味がないではないか。
内閣官房副長官は政務方2名、事務方1名からなり、漆間氏は事務
方にあたる。政治家の閣僚同士ではいつもなれあいで済ましている
のに、これは事務方に対する一種の"見せしめ"ではないだろうか?
「この政局の大事なときに事務方はへんなことを言うな」という無言の
圧力ではないかとわたしは見る。

政治家は官僚がいなければなにもできないくせに、都合の悪いときは
突き放す。本当に情けないひとたちだ。

小沢王国

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民主党代表・小沢一郎氏の公設第一秘書が逮捕された。またゼネコン
絡みの不正献金の疑惑である。いったいゼネコンのなかに不正を犯し
ていない会社があるのかと疑うくらいこういった犯罪に絡んでいる。

それにしても小沢氏は野党の党首である。東北地方の公共事業発注に
野党の党首が影響力を持っているということ自体異常なことである。
地方の自治体では首長が替わると発注業者がガラリと替わることがあ
るというのを耳にしたことがあるが、東北では小沢氏は"首長並み"、い
やそれ以上の権力を持っているということなのだろうか?

それにしても日本の政治家には"残念な方"が多い。

「こんな時期によりによって」というのが各市区町村自治体職員の正直
な感想だろう。
公務員は一般的に年度末から年度当初にかけてがいちばん忙しい。
わたしが勤めていた国立大学でも多くの職員がおそくまで残って仕事
に追われていた。しかも定額給付金などこれまで各自治体があまり触
れたことのない制度であり、まず給付のための枠組みをきちんと整理
しなくてはいけない。これは政府が自治体に給付方法を"丸投げ"した
ことと無関係ではない。

しかももらう側の国民の大多数が支持をしていない定額給付金。いっ
たい誰が得をするのだろう?

OECD生徒の学習到達度調査(PISA)で日本がいちじるしく順位を落
としたことが、日本の文教政策の大きな変換点になったことはまちがい
ないだろう。
それを受けて国内では『脱・ゆとり教育』への方向が決定的になった。
学習指導要領を改定し、授業コマ数を増やし、学習内容もより高度なも
のに見直される方向に向かっている。
自治体レベルでも改革の動きが見られる。杉並区立和田中の『夜スペ』、
橋下大阪府知事の『超エリート校構想』などがそれだが、わたしはそれ
らについて疑問を感じる。
わたしは文教政策は社会福祉政策でもあると考えている。確かにエリー
ト層を増やせば全体の学力平均値は上がる。そのほうが底辺層の学力
を底上げして平均値を上げることよりもたやすい。将来的にも学術振興
が進み、大きな経済効果も期待できる。
しかし、学力が底辺にある児童・生徒たちはこれらによって何の恩恵も受
けない。これは社会福祉政策の観点から言って問題である。

そもそもこれらの改革で育成しようとする『エリート』とは、単に入試に強い
学生のことのような気がする。
わたしは大学入試センター試験で日本史が100点満点中98点だった
(1問まちがえただけ)。しかし、いまわたしのなかにはほとんどその知識
が残っていない。一時、分数の計算ができない大学生が話題になったが、
にんげんの知識は使わなければどんどん忘れていく。ましてや試験科目
にない知識など現実的には無駄なものなのだ。

そこでゆとり教育だが、わたしはやりかた次第では底辺層を底上げする
という効果は望めると思う。教育を社会福祉政策の一環と考えれば、理
解力のない学生には適切な授業コマ数、難易度があると思う。

そもそもいっこうに変わらない知識詰め込み型が幅を利かせる入試の出
題方法に問題があると思う。

報道機関失格

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もはや朝日新聞社に正義はないといっていいだろう。
いや、そもそも新聞社にもともと正義があったのかすらもいまとなって
は疑わしく感じる。

『カラ出張』といえば公務員の専売特許みたいに報じていた自分らが
自ら不正をやっていたのだからこれは本当に重大なことである。
朝日新聞社は今年度決算で創業以来初の赤字を抱えることになった
のだが、4億の所得隠しは尋常な額ではない。本当にこんなことをやっ
ている新聞社になにを言われてもわたしはまったく説得力を感じなくな
った。同社を批判し続けた橋下大阪府知事の発言も、もはや暴言では
なく正当性すら感じる。

朝日は全社をかけてこの信用失墜の回復を図らなければならない。し
かし今回失われた報道機関としての信用は計り知れない。

朝日はこのまま消えゆくべきである。

妻とダウン症の長男を刺殺し、自分も自殺を図ったが死に切れなかっ
た夫に懲役7年の刑がさいたま地裁で言い渡された。
妻がうつ状態になり、長男の将来を悲観して一家心中を望む言動が
あったという。

裁判長は、「公判で『2人を追って死ぬ』と述べていたが、正大さん(長
男の名)が2人の元に生まれたことには、必ず意味があり、あなたが生
き残ったことにも意味があると思います。その意味を自分なりに受け止
め、有意義に生きてほしい」と述べた。

わたしはこの手の「生まれたことに"絶対的に"意味がある」的な発言が
大嫌いである。それを判断するのは『生まれた者』本人しかありえない。
生まれた者が生きることに意味がないと思えばないのである。

殺された長男にはそれを判断することはできなかったかもしれない。
しかし、残された夫がこれから先生きることに意味があるかどうかは裁
判長の決めることではない。本人が判断することだ。

裁判長の発言に左右されず、夫には自分なりの判断をしてほしいと思
う。

つまり、2人のあとを追うかどうかだ。

AO入試

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従来の大学入試が学力試験の得点で合否が決まるのに対し、志望理由
書や面接などを主な評価対象にするという点で特色がある。
しかし、いまの時代志望理由書ひとつにしてもネット上に情報があふれて
いる。それが"本人の言葉"で書かれているものなのか、あれこれ情報収
集して書き上げたものなのかは簡単にはわからない。
面接については得意・不得意の問題がある。そもそもそのものの知識不
足ゆえ面接官の質問に対応できないのなら仕方がないが、あがり症のひ
とはどんなに能力があっても面接では思うように上手く答えられないだろ
う。
だからわたしにはこの入試は"調子のいい奴"に有利な方法としか考えら
れない。あがり症のひとは大学に入った後も会社に入るときも、そして会
社へ入ったあとも(つまりほぼ一生)本当の実力を発揮することが難しい。
いまは公務員試験でさえ面接で合否を最終決定する時代だ。せめて大学
入試くらい彼らの能力を発揮できる方法で判断してもらいたいと思う。

サラリーマンの場合、所得税や健康保険、厚生年金、雇用保険などの
手続きはほとんど会社が自動的にやってくれるので、定年がくるまで
それらの制度的なことについてあまり詳しく知らないことが多いし、実
際それで済んでしまう。
しかし退職した途端、そういったもろもろの処理を個人でやらなければ
ならなくなる。もちろん行政機関も相談にのってくれるが、わざわざそう
いったところに出向いて説明を聞く初老の方など多いはずがない。しか
しそういった知識は明らかに定年後のほうが大事になるわけである。
実際、先日父親の年金の年末調整の書類がきていたのだが、たまた
まわたしが公務員時代、年末調整を担当していたことがあったため、
書類を書きまとめるのにそれほど苦労をしなかったが、傍から見て、こ
れはけっこう困惑するひとがいるだろうということは想像できた。

わたしは脱サラして自営業を始めたとき、税務署主催の青色申告の説
明会に行った。そこでは税理士の方がざっとこの制度のことについて説
明し、その後『記帳指導』の受付があり、それに申し込むと数日後電話
があり、都合のいい訪問日を決めた。
当日は税理士の方が来て、1時間強ほどわたしの記帳方法や質問につ
いてアドバイスをしてくれた。この記帳指導は無料である。

わたしは思うのだが、これとおなじように定年をむかえる方などを対象に
社会保険労務士の方が戸別訪問して社会保険の制度などについて指
導してあげるような制度を社会保険庁がやったらいいのではないかと思
う。できれば税理士の資格も有していて、税金のことについても相談でき
るようなひとがいいと思う。

もっとも社保庁はその前にもっとやるべきことがありそうだが。

「家が貧しいから大学へいけない」、そんなことがあるだろうか?
もし両親かなにかが病気で、自分たちを養うことさえできないような
事情があればともかく、自分の分の生活費や学費はなんとかなるも
んだ。
時代はちがうが、わたしの父は長男で、まともに働かない両親と5人
の弟妹を高校のときから養っていた。そのあと二部の大学へ行って
最終的には高校の先生になった。
わたしは大学時代、鋳物工場で月~金を4時間、土を10時間の休
日出勤で月16万ほど稼いでいた。生活費や学費に困ったのはバブ
ルがはじけて休日出勤がなくなってからだ。それでも春休みなどはダ
ブルヘッダーをしてなんとかしのいだ。
わたしは公務員を目指していたが、それでも勉強時間に困ることはな
かった。医学部などはさすがに奨学金などの助けがないと無理かもし
れないが、それ以外のコースならこの時代でもなんとかなるはずであ
る。

本当に大学で勉強したいなら、本当になりたい職業があるのなら、働
きながら勉強すればいい。家が貧しいことは言い訳にならないと思う。

今日は大統領選を押しのけて、どこのニュース番組も小室哲哉逮捕で
スタートしていた。それくらい衝撃的な話題であった。
ライブドアの堀江社長逮捕のときも驚いたが、彼の名前が大きく世間
に知れたのはたかがその数年前のことだった。しかし、小室氏のこれ
までの名声はそれとは比較にならない。ふたりの共通点はどちらもも
ともとの本業(堀江氏はウェブサイトの制作、小室氏は作曲などの音
楽活動)を忘れ、別の"楽しみ"に目がくらんでしまったことだ。ふたりと
も時代にさきがけ、新しい試みを成功させ(堀江氏はまだ一般的でな
かったウェブサイトの制作を手がける会社を設立、成功させた。小室
氏はDTM(デスクトップ・ミュージック)の急激な発展に合わせた精巧
なデジタルサウンドの世界を構築し、ヒット曲を次々と生み出した。)、
そしていつしか"副業"をメインに活動しはじめた。本業に飽きてしまっ
たのか? 副業がそんなにおもしろかったのか? じつはそういうことで
はなかったのだと思う。"時代"が彼らを追い越し、彼らの本業で生きる
道を狭めてしまったのだと思う。
いまやウェブサイト制作会社はたくさんあるし、クォーリティーなら堀江
氏の開業当時とは比べものにならないくらいレベルが上がっている。
日本中を席巻した『小室サウンド』もいつしかノスタルジックに聴こえる
時代になってしまった。彼らが副業に身をゆだねるに至ったのは上を
望むものの必然だったのかもしれない。なぜならその副業のほうが利
益効率がよかったからである。
彼らは確かに本業では類稀なる素質を開花させた。しかし副業に関し
ては彼らの本業ほどマッチしてなかったのではないか? だから最終的
にはふたりとも過ちを犯すに至ったのだと思う。

渡辺美里の『My Revolution』、最近まで小室氏の作品だと知らなかっ
たが、やはり非凡な才能を感じさせる一曲だ。
そして安室奈美恵の『CAN YOU CEREBRATE?』は結婚式で唄わ
れる曲の定番だ。

小室哲哉氏の音楽家としての才能を疑うひともいるが、やはり彼は優れ
た音楽家だと思う。

会計検査院の調査で全国12道府県の不正経理が明るみになった。
不正経理をおこなった自治体を擁護するつもりはないが、自治体から
見れば確かに"税の有効利用"という言い方ができてしまうメカニズム
が潜んでいるのも確かだ。
というのも、国からの補助金を含む『国庫支出金』は中央官庁の権益
の象徴であり、中央官庁はお金を出す代わりにその使途について縛り
を設けて地方自治体に対する統制力を保つ効果があるのである。
この『国庫支出金』は現場の自治体では実情にそぐわない額が与えら
れたりすることもあるわけで(もっともこの国庫支出金を獲得するため
に『霞ヶ関詣』をおこなって、少しでも多くの金額を得ようとする自治体
の慣習にも問題があるのだが)、当然予算が余る事態が生じることもあ
るのである。
そこで今回明るみになったような不正経理をおこなってパソコンやその
他実益のある物品に姿を変えさせるのである。
各自治体に罪の意識が乏しいと感じるのはそのためで、実際このよう
な行為をおこなうことで無駄な予算の浪費を節減し、必要な物品の購
入にまわしている訳だから業務の効率アップにもなっているのである。

『国庫支出金』のほかに国が配分するものとして『地方交付税交付金』
がある。こちらには前述のような縛りがないが、今回明るみになった不
正経理を防ぐために単純に国庫支出金を減らし地方交付税交付金を
増やすというのも問題がある。まず、自治体の財政健全化への自助努
力への動機を削いでしまう面がある。かといって実際に交付金をもらっ
ていない自治体は都道府県レベルでは東京都と愛知県だけというの
が現状である。

いずれにしても、現行の地方財政制度の歪みが今回の不正経理を引
き起こしたことにまちがいはなさそうである。

やはり内実は恐ろしいものだ。それにしても現地の海自幹部トップが
早々に『訓練中の事故』と断言したことには驚いた。組織上どうなっ
ているのかよくわからないが、海上自衛隊の内部調査だけで完結し
てしまう仕組みだとしたら自浄効果は望めるべくもない。

状況から考えて、中途離脱者に対する"かわいがり"としか考えられな
い。これを『訓練中の事故』と片付けてしまう幹部。状況を改善する意
志がまるで感じられないことは情けないとしか言いようがない。

そしておそらくこの"事件"は闇に葬られることになるだろう。

三浦和義、自殺

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いままでどんな状況に追い込まれても自分の正当性を主張してきた彼
がなぜいまになって...。

いわゆる『ロス疑惑事件』の始まりは1981年。もう30年近くもむかし
のことになる。それ以来、いまのいままで彼は折れることがなかった。
ロス市警の独房で彼はなにを考え、なにを思ったのだろう?
そしてこの事件の本当の真相は?

それとも彼は自殺というかたちで、最後の抵抗のメッセージを世間に対
しておくったのだろうか?
いずれにしても、もうどこの国でも法廷で三浦和義が裁かれることはな
くなった。

日教組とはいわずもがな日本の学校に所属する教職員で組織する『労
働組合』である(厳密には法律用語として『職員団体』と呼ぶ)。今回の
中山発言で脚光を浴びたかたちとなったが、その実態はいままで必ずし
も国民の間に十分に知られていたとは言えなかった。
ほとんどの報道機関は今回の中山発言を『失言』あるいは『確信的な事
実誤認発言』としているが、マスメディアはなぜ中山発言が誤りなのかき
ちんと説明する必要があるのではないのか?
日教組とはどういう団体でどのような活動をしているのか、あるいは中山
氏が言うように負の部分があるのか国民によくわかるよう説明すべきで
ある。
イデオロギー的スタンスの問題でそれができないとしたら報道機関として
失格である。

日教組の功罪それぞれを明らかにできなければ、国民に対し、中山発言
の誤りを指摘することはできないはずである。

この場合の"誤り"とは、「日教組が強いところは学力が低い」などの個別
的発言ではなく、「日本の教育のがんは日教組だ」などの抽象的発言で
ある。

新聞に限らず、マスメディアは政治に対し、公正中立でなければなら
ない。
にもかかわらず、ある新聞社の主筆は政界に介入し、国の政治を直
接動かそうとした。報道機関の長として許されざる行為である。
また、新聞の購読を勧誘したり、強要することは政治的意見の押し付
けであるばかりか、一部では暴力団まがいの拡張集団も存在する。
その実態は報道の公正中立以前に社会のモラルから逸脱している。

わたしもある新聞拡張員から脅迫まがいの勧誘を受けたことがある。
いや、あれは脅迫そのものである。そのようなかたちで獲得した購読
者がその新聞の論調の支持者であるわけがない。
マスメディアは本来報道についていっそう公正中立であることに敏感
でなければならない。公正中立という意味は、他人にある意見を勧め
たり、押し付けたりしないことも含むと思われる。にもかかわらず、
実際には新聞社は読者獲得のために悪どい手段さえいとわないでい
る。

新聞社が本当に公正中立な報道機関であるためには、まずこの拡張
制度と手を切るべきである。でないかぎり、わたしはその新聞社を報
道機関として認めない。

ここのところミートホープやら比内地鶏やら赤福やら三笠フーズやら、
数え上げればきりがないほど日本じゅうに食品偽装の嵐が吹き荒れ
ている。
利益を上げることに執着するあまりに自らの生産者としてのプライド
を惜しげもなく捨てるその姿がわたしには信じられない。

わたしもいちおうクリエーターとしての仕事をしているが、利益を上げ
ることなどほとんど二の次だと思っている。
いかによい作品を生み出すか、いかに顧客に喜ばれるかが第一だと
思っている。それがクリエーターとしてのプライドというものだと思う。
公務員をやっているときも、いかに効率よく旅費を計算するか、どうや
ったら職員が損をせずに年末調整ができるかいろいろ努力したもので
ある。そんなのはプロなら当たり前だと思っていた。

これらの不祥事は食品販売特有の傾向なのだろうか?
一方でこだわりの食材を使い、手間をかけても薄利なラーメン屋もたく
さんある。よって業界全体の傾向ではないことはわかる。
しかし、ここ最近の不祥事はあまりにひどすぎるではないか。
こうも簡単ににんげんとしてのプライドを捨てられるものなのか?
それとも、そうしなければ生き残っていけない食品業界の過当競争が
問題なのか?

いずれにしても、同業者やお笑い芸人仲間との会話ではこれらの発想
はおよそ出てこないものである。

福田総理辞任

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びっくりした。先月内閣改造したばかりではなかったのか?
総理がどこまで計算していて、どこから計算外だったのかがわ
からない。太田農水相の問題はこのことに影響はあったのだろ
うか?

いずれにしても、素人の客観的な印象として、総理のいままで
の発言には"こころ"が見えなかった。反省の弁を述べてもうわ
べだけの言葉に聞こえたし、その点を突かれると"逆ギレ"する
始末。これでは反省の弁をすること自体逆効果である。

実感のない好景気が終わり、日本経済は再び暗黒の世界へ進
もうとしているなか、政局の不安感はその動きにさらに発車をか
けるであろう。

今度こそ日本経済は本当に駄目になってしまうような気がする。
だれがワーキング・プアのひとびとを救ってくれるのだ。

伊藤和也さんが武装グループに拉致されたとき、その情報を聞き
つけて千人もの村人と警察が犯人らを追跡したという。
村人たちもおそらく丸腰ではないだろうから、犯人グループにとっ
てはたいへんな脅威にうつったにちがいないだろう。
精神的に追い込まれた彼らが、伊藤さんを発作的に殺害してしま
ったのも想像に難くない。
住民らの伊藤さんに対する真の信頼がこんなかたちで最悪の結果
に結びつくことになろうとは...。

NGO団体『ペシャワール会』のスタッフ、伊藤和也さんの遺体が
確認された。
どうやら背景にはタリバンの存在があるようだが、アメリカ軍をは
じめとする国際部隊が彼らを放逐しようとあれだけ力を注いでも
それが実現していない実情は、タリバンのような武装勢力を壊滅
することがいかに困難なことかを物語っている。彼らが標榜する
イスラム原理主義とはいったいどんなものなのだろうか? アフガ
ンの住民のために労を惜しまず働く外国人を誘拐し、惨殺するこ
とが彼らの考える神のお導きなのだろうか?

そもそも『イスラム原理主義』という用語は必ずしも厳密な概念を
持っておらず、ニュースなどでは『イスラム過激派』とほぼ同義に
使われることも多い。この表現そのものに批判的ニュアンスが含
まれており、そのことがイスラム原理主義者はコーランを盲目的
に信仰し、そのために過激な行動をとることが多いと誤解される
ことにつながっていると考えられる。つまりコーラン=悪魔の書で
は決してないのである。
結局のところ、組織の行動方針の正当化のためにコーランが利用
されていると考えるのが自然であろう。それはタリバンに限らず、
あらゆるイスラム系武装組織に言えることだろう。

それにしても伊藤和也さんの死は非常に痛ましい。アフガンのた
めに力を尽くし、そしてその地で命を失った。本人はこの地で骨を
うずめてもいい覚悟だったようだが、それにしてもこんなかたちで
そうなろうとは、言葉を失う。
せめてもの救いは、拉致された伊藤さんを捜索するため、千人も
の村人が総出で山を登ったという知らせである。伊藤さんのこれ
まで行ってきたことはこれまでもこれからも確実にこの地の発展に
役立っていくであろう。

ある研究によると、マウスではある種の脳内物質を欠くと自閉的
行動を示したり、攻撃性が高まることがわかってきたという。
今後文科省はこの種の研究をにんげんを対象にもおこなっていく
という。
つまり、『引きこもり』や最近頻発する通り魔事件などの根本的な
原因が脳内の一部の機能障害である可能性が研究を進めてい
くにつれ、おそらく明らかになるのではないかと思う。
ということは結局、引きこもりも通り魔も自分だけの力では抑える
ことができないという結論になる。引きこもりはともかく、脳内の機
能障害を持つものが起こす犯罪をこれから法令はどう裁いていく
べきなのか考える必要があると思う。

日本の年配の方がよく言うが、それは理想論だと思う。
日本はかつて自分たちの仕掛けた戦争に敗れたが、占領軍はかつ
ての帝国主義的支配の道を採らず、かわりに自由と民主主義、そし
て平和を日本に与えて撤退した。
しかし世界には他国からのむごたらしい侵略による被害の歴史を持
つ国家が数多くある。そしてその多くの国がいまでは軍隊を組織し、
同時に徴兵制を敷くケースが多い。それは歴史的な必然である。

日本人は他国民に領土内を土足で踏みにじられるような経験をした
ことがない。だからフィンランドのような比較的先進的な国が徴兵制
を採ることが理解できない。しかしフィンランドがスウェーデンやソ連
に侵略された歴史を考えると、いかに国民に自国を自分の手で守り
たいという意識が根付いているか少しは理解できるだろう。

反撃しなければ殺される、あるいは人権を蹂躙される、そんな状況に
なったとき、無抵抗を貫くことが本当に最善のことなのだろうか?
わたしはちがうと思う。

日本政府は中国製ギョーザ中毒事件に関し、中国側が国内でも被害が
出ていたことをサミット前に連絡していたにもかかわらず、約1ヶ月公表
を避けていた。
これまで中国政府は国内での毒物の混入をかたくなに否定していた。
そんなことは日本国民が信じるはずもなく、いずれはボロが出ることは目
に見えていた。
問題はそのことではなく、意図的にこの情報を1ヶ月間隠蔽していたとも
取れる日本政府の態度である。
高村外相によると、中国国内での捜査に支障が出る恐れがあるため、先
の情報を一般には公表しないという条件で受けたため公表しなかっただ
けだと説明した。しかし、仮にも中国政府は日本国内での混入の可能性
が高いと公式には発表しているのである。つまり、公にはまだ日本国内で
毒物が混入された可能性が完全に否定されたわけではないのである。
したがって日本政府は速やかにこの事実を公表し、食の安全性について
の問題の一部が解決したことを伝えるべきだったはずである。

そもそも日本政府が確かな情報として知りえた事実を公表しないというこ
とは、ある意味政府による情報操作である。わたしはこのことがいちばん
の問題であると考える。今回の政府の措置を容認したならば、今後いかな
る外交上の問題を国民に伏せられたままにされるかわからなくなる。

マス・メディアはその点のほうをむしろ追及してほしい。

松本サリン事件被害者の河野澄子さんが亡くなった。60歳だった。
澄子さんは事件時にサリンを吸って意識不明になったまま、ついに
意識を取り戻すことはなかった。
夫はかつてメディアに事件の犯人ではないかと疑われた河野義行
さん。義行さんにとっての松本サリン事件はこれでいちおう一段落
した。
しかし、マス・メディアの信憑性、プライバシーの問題など松本サリ
ン事件の一連の報道は考えさせられるものがあった。

問題はずさんな警察の捜査と、その情報を無批判に垂れ流し、河
野氏を犯人とする十分な証拠などないにもかかわらずあたかも真
犯人だと印象付ける報道をしたマス・メディアにあった。
当時、わたしは河野氏を疑う報道を全否定していたわけではない
が、これが本当に報道機関としておこなってよい姿勢なのか、もし
河野氏が犯人でなかったらどう責任を取るつもりだろうかと思案し
ていた。
結果、その後に地下鉄サリン事件が起こり、松本の事件もオウムの
関与が明らかになったわけだが、河野さんの受けた苦しみは癒され
るはずもない。メディア報道の恐ろしさをこの一件はまざまざと見せ
つけたかたちとなった。

もっとも、一宗教団体がこのような大それた犯罪を起こすことなど当
時誰も想像できなかったという背景はあるが。

例のセクハラ問題の学校が甲子園に出場することになりました。
被害者とされる女性記者が朝日、毎日両新聞社という甲子園
の大会主催者ということと関係があるかどうかは定かではあり
ませんが、とにかく学校側による監督だけの謹慎といううやむや
な処分に終わりました。
もし両新聞社が大会のイメージダウンを恐れてこの件に関する
真相究明を避けたとすれば、大会主催者である前にマス・メディ
アとしての資格がないでしょう。上っ面だけ拾い上げて、あたか
も高校野球がしごく健全なものとして扱うのは大げさな話、大本
営(高野連)発表と変わりがないのではないでしょうか?
報道機関としての自覚があるのなら、被害者の口から事実を聴
取することなどたやすいはずです(自分のところの記者なんです
から)。

話は変わりますが、そもそも多くの指導者が「高校野球は教育の
一環」だと公言し、高野連もその前提で指導者を監督している現
状がうさんくさいと思います。もちろん立派な指導者はたくさんい
ると思いますが、表では指導者の操り人形のようにしゃんとして
いて、裏ではなにをしているかわからない状態で本当に『教育』が
行き届いているといえるのでしょうか? 本当に理想の状態とは生
徒が自主的に部活動、はたまた学生生活に及ぶまで自主管理で
きている状態なのではないでしょうか?
われわれの3年の夏の県予選の入場行進を観てもらいたいです。
横や後ろを向いてしゃべっているのがいたり、大笑いしているのが
いたり。そういうのを観て、「指導が足らない」というのは勝手です
が、普段のわれわれは自主的に真面目に練習していたし、なによ
りも下級生を大事にしていました。
『スポーツ教育論』を語る指導者たちはなにを持って部の秩序が保
たれているというのかよく考えてもらいたいです。

このことについていろいろなひとが社会病理学的な観点からアプローチ
しているが、なかなかすんなり納得できる理論を聞いたことがない。
あるものは親子関係の希薄化、あるものは地域コミュニティーの崩壊、
あるものはネット社会の弊害、どれもそれなりの関連性はあると思うが、
はたしてそれが本質的なことなのだろうか?
通り魔と言って真っ先に頭に浮かぶのは深川通り魔殺人事件の川俣軍
司である。しかし彼の場合は覚醒剤を常用していて、犯行当時も心神耗
弱状態とされた。ところが最近多発する通り魔事件では薬物の影響は表
立ってはいない。覚醒剤の使用が誘引になって起こる通り魔事件は動機
が飛躍している。犯罪者の日常生活と犯罪に関連性が希薄なのである。
しかし最近のものはいちおう犯人自身の社会生活が、犯罪に追い込まれ
るきっかけになっていることになっている。だがいずれも通り魔という残虐
な犯罪を引き起こすのに十分な個人的理由があるように思えない。
わたしが思うに、このような犯罪を引き起こすものたちは、"社会的に追い
込まれる"というハードルが極端に低くなってしまっているのではないかと
思う。その要因は個人のパーソナリティにもあるだろうし、いまの社会構造
にもあると思う。しかし、社会的に追い込まれたことで直接的に凶悪犯罪
に至る思考過程は謎である。犯人たちがとくに力の弱い女性や子どもなど
をターゲットにしていたのなら自分の力を誇示しようとした可能性は高い。
だがこれまでのケースは必ずしもそうとばかりとは思えない。やはりその
点は謎である。

それにしても模倣事件が相次いでいるのが気になる。通り魔を防ぐことは
並大抵のことではない。やはり早急にことの本質をつかむことが急がれる。

厚生労働省で官用パソコンを用いてゲームやお笑いなど業務と関係の
ないホームページ閲覧が1日に約12万件あったことがわかった。
掲示板やチャットの書き込み、ゲームなどは言語道断だが、サイトの閲
覧くらい少しは多めにみてもいいんじゃないかと思う。
民間だってそんなに厳密に制限はしていないと思うし、実際わたしも観
ていた。
いちばんいいのはタバコを吸うひとはサイトの閲覧禁止で、吸わないひ
とは1時間に5分だけサイトの閲覧を許すことにしたらどう?
5分どころじゃないか、あのひとたちは。

公正取引委員会はテレビ朝日が通販番組で、『ロデオボーイII』とい
う運動機器を使って体験者が大幅に痩せたように放送したのは、景
品表示法違反(優良誤認)の恐れがあるとして、同社に警告した。

ダイエットの方法ほど、巷に諸説氾濫している情報はおそらくないだ
ろう。ただまちがいなく言えることは、カロリー摂取量よりカロリー消
費量が多ければ痩せることになるということだ。

では、カロリー消費量を増やすにはどうしたらいいか? まず第一に
筋力をアップして『基礎代謝』を上げること。『基礎代謝』とは呼吸や
体温調整など生命を維持するために消費されるエネルギーのことで、
筋力がアップすればそれだけ増えた分の筋肉が消費するエネルギ
ーが増える。
しかしそれだけだと当然増えた分の筋肉の分体重は増える。だが、
そのことによって『有酸素運動』によるエネルギーの消費量が格段に
増える。『有酸素運動』とはエネルギー消費のために体脂肪を分解す
るのに酸素を必要とする運動である。

ダイエットとは基本的に、この『筋力トレーニング』と『有酸素運動』、そ
れ以外では規則的な生活習慣、エネルギーの過不足のない食生活
などが総合的に結合してはじめて成功するものとわたしは考えている。

ただ、あまりにもいまは情報が多くて、最良のダイエット方法とはなに
か、いつも自分に問いかけている状態である。

本省(霞ヶ関の元締め省庁のことをこう呼ぶ)の勤務実態については、
国立大学勤務時代ちらっと聞いたことはありますが、このことは知りま
せんでした。だいたいわたしは自家用車勤務だったのでおそくなって
も帰ることができましたから。
これは確実な情報ではないのですが、本省の職員は定時(8時半)に
出勤せず、ほとんど遅刻してくるそうです。その代わりおそくまで残業
しているわけですが、勤務実態はかなりハードだと聞いていました。
だからといってこのような優遇が許されるわけがありません。わたしが
民間に移ってからは基本的に会社で泊り込んでいました。まぁ、特別
ハードな業種でしたから、それが当たり前のように思っていましたが、
それはそれで異常な状態ですよね。
民間でもせめて終電で帰れるようにならないと。

フィリピンの官庁では週休3日制が検討されているとか聞きましたが、
やはり日本は官庁(一部を除く)を含めて働きすぎなのでは。

何度も言っておりますが、うるう年は欧州選手権の年です。オリンピ
ックのような、競技の中身よりも開催すること自体に政治的・経済的
色彩が濃いイベントはもう時代遅れのような気がします。
東京が1次選考にトップで通過したようですが、いまさら東京で開催
することになんの意味があるのでしょうか? 先進的な環境対策が盛
り込まれた開催計画があるというなら話は変わってきますが、どうも
そういうことではないようです。

これからもオリンピックを続けていくというのなら、開催都市には長期
的視野にたった環境対策が必須でしょう。

そりゃぁそうですよな。高級料亭が料理の使い回しだなんておよそ
考えられないことしてたのですから。
まさかマータイさんの影響を受けたわけでもあるまいが。
この事件で思い出すのが以前もお話しましたが、ある料理店の店
主の考え方。
当時ミートホープ事件が話題になっていたのですが、その店主は偽
装行為の情報を工場内で収められなかった工場長が悪いと言って
おりました。
料理店の店主とは頑固一徹筋の通った料理しか出さないようなに
んげんみたいなひとがなるもんだと思っていたからえらくがっかりし
た覚えがありました。そのあとです、船場吉兆の事件があったのは。

一時は事件前以上の客の入りをうわさされていた船場吉兆でした
が、さすがに『使い回し』の評判は効いたようです。
そんな料理人はごく一部だと信じたいですが...。

憲法を考える

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今日は憲法記念日ということで、ちょっとばかり憲法について触れてみる。
こんなことを言うとまた"左派"系のひとの批判を受けるかもしれないが、
現憲法を盲目的に守ろうとするスタンスはまちがっていると思う。
長い期間のあいだに、現実の社会と法体系が乖離することは必然である。
昨年議論のあった憲法改正手続きの過程で行われる国民投票について、
これまで法律による規定がなかったこととは、永年の立法の怠慢であると
言わざるを得ない。

憲法は"守る"だけでは社会の現状にあった法体系を維持できない。必要
とあれば、"変える"ことだって許されてよいのである。

東京都は中高生が受験のために通う学習塾費用を低所得者世帯に無
利子で貸し付ける制度を始めるという。
杉並区立和田中の『夜スペシャル』といい、すっかり学習塾は都会では
教育の一環に組み込まれた感がある。
ますます学力格差が広がるような気がするけど、それでいいんだろうか?

瞬く間に世界中に知れ渡った『Shinya Yamanaka』の名前。
世界で初めてヒトの人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作成したという
知らせに世界中の研究者が驚き、感心した。
しかし山中教授より一足早く、バイエル薬品がこの技術を成功し、特
許出願も完了しているとみられている。
山中教授は「この技術がお金もうけのために利用されることは、絶対
に避けなければならない」と述べ、バイエルに対して暗に対抗心を示
した。
しかしバイエルとて金もうけ主義でこの技術を研究しているわけでは
ないだろう。京都大学という権威が、一薬品会社に対して敵意を表し
たとも取れるが、ここはどうだろう? 一歩進んで官民による共同研究
に幅を広げてみては。
京大の事情はよく知らないが、産学による連携の進んでいる研究分野
はかなりあると聞く。ここはひとつ医学界のためにもより効果的な研究
の進め方を選択することを望む。

そんなんどうでもええわ!
高いカネつこうてんのやからもっと実用的なことせえ!
地球上ではできない合金とか造るんやなかったんか?
子どもだましばっかりしおって。

国家公務員の休職者の過半数がこころの病だという。
はたしてこれは国家公務員特有の現象なのだろうか?
わたしはそうは思わない。
民間では気軽に休職などできないだけで、実際はもっとシビア
なんじゃないかと思う。
ただ実体験について語ると、公務は法令上非常に煩雑で無意
味な仕事が多く、仕事を終えても達成感がない。
それを気にしないひとはいいが、わたしには耐えられなかった。

わかりきったことだが、いまの日本の労働環境は望ましいとは
思えない。
働いても満足な収入が得られない"ワーキング・プア"、長時間
労働、根本的に解決しなければならない問題が山積みだ。
今回明らかになった実態はそういった日本社会の現状を反映
しているに過ぎない。問題の根は深い。

硫化水素自殺

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最近自宅の浴槽などで複数の洗剤や入浴剤などを混ぜて有毒な硫化
水素を発生させ中毒死する自殺が相次いでいるらしい。
やむにやまれる事情で自殺に至る動機はわたしには責めることはでき
ない。しかしせめて他人に被害が及ばない方法を考えてほしかった。

もっともそのような判断ができないほど追い込まれているのかもしれな
いが、家族でも親類でもない他人に迷惑をかけることだけはやめてほ
しい。

『靖国』問題

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靖国神社を題材にした中国人監督のドキュメンタリー映画『靖国』をめぐる
上映中止問題で、文化庁がこの映画に日本芸術文化振興会を通じて750
万円の助成金を出していることが正当であったかが議論されている。
助成金支出の条件は、映画に、政治的、宗教的宣伝意図のないことされる。
しかし助成金にこのような縛りを与えることが果たして妥当なのだろうか?
たとえ『反日的』な作品であっても、それが観るものに対しいろいろな意味
での考察を持たらすものであれば、それは文化的に意味のあることではな
いだろうか?
助成金の目的は文字通り文化振興のためであり、世の中の多様な意見が
あることを認めたうえでなければ、逆に国家によるプロパガンダに利用され
かねない。

ただ、そのことと映画自体の作品としての完成度は別問題であるが。

クリンチ国会

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誰が言ったか、うまいことを言うもんだ。
『ねじれ国会』、『ガソリン国会』なんかよりもよっぽどこの状況を
適切に表現している。

双方有効打がでず、もつれ合いの様相となった今国会。
内閣の支持率は低下する一方、片や民主党への風当たりも日銀
正副総裁人事のごたごたで強まる一方。
見ている国民はやってる本人が考えている以上にしらけてますぞ。

福岡県のある公立中学校で、一部生徒による“授業妨害”が続き、校長と
教頭が心労で体調を崩し休職や自宅療養する事態となったという。
生徒にインタビューすると「大人は汚い。見た目でひとを判断するから。」
と言う。あまりにもやらせっぽい返しなんですけど。いるのかね、まだそん
な尾崎みたいなこと言っている中学生。
これだけは言っておく。先生たちには守らなければならない家庭や生活が
あって、お前らのせいでおびえた毎日を送っている真面目な生徒にも守ら
なければならない生活があるのだ。
それを犯す権利はお前たちにひとっかけらもない。
迷惑をかけた分はお前らが一生かけて償え。
社会とはそういうところなんだ。

財金分離論

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次期日銀正副総裁人事をめぐって国会は大荒れであるが、そもそも
野党の主張する『財金分離論』にはどれくらい正当性があるのだろう
か?
財政政策と金融政策はそもそも大きく対立するはずがない。目的は
どちらも日本経済の安定的な成長という一点だからである。
むしろ互いの協力があってこそ効果をなしえるものであって、金融政
策に財政の知識は不可欠である。

ただ、わたしは今回の人事案に野党は協力すべきだと言っているわ
けではない。
財金分離論に疑問を感じただけである。

先日、日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)がわいせつ物頒布幇助の疑いで
警視庁の家宅捜索を受けた。
そもそもビデ倫は業界の自主規制をつかさどる組織であり、わいせつ
物頒布幇助の罪で摘発することが本当に適当なのかという疑問がある
が、その前にわたしは『わいせつ』というものがはたしてどの程度のも
のが許され、あるいは許されないのか改めて考えてみてほしいと思っ
ている。
一部の異常な性欲を満たすような映像は別として、いわゆる“通常の行
為”についてモザイクをかける必要があるのだろうか?
この場合モザイクのかかっている行為は現実のありふれた行為であり、
モザイクをかけること自体、現実の否定ではないだろうか?

正直わたしはあんなものじかに観たくはない。ただもう国が取り締まる対
象ではないような気がするのだ。
もちろん異常な性欲をかきたてるようなものは取り締まらなければならな
いと思うが。

新聞に掲載され、秀逸の評価のついた川柳だ。
地球の歴史は約46億年、人類の歴史はクロマニヨン人が出現して
から約5万年、まったく比較にならない。
地球にとって人類の所作など蚊に刺されたようなものなのだ。
仮に人類の所作が地球の歴史に大きな影響を与えたとしても、それ
自身が地球の歴史に吸収されるものなのだ。

では人類はなにを『地球環境保護』というのだろうか?
それはおそらく究極的に人類に有効なこととされることをすることだろ
う。
人類は地球を“自然のままに”しておくことを『地球環境保護』と言っ
ているわけではない。
“自然のまま”にしておくなら絶滅危惧種などほっておけばいい。
森林は間伐などせずほっておけばいい。
絶滅危惧種を守らなければならない。土壌の流出は防がなければな
らないという人類の価値観がそうさせるのである。

人類の価値観はひとつではない。だから衝突が起こる。
『地球環境保護』の道すじはひとつだけではないのである。

そもそも『地球環境保護』という言葉がおかしい。

福井県小浜市でオバマ候補を応援する動きが盛り上がっているらしい。
なんでも市がオバマ氏に親書を送り、「オバマ候補を勝手に応援する会」
が結成されているという。

バッカじゃないの!

疑惑の銃弾

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その日テレビを観ていたら、「三浦和義サイパンで逮捕」とテロップ
が流れた。
なんだ? サイパンでも万引きしたんか? と思っていたら。一美さん
殺害の容疑だという。
日本では『一事不再理』の原則の下に、最高裁で無罪が確定した
三浦氏を再び裁くことはたとえ新たな証拠が現れてもできない。
また日本では殺人事件の時効は25年であるが、アメリカでは時効
はない。だから事件から27年たったいま逮捕されても法的には問
題はない(異論もあるが)のである。

しかし凶悪犯罪捜査に大忙しのはずのロス市警がこのヤマをいまだ
に追っていたとは驚きである。しかもおそらくは相当有力な新証拠が
あるにちがいない。

それにしてもまさかである。
ほとんどのひとがこのことはすでに過去のことと思っていたであろう。
これから先の捜査の進展が気になるところである。

イージス艦『あたご』の衝突事故、どうやらあたご側の『強者のおごり』が
大きな原因だったようだ。
海上で圧倒的な存在感のある船のほうにほかの船が進路を譲る、こうし
た本来の取り決めよりも実効性のある慣習のほうが優先されていたのだ
ろう。
ふと考えてみると、われわれ自動車のドライバーもおなじことをしていない
だろうか?
横断歩道のある場所でひとが渡ろうとしていたら、車は止まらなければな
らない。
しかし実際にはほとんど守られていない。
この事故について『官尊民卑』と言う議論もあるが、わたしはそうは思わな
い。
知らず知らずのうちに弱者が強者から無言の圧力を受け続けた末に出来
上がった慣習だと思う。
もっと人間行動学的見地からこの事故を検証する必要性を感じると同時に
このような事例は少なからず人間社会において存在することを自覚すべき
だと思う。

新しい学習指導要領案が公表された。授業数を増やし、理数系にやや
重点を置いた内容になっているようだ。
田舎育ちのわたしにはよくわからないが、都会では私立中学へ進学す
ることがかなり一般的になっているようだ。しかし、結局は受験に有利だ
からという理由で、本当の意味での『学力』を向上させる目的ではないと
思う。
言うまでもないが、学習指導要領の掲げる指導方針と私立学校の学習
カリキュラムは目的がちがうのだから根本的に交わることはない。
わたしはいまの学習指導要領でも、児童・生徒がきちんとそれに従って
学習すれば十分な『学力』を得ることが出きると思う。
しかし、進学のためには学力とは無関係な受験のテクニックや難解な問
題を解く能力を身につけねばならない。
そして、実社会ではこの学力とは無関係な能力の方が生きる上で重要
になってくるのである。
以前話したかもしれないが、講義に毎回出席してノートをとり、教科書で
勉強し、よい成績をとるのと、先輩や友人ののノートをコピーして過去問を
集め、おなじ点数をとるのとどちらが社会において有益な能力かというと、
じつは後者だと思う。
社会において『学力』は、研究者や技術者などになる場合は別として、多
くの場合あまり意味がない。

暴論を覚悟で言わせてもらうと、ビジネスワークにおいて重要視されるの
は、他人の知識を利用して自分の手柄にするテクニックだと思う。

話はそれたが、『学力』は結局人間生活において、あまり大きな意味をもた
ないのではないかと思う。

中国製冷凍ギョーザは洒落にならんが、これくらいのことは話題性の範疇
だろうということか。
それにしても法的な制裁と社会的な制裁がこうも食い違うとなにが正義か
わからなくなってくる。
法的にはJAS法等の違反により無期限の営業禁止処分を受けながら、社
会的には話題性も手伝って営業開始したとたんに客が列を作っての大盛況。
にんげんの心理はよくわからないものである。しかしこれでは法に背いたほ
うが栄えて、地道にコツコツとおいしい和菓子を作っている無名店が浮かば
れないではないか。

日本人のブランド好きとも無関係ではあるまい。

わたしは国立大学に勤めていたことがあるため、センター試験の問題を
試験に係わる仕事の合間に解いたりしていた。
大学受験では文系なので受験しなかった物理はわりかし解けたが、実
際自分が受けたとき100点満点中98点だった日本史はまるでわからな
かった。

勉強する目的が受験のためだけである場合、必ずといっていいほどその
知識は身につかない。しかし受験を通して学んできたことをこれから先の
勉学に生かすつもりであればそれは生きた知識になる。
わたしの経験上まちがいなくそれだけは言える。
いまの学校制度は大学受験が最大の難関、入学してからは比較的緩い
仕組みになっている。
だいたいわたしのように卒論も書かない学生に卒業させたりしてはダメだ。
大学受験はあくまでも通過点にしないと先ほど言ったように受験のためだ
けの勉強法になってしまう。

日本の大学の、特に文系学部はその点大いに改善が求められると思う。

『中東の笛』のおかげでハンドボールがにわかに脚光を浴びている。
ふだんハンドボールなんて見向きもしないくせに、今回ばかりはわ
れわれもマスメディアも注目している。
ちょっと昨日の話とも似ているような気がする。
考えてみればかわいそうだ。『中東の笛』なる不公平なジャッジが
横行している事態をマスメディアはこれまでいっさい報じてこなかっ
た。
今回のような事態にならなければマスメディアは半永久的にハンド
ボールを大きく取り上げることはなかっただろう。

今回の再予選に勝ったとしてもオリンピックに出れるかどうかは流
動的だという。しかし、たとえでられなかったとしても、多くの国民の
あいだにハンドボールという競技をアピールできたということは大き
いだろう。

経済効果

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白い恋人は通常の3倍の売り上げ、船場吉兆は予約満杯、これらは
いろいろと問題があったことで逆にプラスの経済効果がもたらされて
いるという特異な現象だ。
本来経済的にマイナス要素のはずがプラスの効果をもたらしているこ
れらの現象、経済学的に解析されているのか興味深い。
人間心理のなかに『怖いもの見たさ』というのがある。それに近いこと
なのだろうか?
これらに共通して言えることは、どれももともとブランド力があるという
ことである。
不祥事が逆にブランドのネームバリューを上げている効果が見られる。
マスメディアで大きく取り上げられることでその動きはさらに加速する。
これではまじめにやっている業者が浮かばれないではないか。

大相撲でも不祥事が続いたが逆に初場所の入りは良いようだ。これも
おなじような現象と考えることもできる。

正直者が馬鹿をみる社会であってはならないと思うが、消費者行動と
は皮肉なものである。

俳優の小栗旬さんがこんなことを言っていた。

「KY(空気読め)って言葉、オレは許せない。どこまで知的レベルを落とせばいいんだ、この国は、って思います。オレだって勉強ダメですけど、でも自分の中に良い悪いの基準はちゃんとつくっているつもりだから」

わたしが思うに、『空気を読む』とはその場にいるにんげんで多数決を
とったとして多数派を占める“感情”という票を読むことだ。
小栗さんの言う主観的な『良い悪いの基準』とは次元がちがうと思う。
だいたい空気を読むことが『知的レベルを落とす』ことになるのだろうか?

ある『空気』が世の中においてスタンダードになるとそれは『マナー』あ
るいは『しきたり』になる。
だからマナーやしきたりにはひとにぜんぜん迷惑をかけていないにもか
かわらず忌み嫌われるものもある(列車内での化粧など)。
小栗さんの言わんとしていることはわからなくもないが、世知辛いこの
世の中、空気を読まなくてはにんげん居場所がないのである。

国際陸連はある義足の陸上選手のオリンピック出場資格を認めない
決定をした。
同選手は決定を不服として今後も争うつもりのようだ。
個人的な考えだが、選手の使う義足の性能によっては資格を認めら
れる可能性があってもいいと思う。しかし同選手の使用している義足
は明らかに“ばね”の役割をしている。それを証明する科学的なデー
タもあるらしい。
残念ながら競技の性質上、健常者と同等に競うことは不適当だと思う。
ノーマライゼーションの精神はスポーツでも尊重されてしかるべきであ
るが、それが障害者である競技者が健常者より有利な条件になっては
ならないと思う。

なのでこの選手を支持する気にはあまりなれない。

アイオワでの敗北からたった数日でニューハンプシャーでの勝利を
あげたヒラリー・クリントン氏。
連日報道された遊説先での『涙』、あれがどう投票に影響を与えた
か非常に興味深い。
映像を見る限り、クリントン氏は目を潤ませながらも涙を流すまでに
は至っていないように見える。クリントン氏の選挙対策としてどこま
でデザインされたものであるかは不明だが、少なくともこの目を潤ま
せるが涙は流さないという微妙な線が有権者に大きな影響を与え
たであることは想像できる。
あのシーンが、クリントン氏の『人間味』(目を潤ませる)と『強さ』(し
かし涙は流さない)をアピールするには絶好の映像であったと見て
も誤りとはいいきれないだろう。

それともわれわれが勘ぐるほど、アメリカの有権者はこんな映像に
は左右されないだろうか? それもまたあり得る。

白い恋人

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販売を再開した『白い恋人』の売れ行きが好調だという。
なんでも前年同期比の3倍だという。
不正をしたことがかえってプラス効果を呼んだかたちになっている。
はたしてこんなことでいいのだろうか?
これが自由市場というものなのだろうか?
いっぽうで、中国製品に対する不信感は根強いものがある。
かたや賞味期限の改ざん、かたや有害物質の検出、確かに商品
の安全性のスケールがちがう。
それにしても不祥事がかえって売れ行きを助長するようなことは一
時的なものであってほしいものである。
でないとまっとうな会社が馬鹿を見ることになる。

20歳のある女性タレントが、坂出の事件の容疑者を警察が発表
するまえに特定するような内容の文章を自身のブログに載せ問
題となった。
この女性タレントは事務所の判断で一年間芸能活動停止となっ
たそうだが、ブログの社会的影響力もここまできたかと、ちがう
意味で感心してしまう。
社会的影響力の大きさと裏腹に書き手の側は軽い気持ちでブロ
グを書く傾向がある。つい、友だちにでもしゃべる感覚でブログに
書いてしまうのだ。
わたしのこんなだれも見ないようなブログでも下手なことを書くと
反響はある。
ブログをやる以上は社会的な影響力のことをつねに頭においてい
なければならない。

見えない敵ほど怖いものはない。

わたしが子どものころ、母親にそう教わった。
もちろん正しくは「These are two pens.」なのだが、母は短大を
出ているにもかかわらず、このように英語がぜんぜんできなかった。
わたしも英語はほとほと苦手で、さきほどの『These』の綴りをネッ
トで調べたくらいである。

今回話したい本題というのは、最近話題になっている英語教育の
小学校での義務化についてなのだが、個人的にはもし中学以降も
英語を教えるというのであれば、なるべく早い時期から英語に親し
むほうがいいのではと考えている。
語学というのは学問というより“道(どう)”みたいなものじゃないか
と思う。
すなわち“英語道”である。
なにがちがうかと言うと学問が理論的に習得していくものとすれば、
道は感覚的に習得していくものだと言えるのではないだろうか。

そう、まさに「考えるんじゃない、感じるんだ」である。

よく母国語も満足に操れない子どもたちに外国語を教えるのかとい
う意見があるが、国語は学問である。英語教育とは根本的に異な
る。
英語を母国語としている国では特別な教育を受けなくとも子どもか
ら大人まで英語を話している。
しかし、日本ではあれだけ授業で時間を割いて教え込んでも英語を
話せるようにはならない。それは学問としての英語しか教えていな
いからである。
感覚的な習得を目的とするならなるべく小さいときから英語に接して
いたほうがいい。

もっとも、中学以降も含めた英語教育そのものの必要性にまで疑問
が及ぶとしたらその問いには答えようがないのだが。

渡邉恒雄は読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆、
いまでも現役の新聞記者である。
報道の使命についてわたしは真実を世の中へ伝え、自ら発
信する情報をもとに世の中のひとびとがより良い生活をおく
られることができるよう努力することだと考えている。
しかし、渡邉氏にとってそんなことはまったく無関係である。
彼は政界に自分の意見がいかに効果的に影響を与えるか
を考えて発言・行動している。
渡邉恒雄という人物は“政治家より政治力のある記者”を初
めからめざしていたのではないだろうか?
まさに『第三の権力』、福田・小沢会談でうわさされる渡邉氏
の関与、彼自身は政権をとることはなくとも、彼の目指してい
る政治体制を“政治的な”手段で得ようとしている。
彼は新聞記者に与えられた役割を途方もなく広く解釈し、マ
ス・メディアのあるべき姿に歪みを与えた。

しかし、いまのところ彼の言動をコントロールできるものは“政
治的に”いないのである。大問題だ。

このことについて、いまだ誤解をされている方が多いようなので
簡単にお話したいと思います。
まず『天下り』の恩恵に与る公務員は、いわゆる『キャリア官僚』
だけです。キャリア官僚のポストは上へ上がるに連れてピラミッド
式に少なくなっていきます。
そこで出世レースからこぼれた官僚は“肩たたき”に遭い、辞め
させられます。
そのかわり各省庁ではそのような退職官僚に対し、関連する民
間企業や特殊法人・公社・公団・団体などの職を斡旋・仲介しま
す。
これが一般的に言う『天下り』です。
しかし、前置きしたようにこのような慣行があるのはキャリア官僚
だけです。他の大多数の職員は定年まで各省庁で働き、辞めて
いきます。
もちろん職の斡旋・仲介などの恩恵は受けられません。
世間一般的にどうもそのあたりが誤解されているような気がしま
す。

ただ、正直な話民間では使い物にならない職員が辞めさせられず
はびこっているのも事実です。
しかし、多くの職員は真面目に働いています。民間のように残業も
するし、ときには徹夜・休日出勤もします。
なかには縁故で採用になる場合もあるかもしれませんが、ほとんど
の職員は試験に合格して採用になっています。

わたし自身も単に公務員出身だからという理由で民間への就職活
動の際ひどい中傷を受けたことがあります。
もっともその会社はそのことを忘れて、のちにわたしをスカウトしてき
ましたが。

連日報道される守屋前防衛事務次官の山田洋行との不適切な
交友関係。小池百合子前防衛相は人事問題で揺れたあの時点
でもう守屋氏が事務次官として不適切な人材だとわかっていた
んでしょうね。そう考えると、小池さんは少々先走りすぎたかもし
れないけど、適切な人事をしようとしていたとも考えられます。

小池さんはわれわれが思う以上に切れ者かもしれない。

韓国野党のリーダーだった金大中氏が東京都内のホテルで
拉致され、5日後にソウルの自宅近くで開放されたいわゆる
『金大中事件』に韓国の政府当局が深く関与していたことが
明るみになった。
日本政府には謝罪要求の動きがあるが、朴正熙の軍事政権
時代に起きたことであり、いったんは“政治決着”している
問題だ。しかしこの“政治決着”こそがこの事件の真相解明
を妨げたとして、調査委は日本政府に遺憾の意を表した。

乱暴な言い方をしてしまえば、北も南も拉致という手段は常套的
なものなのかもしれない。もちろん金大中事件は軍事政権下の
73年に起きた出来事であり、韓国のいまの政治的風土は大きく
変わっている。しかし日本から見て、拉致被害に対する韓国側の
北朝鮮への姿勢があまりおもてだたないのはこのようなことが大
きく影響しているのではと思う。

日本政府はどんな対応をするのか、それによって今後の日韓関
係は大きく変わってくるだろう。

飲酒運転をして追突事故を起こしたうえ、相手の男性を
拳銃で射殺したとして殺人罪に問われていた男に無期
懲役の判決が言い渡された。
男は元暴力団員で事件当時、飲酒のうえ覚せい剤を使
用し、車も無車検、無保険だった。

弁護士が被告の罪が逃れられないとみるときの弁護の
パターンは

1.被告は犯行時、心神喪失状態か心身耗弱状態だった。
2.犯行に計画性がない。衝動的な犯行だ。
3.被告に同情すべき家庭環境がある。

だいたいこの三つでなんとか取り繕っている。
今回は1か2のケースだ。
死刑の是非はともかく、このような犯罪を極刑に処さず
してなにを極刑とするのだろう? このケースでは3人以
上の殺人は死刑という判例にこだわる必要はないので
はないだろうか?
被告の行為はあまりにも身勝手すぎる。

よく流暢な日本語を話し、日本文化にも深い理解のある外国人
に対して、思わず「まるで日本人みたいですね」と言ってしまうこ
とがある。
一見褒め言葉のように聞こえるが、このようなことを言うことには
慎重にならなければいけない。
彼らは日本について深い理解があったとしてもやはり母国人とし
てのアイデンティティは失っていないはずだからである。

よくテレビニュースでのデモについての報道で、他国の国旗を燃
やす行為が映し出される。このような行為は国際儀礼として断じ
て許されない行為である。国そのものとその国の為政者の行為
は分けて考えなければならない。
国旗を燃やす行為はその国の国民への侮辱である、とわたしは
考える。

学歴詐称

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大阪市や横浜市で市職員の採用時における学歴詐称の事実が
相当数の人数におよぶことが先日話題になった。
たしかに学歴を偽ることはよくないことだが、そもそも高学歴を理
由に受験資格を奪うというのはどうなのだろう?
高卒者の就職の機会を奪うというのなら、当時の大卒・短大卒の
就職状況だって厳しかったのだ。学歴相応の就職ができないひと
たちはたくさんいた。そういうひとたちはどこへ就職すればいいの
か?
決まりがある以上それに従わなかったことについては罰を受けて
しかるべきである。しかしそもそもその決まりに妥当性があるのか
わたしは疑問だ。

テレビのニュースを観ていると、単純な言いまちがいや、
スーパーの誤植などが目立つ。
新聞など活字メディアに比べて速報性が要求されるため
やむをえない部分もあるが、ニュースでたびたび使われ
る基本的な用語などはそれらが発表される最終過程ま
でに気づくべきなのではないだろうか。ニュース原稿であ
ればキャスターが読むまでに誰かが気づくべきだろうし、
スーパーであれば最終的に処理をしているにんげんがス
ーパーを出す前に誰かが気づくべきであろう。
報道に携わっている以上、ある程度ニュースに出てくる
ような問題にはどの過程のにんげんであってもアンテナを
張っているべきだ。
忙しいのはよくわかる、しかしそれ以上に報道にかかわる
にんげんとしての素養を持っていなければならない。

アジアカップで優勝したイラク代表チームがUAEに
立ち寄った際の歓迎式典で、旧フセイン政権時代の
国家が流れた。怒った選手たちは退席する騒ぎに
なったという。
日本ではあまり意識されないかもしれないが、多く
の国々にとって国歌・国旗は神聖なるものだ。よっ
てこれらの扱いには慎重を期する必要がある。
最近国内のスポーツイベントで、日本は著名な歌手
が国歌を独唱し、対戦国は吹奏のみというケースが
よくある。
その都度、どちらか一方に統一すべきだと思う。
国によっては不快に感じることもあるかも知れないか
らである。

困った贈り物

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中越沖地震の避難所用にアメリカ軍から届いたクーラーが
電圧の規格がアメリカ仕様のため使えず宙に浮いていると
いう。
アメリカ軍の善意には感謝するが、ふつうそういう基本的な
ことはあらかじめ確認するものだろう。
あくまでも極論として聞き流してほしいが、このことはアメリ
カがイラクでやっていることと共通する部分がないだろうか?
つまり『アメリカ式の民主主義(?)』がイラクでも通用して当
たり前と思っているふしがあるのではないかと思う。

規格ちがいのクーラーならまだ使いようはあるかもしれない
が、一国の政治制度はまったく別の話である。ブッシュ米大
統領にとってどこまでが想定内でどこまでが想定外なのか
聞きたいものである。

先日話題となった『段ボール入り肉まん』の報道が実は
“やらせ”だったことがわかった。
いったいなんの目的でそんなことをしたのか、不思議で
ならない。
この報道でだれが得をしたのだろう、日本のように視聴
率を稼ぐための策なのだろうか?

先日汚職官僚の死刑が執行されたという。この刑の重さ
もグローバルな基準からは説明のつかないことだ。

経済ばかりが大きくなって社会基盤が脆弱な体制が続
く中国。北京五輪よりもそのあとが危ぶまれる。

中国はどこへ行くのだろう?

マイ・レジバッグを使い始めて1ヶ月以上経つだろうか。
最初ははずかしかったが最近は徐々に慣れてきた。
こんなことで温室効果ガス排出削減に役立っていると
は思わない。ただ、確実にゴミになるものをもらう必要
はないだろうという考えだ。
やはり日常生活でおこなえる環境対策なんて効果はた
かが知れている。アメリカ、中国、インドなどの大量排
出国の政府が国家レベルで積極的に動かなければダ
メだろう。
対策の比較的進んでいるといわれている日本でも、京
都議定書で議決された12年までに90年比で6%の排
出量削減という目標達成も危ぶまれている。

地球温暖化はなかなか目に見えてそれが大きな環境
破壊につながることをイメージしにくい。
温室効果ガスの排出を削減するということが目的なので
はなく、地球環境を守るということが最大の目標なので
ある。

わたしはこの発言について第三者の立場から見て不適切
極まりないとは思えない。
「勝ち戦と分かっている時に原爆を使う必要があったかどう
か、という思いは今でもしているが」
という前置きの上で、
「戦争になった場合はあり得るのかなと(思う)」
と語っているのであって、現実問題として戦争になったらな
んでも許されてしまう当時の状況からしてあり得ると言って
いるのである。歴史上許される行為であったかということを
論じているのではない。あくまでも当時の状況(真珠湾攻撃
への報復心も含めて)からしてアメリカ軍の選択肢として原
爆投下もあったのだろうということを言っているのだと思う。

わたしの解釈は誤っているだろうか?

投票率が高いことはいいことなのだろうか?
わたしは候補者についてよく吟味せず、ただ国民の
権利だからといって、これといった裏づけもなく適当
な候補者に投票するくらいなら、その選挙は棄権し
たほうがいいと思っている。
候補者に十分な関心が持てなかったので棄権する、
これもある意味“選挙権の行使”だと思う。
“質の低い一票”を投じるくらいなら棄権したほうが
“質の高い選挙”になる。
もちろん一般的に投票率が低ければ、支持組織の
堅固な政党のほうが有利になることはよく知られて
いる。
投票率があまりに低いのも、利益誘導型の選挙に
なりやすく、国民全体が真に望む選挙結果ではなく
なる。
浮動票や組織票が少ない選挙ほど民意を反映した
ものになる。

少なくとも当日は雨でも降ったほうがいい。

温泉をくみ上げる施設でガス爆発が起こるなんて、ふつうの
ひとは考えないよな。
最初は管理者として落ち度はなかったなんて言ってたけど、
結果として天然ガスの恐ろしさを知らなかったという管理者
として致命的なミスを犯していたわけだ。
ただこの天然ガスの危険性、温泉業界でどれだけ認識され
ているのだろう? 知りたくなってきた。
少なくとも一般常識レベルではこんな危険性は知らない。
だとしたらそのことをこれまで業界に周知してこなかった行政
にも責任はあるのではないのか?
たとえば許可制にしてある程度の技術的なノウハウはもちろ
ん天然ガスの危険性などについての講習を受けてもらうとか。
そもそもガス検知器の設置が義務付けられていないというの
は明らかに行政の不作為だと思う。

公務員の実態

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公務員の使命とはなんだろうか?
総体的に言えば国民あるいは都道府県民・市区町村民
に対し全体の奉仕者として、かれらの基本的人権および
それに付随する権利の充実を図ることだといえるだろう。
しかしいまの公務員の職務は不備の多い法令に縛られ、
そのなかで創意工夫をしてサービスを図ろうとしても法令
がそれを許さなかったりする。
たとえば国立大学の授業料、生徒本人もしくは保護者に
銀行の振込用紙を送れば済むようにふつうは考える。
しかし国立大学(わたしがいた7年ほど前まで)は口座が
持てないのだ。それで学生に授業料引き落とし用の口座
を作らせそこから国庫へ引き落とす方式をとっていた。
学生や保護者に便宜を図ってやりたいのはやまやまなの
だが、法令上できることはそれが精一杯なのである。
月700円の寄宿料も自動引き落としにできないので本人
はもちろん連帯保証人にまで督促する。
1年ためても8,400円にもかかわらずである。

政府は公務員の人員削減を進めるなら、行政の効率化を
それ以上に進めなければいけない。
まじめな公務員ほど、実務と法令のはざまで路頭に迷って
いるのだ。

年金通帳

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民主党は納付記録の詳細を記載して受給額や受給時期を計算できる
ようにする『年金通帳』の導入を参院選のマニフェストに盛り込むことを
決めた。
これなら預金通帳と同じように年金保険料の払い込みの証拠になる。
これまでの『年金手帳』は非常にいい加減で、自分のものを見ても必要
と思われる記載がなかったりしている。
それでも支払った年金保険料が正しく記録されていればいいのだが。
とにかく今後支給漏れのようなことが起きないように『年金通帳』を導入
するのには賛成である。

未来についてはそれでいい、なによりも問題は“過去の清算”である。
社保庁の職員もたいへんだろう。公務員は使命感をもって働くひとほど
とことん働く羽目になる。そうでないひとは適当ですんでしまう。
いくら一所懸命働いても報われることはない。
役所とはそういうところだ。

たとえ介護福祉会社だからといって、ことさらに『顧客
最優先』を謳う必要はないと思う。
民間企業である以上、利益追求が最優先されるのは
当然だ。
それはどんな優良企業であろうと変わらない。
むしろ優良企業であるからこそ利益追求が最優先され
るのだと思う。
そうでない企業は大きくはならない。
実際民間の介護福祉会社としてシェアを寡占している
のはコムスンを含め数社しかない。あとはほとんど零
細企業である。
ここにひとつの問題が浮き彫りになる。
介護事業があまりにも“官”主体になりすぎているので
ある。
だからコムスンのような不正を行わなくては業界での大
きなシェアを勝ち取れない過当競争が民間では起こっ
てしまう。
介護士はたいへんな重労働にもかかわらずその対価は
安い。
ふつうにやれば当然企業の利益も多くはならない。
これは一企業のみの問題ではない。ともすれば国全体
の政策の基本方針にもかかわる問題である。
資本主義社会において国の福祉はどこまで踏み込んで
いけばいいのか、コムスンの投じた問題はそこまで大き
い。

韓国で発売された『嵐』のアルバムジャケットにあしらわれた
地図にかすかに『Sea of Japan』の文字が浮かんでいただ
けで、このジャケットは差し替えになった。
ネット上でこのことが国内で大きく取り上げられたからだ。
韓国での実情を知らない製作者側の無知もなんだが、改め
て隣国のナショナリズムの恐ろしさを感じる。
『東海』という呼称に独自性がないため、各国では国内だけ
で呼ばれている『東海』が多数存在する。
『日本海』のほうがただ単純にしっくりくる。
韓国・北朝鮮のひとにとってはおもしろくないかもしれないが、
国際的にひとつの呼称があてられる通例、また実際にグロー
バルに使用されている点からかんがみて、『日本海』の呼称
は国際的にはふさわしいのではないだろうか。

タバコの害

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タバコは「体によくないから」止めるべきなのか、それとも
「ほかのひとに迷惑がかかるから」止めるべきなのか。
メディアではどうも前者に比重がおかれている傾向がうか
がえる。
これにわたしは異議を唱える。自分の体のことについては
他人に迷惑がかからない限り自己責任であると思う。
むしろ後者のほうが大事で、喫煙とそれに付随する行為
(吸殻のポイ捨てなど)が多くの場合他人の迷惑になるこ
とをもっとアピールすべきである。

肺がんで死んでもいいひとはそれを承知で吸えばいいのだ。

こんなことがなければ、今年の流行語大賞は『ナントカ還元水』
になっていたことだろう。
ひとのこころのなかはわからないものだ。よほど面の皮が厚い
のだろうと思っていたひとがいとも簡単に自殺してしまった。

大臣にとって政治活動とはなんだったのだろう? 安部晋三総理
のめざす政治の方向性は不明確だけれどもなんとなくわかる。
しかし、松岡大臣の場合『政治とカネ』の問題以外には日本国外
の日本食レストランに対する認証制度の導入を発案しようとした
ことぐらいしか浮かばない。
安部総理はこのようなことになる前に大臣を辞めていただくべき
だったのではないのか?

これはひょっとしたら参院選、想定外の結果になることも否定で
きないのではないだろうか? 5000万件の年金不明金問題の
解決の見通しが立たなければ相当自民党はヤバいのではない
だろうか?

『インクルーシブ教育』とは障害のある子もできる限り地域の
学校の普通学級で授業を受けることをいう。
現在日本の学校教育制度は障害のある子を障害の種類と
程度によって健常児から原則として分離している。
この『分離別学』の基本方針を改め直そうという動きがある。
それが前述の『インクルーシブ教育』であるが、はたして
どの種類のどの程度の障害が普通学級での教育が可能な
のか線引きの問題は難しいところである。
インクルーシブ教育には障害者に普通の生活を保障するノー
マライゼーションの考え方を肯定するという前提がある。
しかし、障害者にとってそれは大きな負担にもなりうるわけで、
ノーマライゼーションの考えを障害者に無理に押し付けるよう
なことはあってはならない。障害者が自分の適応状態を表
現できるレベルならよいが、そうでない場合障害者に多大な
負担を課することになる。

いま、インクルーシブ教育はその理念が一人歩きして美化さ
れているような気がしてならない。障害者は障害者として見
られたほうが負担を感じず平穏に暮らせるケースもあるという
ことを忘れてはならない。

日本国憲法は60年間一度も改正されていない。
そもそも改正の手続きが定められていないのだから改正の
しようがない。
各国の憲法をみると頻繁に改正されているものもある。
わたしは基本的に改正しにくい憲法(硬性憲法)には賛成
である。
しかしそのためには時代に左右されない“普遍的な原理”
によって定められている必要がある。
その意味で現行憲法はこの60年間深い意味があったと思
う。
だが“普遍的な原理”を謳うということは条文の解釈に幅が
でてしまう恐れもある。それによって条文が有名無実化し、
時の政府によって都合のいい解釈をされる危険性をいつも
はらんでいるわけである。

現行憲法は施行60年を迎えた。条文の内容が未来を見据
えて優れていたのか、社会や国際情勢がたまたまマッチし
たのかはわたしにはよくわからない。しかし現首相は改憲
を現実に考えている。もし改憲が行われるなら、また何十年
も続くようなものを残したいものである。

少年法改正

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少年院に収容できる年齢を「おおむね12歳以上」とする
ことを盛り込んだ少年法とその関連法案が衆院で可決
された。
当初の政府案では収容できる年齢に下限を設けていな
かったが、与党が上記のように年齢制限を設けるよう修
正した。
確かに年齢で切るというのは合理的な方法なのかも知
れないが、にんげんの成長過程はひとそれぞれだ。
少年院送致を決定するかどうかは対象の少年の人間性
や犯罪の性質など多面的な角度で判断し決めればいい
と思う。年齢は考慮に入れるべきではない。
あくまでも更生を目的とする以上、少年院という場所での
教育がもっとも適していると判断した場合だ。

大人が考えている以上に子どもたちはあざとい。われわれ
の時代でもそうだったのだから、いまに及んではもっとそう
だろう。もちろん小学生の少年院送致などないに越したこ
とはないが。

わたしはこの手のキャッチフレーズが好きではない。
しょせんにんげんの活動によって生じることは地球
の活動の一部なのである。
にんげんはにんげんの価値観を守るために地球
温暖化を緩和しようとし、絶滅危惧種を守ろうとする
のである。
それはにんげんの行為によって起こった生態系の
変化は、にんげん自身がもとに戻すべきだという
価値観からもたらされる思想である。

地球自身は地球温暖化など屁とも思わないだろう。
氷河期よりはずっとましだと。
もちろんこんな擬人法はわたしは好きじゃない。

そもそも国が提言するものかという問題もあるが、提言の
中身には首を傾げたくなるものが多い。
全体的に言って教育上有益であると言う科学的な根拠に
乏しいのである。
たとえば、「子守歌を聞かせ、母乳で育児」という提言に
ついては『子守唄』がどのようなメカニズムで教育上効果
があるということは明らかにされていない。母乳で育児
することについても明白な効果は裏付けられていない。
提言を全体的に見てもまるで“井戸端会議”の結論みた
いなことを言っているだけだ。
そもそも教育再生会議が“井戸端会議”的な“ゆるい”
議論を前提としているふしはあるが、この『親学』の緊急
提言、はたして効果があるのだろうか?

特急車内強姦

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非常に痛ましい事件である。乗客たちはなぜ被害者
女性を救助する措置をとれなかったのだろう?

わたしにはある経験がある。
大学生のとき、夜中アパートで寝ていたわたしは
女性の泣き叫ぶ声を聞いた。女性が暴行されている
と思いこんだわたしは「みんな起きろ~」と叫んで
木製バットをもって外へ飛び出した。
結局、実際には男女が路上で口論していただけだった。
少し恥ずかしかったが、黙って部屋にいるよりは
行動に移してよかったと思っている。

先の事件、ことの成り行きを把握していた乗客は
複数いたはずだ。直接取り押さえることが無理なら
車掌なり、携帯電話で警察なりに伝えることはできた
はずだ。
日本人として、あまりに恥ずかしい事件だ。

娘の気持ち

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「本当にありがとうございました。父伊藤一長はこの程度の存在でしたか。父は浮かばれないと思います。残念です。父の愛する長崎でこんな仕打ちを受けるとは思いませんでした」

殺害された伊藤一長前長崎市長の娘優子さんの弁だが、
身内の不幸にかなり気が動転されているのはわかるが、
選挙に負けたのはあくまでも夫、父・伊藤一長ではない。
どうか冷静な判断力を取り戻してもらいたい。

市川でおきた事件とは直接関係ない話だが、日本語の
できないひとがはたして日本で満足に英会話講師が
務まるのだろうか?
少なくともわたしはそういうひとに英会話を教わりたくない。
意思疎通の問題もあるが、なによりも外国語会話を学ぶ
喜びや難しさを共有できないひとを信頼することができない
(英語以外の会話を学んでいないとしたらだが)。

『講師はみんな外国人』というキャッチフレーズ自体が
NOVAのインターナショナルな観点の欠如の表われ
だと思う。『外国人』をひとくくりにする感覚、英会話
学校に不似合いだと思う。『ネイティブ・スピーカー』
では難しすぎるのだろうか?

生保不払い

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生命保険各社の保険金・給付金不払いの事例が予想を
はるかに超える件数に達している。
このなかで三大疾病・入院などに特約で支払われる
保険金・給付金の不払いがかなりあるようだ。
わたしは正直、このケースでの不払いに関してあまり
同情的になれない。保険加入者は十分に契約の内容を
知っておくべきであり、支払いを受ける事象になった
ら自ら請求するというのが筋ではないのか。
日本では自ら調べて知識を得た上でないと各種行政
サービスを受けられないのがほとんどである。
わたしも辞めた共済組合から支給されるべき金銭を
無知のためもらい損ねた。その額はゆうに100万を
超える。もちろん共済組合から給付が受けられる旨の
説明はなかった。
もちろん行政と民間では事情が違うが、現代人は常に
どの状況で、適切な手続きをすべきか考えるべきでは
ないのか?
いろいろな事情はあるだろうが、このケースで給付を
受けられなかったひとは甘いと思う。

アメリカバージニア工科大学での銃乱射事件の容疑者の
姉が謝罪声明を公表した。
容疑者を凶行に駆り立てた本当の理由はわからない。
しかし姉自身もマイノリティーとして米社会において
必ずしも恵まれた環境で暮らしてきたわけではなかった
だろう。それなのにさらに今後この凶悪犯の姉として
生活していかなければいけない現実を思うと不憫で
ならない。

のどの病気で常時痰の吸引が必要な東京都東大和市の
青木鈴花ちゃんが今日から市内の小学校普通学級に
入学した。
市は当面、痰の吸引のために介助員を付き添わせるという。
鈴花ちゃん入学に関する今回の市側の努力は大いに
評価すべきであると思う。
自分で痰の吸引のできる鈴花ちゃんに介助員が必要
なくなる日はそう遠くないだろう。
しかし、これをもって軽度の身体的障害を持つ児童が
公立学校に受け入れられるとはただちにいえないだろう。
障害はケース・バイ・ケースであり、自治体で対応
できる環境もさまざまであるから、今回のようにどこの
自治体でも介助員をおくことができるとは限らない。
自治体によって対応にばらつきができることを承知
しなければならないだろう。
つまり今回のケースはすべての自治体に『義務』を
負わせたわけではないということを理解すべきであろう。

インフルエンザ患者がタミフルを飲んでいないのに異常行動を
おこす。
かと思うと、タミフルを飲んで異常行動をおこした患者がイン
フルエンザではないことがわかる。
となると原因は発熱のせいかと思ったら。タミフルを飲まず、
発熱のないインフルエンザの患者が異常行動をおこす(参照)。

なにがなんだかまったくわからない。異常行動の本当の原因は
いったいなんなのだろう?
インフルエンザ、タミフル、発熱、いずれも排他的な異常行動
の原因でないことはわかった。
にんげんの体の分子レベルで予期せぬ化学反応が起こっている
のであろう。

ただひとつ言えることは、体に不調のあるひとはなるべく独り
にしないことが事故を防ぐためにできる数少ない方法のひとつ
ということだ。

原発事故隠し

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いま全国各地の原発で原子炉の制御棒脱落事故が過去に
起きていたことが次々に明るみになっている。
なかには長時間におよぶ臨界事故もあり、幸い大事故に
は至らなかったものの、それらの事故は原発の安全性を
大いに脅かすものであった。
いずれの事故も作業員の単純な操作ミスから制御棒が
脱落するというもので、操作ミスを想定した安全装置の
不備など設備の構造的な欠陥といわざるを得ない。
もし早い段階で事故の情報がわかっていれば、この種の
事故はこれほど発生しなかったであろう。
さて、これらの事故の対策だが、操作ミスによる制御棒
脱落は安全装置の設置などでおそらく設備の改良で対処
できるだろう。これで同種の事故は防げる。
次に既知のものとは異なる事故が起きた場合だが、報告
する範囲を厳格化し、さらに隠蔽などがあった場合の
罰則を強化することだろう。
しかし、ただ罰則を強化するだけではかえって隠蔽体質
は強くなるだろう。そこで名古屋地下鉄談合で脚光を
あびたリーニエンシー制度を取り入れてはどうだろうか?
つまり事故を自らただちに報告した場合と、隠蔽後発覚
した場合では罰則に差をつける制度にするのである。
このリーニエンシー制度に代表される司法取引、日本でも
積極的に活用してもいいと思うのだが、日本の風土には
合わないのだろうか?

最近深刻な問題として取り上げられている『学級崩壊』、
じつはわたしも小学生時代経験している。
きっかけはもとの担任が産休にはいったことだった。
代わりに来た教員はクラスをまとめることができず、
授業中に抜け出す児童、それを追いかけて教室を飛び
出す児童、さらにそれを追いかける教員と残された
児童で無秩序な状態になる日が続出した。
結局このクラスをなんとか治めることができる教員が
来るまで3回くらい担任が代わった。
当時は『学級崩壊』という言葉はなかったが、あの状態
は紛れもなく『学級崩壊』であった。
わたしもそのなかで中心的な役割をしていた。いま
思えば、我々を担当した先生方にはたいへん申し訳ない
ことをしたと思うが、一方で“適任である”教員が
担任につけばこの状況は収集がつくことから、教員の
教育技術が不足していたことは事実であろう。
しかし学校側も無策に過ぎたと思う。問題のある学級に
臨採教師を繰り返し担当させたのは適切だったのであろ
うか。他の適性のある教員を担当させていたらあの
ような最悪の状況にはならなかったのではないだろうか。

『教師は聖職』といわれるが、実際にはふつうのにんげん
と比べて指導力が優れているとは必ずしもいえない。
『学級崩壊』はひとりの(非力な)教員の力では解決
できない。

メディアの報道では、人員を削減される公務員の側から
の声が伝わってこない。今日は公務員の職務の実態に
ついて少し述べさせていただきたい。
わたしは事務職員だったので行政事務について述べさ
せていただく。

ご存知のように行政事務も法令に基づいて行われている。
この法令は絶対的な存在で、逆らうことは許されない。
法令では非常に細部まで規定されており、はじめのうちは
まずこの法令をマスターしながら日々の事務処理を平行
して行わなければならない。
いわば二またをかけながらの業務になるので、新しい担当
事務に代わるたびにこの時間のかかる二また作業をしなく
てはならない。
法令をマスターしないうちは当然担当者レベルで間違えた
処理もおこなわれてしまう。上司がそれを見つければいい
のだが、その業務についてまったく解っていない上司だと
そのまま“違法”な処理がおこなわれてしまう。
そして違法な処理が発覚し訂正することを組織は極端に
嫌う、これはまさに“お役所体質”と言っていいだろう。

そんなわけで公務員は皆さんの知らないところで黙々と
サービス残業をしているのである。
公務員を削減するなら職員の負担する職務も簡素化させな
ければ、公務員の仕事はキツくなるばかりだ。

スシ・ポリス

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農水省が検討していた海外の日本食レストランにいわゆる
”お墨付き”を付与する『日本食レストラン認証制度』は
国内外からの激しい批判のため、民間団体が主体の組織が
『推奨マーク』を与える方式に軟化させることになった。
農水省の有識者会議の方々は日本のラーメンやカレーを
どう考えているのだろう? それぞれ日本人の口に合うよう
にアレンジされ、旨い店もあればまずい店もある。その
基準は本場の味付けに忠実かどうかではない。海外の日本
食も同じことだ。要はその土地のひとびとに愛されれば
よいのである。日本食レストランが日本人だけを相手に
しているわけではないのだ。
そんな狭い視野では日本の食文化は世界に発展しない。
むしろ世界中で日本食を自国風にアレンジされたものが
とびきり美味しく調理されて広まったら日本にとってすば
らしいことではないか。

タミフル再考

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インフルエンザの特効薬である『タミフル』の服用により異常
行動を誘引している可能性を以前から指摘されている。
しかし現段階の調査では統計的なものしか報道されていない。
インフルエンザの症例のひとつとして異常行動が起きている
可能性も依然として大きい状態だ。
インフルエンザは高熱を伴い、体の弱っている方々には命に
かかわる病気である。
そういう方々にはタミフルの処方はたいへん大きな治療効果
がある。
わたしもインフルエンザに罹った経験はあるが、高熱に侵され
ると確かに意識が不明瞭になり、不思議な精神状態に陥った。

結局のところ異常行動がタミフルの服用によっておこっている
のか、インフルエンザそのものの症例のひとつなのか医学的
に明らかにされていないにもかかわらず、マスメディアによる
報道が先行していたずらにタミフルの危険性を煽っている節が
ある。
しかしタミフルが危険だとする情報は無視できない。確かな研究
機関がタミフルの安全性を証明するまで監督者の伴わない状況
でのタミフルの服用は避けるべきではないだろうか。

わたしは中学生時代、授業中私語ばっかりしていたので
よく正座をさせられていた。
さすがに正座をさせられると悪いことをしたなとその場は
反省するのだが、数日後にはまた同じことをする、そんな
繰り返しだった。
歳月は過ぎていまの教育現場はどうなっているのだろう?
体罰が問題になっているのは耳に入ってはいるが、わたし
は体罰とは『殴る』、『蹴る』の暴力的制裁のことだと
ばかり思っていたが、『正座』や『掃除』さらには『廊下
に立たす』ような行為も体罰にはいるらしい。
いまの教育現場の空気がわからないので最終的な理論付け
は避けたいが、あまりにも体罰を広く扱いすぎてはいない
だろうか?
教育への意欲の乏しい教員が生徒の問題行動に対してなんの
罰も下さずしたがってお咎めなしで、意欲ある教員の『指導』
が教育委員会・PTAなどで問題になる、なんか変だと思う。

最後に念を押しますが現在の教育現場の雰囲気がわからない
上での発言です。

「女性は産む機械」と言ったいわゆる『柳沢発言』についてですが、
そのことについて述べる前に、わたしはすでに申し上げているように、
彼は厚労大臣にふさわしくないと思っています。
それはこの発言が理由ではなく『ホワイトカラー・エグゼンプション
(いわゆる残業代ゼロ)』法案を日本に導入しようとした人物だから
です。

そのことはおいといて、まず大臣の例の発言についてですが、大臣は
1935年生まれ、71歳です。
女性が参政権を得るのは1946年のことですから、彼は幼少時代の
11年間その体制のなかで(しかも戦中)育ったのです。
そして戦後は「産めよ、増やせよ」と文字通り女性が“機械”のように
扱われた時代を経ているわけです。
そうやって育ったひとのこころのどこかに“男尊女卑”の思想があった
としても仕方がない気がわたしはします。
もちろんそのような時代を経ながらも立派な思想をお持ちの男性政治家
はいると思いますが、おそらく少数派でしょう。

また例の発言は文脈上意識的に女性蔑視を意図して発言されたものでは
ありません。
さらに“機械”発言のすぐあと謝罪しています。決して開き直っては
いません。

いずれにせよ大臣として言葉のセンスがないことは疑いがありませんが
少なくとも大臣は意図的に女性蔑視のためにこの言葉を使ったのでは
ないということを知っていただきたい。

いま教育再生会議でもゆとり教育が見直される方向で議論が
なされている。
そもそも基礎学力の低下の元凶がゆとり教育なのだろうか?
公立小中学校にはさまざまな学力レベルをもった児童・生徒
がいる。そのなかで必要最低限の学力をつけさせ、残った
時間は各自それぞれの自由な時間にあてる、そのことで個性
のある児童・生徒を育成するということではなかったか?
必要最低限の学力をすべての児童・生徒につけさせることは
容易ではない。学力が底辺の児童・生徒に指導をあわせれば
当然できる児童・生徒にとっては時間の浪費を感じることに
なる。そういう児童・生徒は塾へ行って学力を補うことになる。
公立学校の性質上それは仕方ないことだと思う。学力低下を
示す裏づけとなったのは、経済協力開発機構(OECD)が2003
年に世界各国の15歳の生徒を対象に行った学習到達度調査で、
日本の順位が下がったことにあるが、そもそも学力の平均水準
を上げることを目的にゆとり教育がはじめられたのではない
のではないか。成績優秀な児童・生徒への指導を強化すれば
平均値は伸びる。いっぽう底辺にいる児童・生徒への教育には
忍耐強い指導が必要になる。当然後者のほうが学力の平均水準
を上げるという面から見れば効率が悪い。しかし国として本当
に意味があるのは後者に重点を置いた教育なのではないのか?
以前「分数ができない大学生」というのが話題になった。思う
に、この大学生たちはもともと分数計算ができなかったわけ
ではないと思う。受験において数学が必要でないと見切った
時点で学校教育のカリキュラムが数学を本腰で学習しなくても
よいものになっていて、結果文系学生に数学的思考を不要に
したからだと思う。ゆとり教育とは関係ないと思う。

大人と同じように週休二日で学校へ行き、二日間は好きなこと
をやる。勉強でもスポーツでもいい。これが本来の姿なのでは
ないだろうか?

ノルウェーのオスロで行われていたクラスター爆弾に
ついての会議はいちおう『オスロ宣言』というかたちで
結実した。
これについてクラスター爆弾を所持している日本は宣言
への支持を見送った。
今回の宣言の採択は早急すぎるという意見も多くあったが、
少なくとも日本は宣言に対し、支持を表明すべきだったと
思う。クラスター爆弾の非人道性はいまさら語るまでも
なく、日本を取り巻く現状を加味してもこのような兵器
が必要であるとは思えない。
また、世界に対する日本の示す姿勢としてもクラスター
爆弾の早期放棄は非常に意味のあることだと思う。それが
これだけ多くの国とNGOのなかで、たった3ヶ国の
不支持のなかの一国になったことは恥ずべきことである。

今後、条約が制定された場合は、日本国として速やかに
参加することを望んでやまない。

北方領土、尖閣諸島、竹島など、日本にはまだ未解決な
領土問題が存在する。
どちらの国も自国に有利な史実しか主張しないので、
第三者的にみればどちらとも判断がつかないのが現実だろう。
そこでどうだろう? 領土という概念を根本から変えてみては。
つまりこれまでの“領土は排他的”というものではなく、
“共有しうるもの”と考えるのである。
共有となると資源の利用や治安の維持など難しい問題もあるが、
過去の史実を完全に廃し、あらたにまったく平等な条件で
領土に関する条約を作成すれば可能なのではないだろうか?

いまの状態では既成事実を先に作ったものが勝ちという
状態で、場合によっては大きな問題を起こしかねない。
この案が21世紀的な新たな解決策にならないだろうか?
難しいことはわかっている。

今日、民主党の小沢代表が事務所費を公開した。
このことがニュースになるのは、政治家の資金管理団体
の事務所費が領収書のいらない経費という扱いとされて
いるためだが、われわれだって事業を営む身となれば、
さまざまな必要経費を必要とするし、それを税務署に
認めてもらうために領収書をもらう。
税務署に問われればそれらを示さなければならない。
業務に必要な接待費などはワリカンなどで出金伝票で
済む場合があるが、税務署職員の目は当然厳しくなる。
事務所費の件は税務上も問題があるのだ。
ましてや事務所費は政治活動に無関係であるはずがない。
われわれでも問われることがなぜ国政をつかさどる身の
ものがノーチェックなのだろうか?
民主党は一万円以上の事務所費については領収書の添付
を義務付ける方針を打ち出したが、ぜひその支出金額に
ついても規制していただきたい。また、『経常経費』と
『政治活動費』の定義についても明確にしていただきたい。

世の中には学校で教えてくれない大事なことがたくさんある。
たとえばどこかでバイトをして給与収入を得たとする。
給与からはふつう所得税が天引きされている。その支払元が
年末調整でもしないかぎり所得税は過払いされていることが
多い。それらは確定申告することによって還付されるのだが、
そういうことはふつうはだれも教えてくれない。
大学進学などで引越しをした場合、転出届や転入届などを
役所でしなければいけないが、これもだれも教えてくれない。
わたしは就職するまで実家の住所のままでいた。
一時期話題になった国民年金未納問題も本人のモラルという
よりも、そういった生活に必要な手続きを社会で教えない
システムに問題があると思う。
わたしはある程度そういうことは学校で教えるべきだと思う。
高校をでて遠隔地の大学や専門学校に進む生徒のために、
高校は必要な諸手続きについて指導すべきだと思う。
大学では20歳以上は国民年金に強制加入させられることを
なんらかのかたちで教えるべきだと思う。
せめて小冊子ぐらい作って配布してほしいものである。

自転車は歩道、車道どちらを通るのが正しい?
答えは原則が車道。青丸の標識があるところのみ
歩道を通ってよいということになっている。
われわれの感覚からすると車道なんて危なくて
自転車で通れない。しかも自動車を運転する側
からみても危なっかしい。
最善策は自転車専用車線を造ることだが、ご存知
のとおり日本の道路は狭い。これは現実的な策で
はない。
となると自転車は歩道を通るとして、制限速度
(あるのか?)の遵守、その他危険行為を禁止
することぐらいしかないのかなぁ。
別に自転車が悪いわけではないのに。

地方の時代へ

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むかしこんな話を聞いたことがある。人口の集中する都市は
渋滞やラッシュなどで次第に生活が不便になる。すると行政
や市場はその不便を解消すべく道路を増やしたり、路線を
増やしたりする。そして一時問題は解決される。
しかし、しばらくすると都市は生活しやすくなったため、
さらに人口が流入し、また渋滞・ラッシュがひどくなる。
そんなイタチごっこが、いまの東京およびその近郊をつくり
出したのだと。
なるほど、ではどうすれば解決するのか? まず都会よりも
地方のほうが住みやすくしなければならないだろう。
むかし同じようなことを考えたひとがいた。田中角栄元総理
である。彼は日本中を高速道路や新幹線の網の目に結べば
地方のハンディはなくなるだろうと考えた。しかし例の金脈
問題で計画は順調に進まず、最終的に計画は大きく縮小される
こととなった。
地方と都市の問題、これこそ“市場原理”では解決し得ない
問題ではないだろうか? 一部の自治体で行政改革に成功して
いるという話を聞くが、自治体職員が官舎の掃除をするとか
どうも本質的なものには聞こえない(野良仕事なら国立大学
職員だってやっていた)。本来ならもっと議論されなければ
ならない問題だろう。

キム・ジョンイルの長男キム・ジョンナムが北京に
現れた際、ある日本人記者が「日本語話せますか?」
と彼に尋ねていた。
場所は北京、相手は朝鮮人なのに日本語でインタビュー
をしようというのである。
無礼だと思わないのか? 仮にも相手は一国の要人
なのだぞ。
一般人ならともかく、報道記者としてならそれなりの
振る舞いをしてほしいものである。
海外でならなおさらだ。

ダイエットをしている女性のほとんどが実は“やせすぎ”
であるという話がメディアでよく話題になる。
“やせすぎ”の基準は“健康的な”体形からみてどうか
ということで、「無理なダイエットは体によくない」としば
しば結論づけられている。
しかしそもそも多くの女性は“健康”のためにダイエット
をするわけではない。“(彼女らにとって)魅力的なスタ
イル”を目指すわけである。
これはなにも女性に限らず、男性にも少なからずみら
れる傾向のような気がする。
価値観の多様化した今日、あえて“不健康”なことを目
指したっていいじゃないか。“健康”ばかりが幸せじゃ
ない。
ということで、わたしは「ポンッ、キュッ、ポンッ」を応援
します。

不毛な議論

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柳沢厚生労働大臣の『産む機械』発言がきっかけで
国会において不毛な議論が繰り広がれている。
確かに発言は不適切かもしれない。しかしどうあれ
本人は謝罪の態度を示しているのである。
「なにが悪かったかと思っているのか?」という
質問はナンセンスである。
閣僚も内心までは拘束されないはずである。
大臣がどんなに差別的な認識を持っていたとしても
おもてに出さなければいい。
現に大臣は何度も謝罪している。

事務所費問題といい、いまの国会はあまりにも低レ
ベルな論戦に終始している。
こんなんでいいのか?

犯罪とマナー

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最寄り駅の周辺が禁煙区域になってだいぶ経つが、
いっこうに歩きタバコのやむ気配はない。
喫煙派と禁煙派を分けて一般的なマナーや法遵守
の意識について統計をとったらきっと大きな差が
でるだろう。
最近はこの自治体のように法的に規制をする地域
も増えてはいるが、JTのCMのキャッチは、

「あなたが気づけばマナーは変わる。」

すでに路上喫煙は“犯罪”なのである。個々人の
マナーに託すのはおかしい。JTの企業としての
自覚のなさを感じずにはいられない。

ひとむかし前、夏の消費電力が上がるのは、みんなが
高校野球を観るからだという説が本気で信じられていた。
ていうか、まだ信じているひとは多いようだ。
少し考えれば、生産業やオフィスで使う電力と比較して
テレビや家庭用クーラーの消費電力などたかが知れてる
ことは気づくのだが、マスメディアのような“信頼された”
機関に言われるとつい信じてしまうのがにんげんの心理
のようだ。
『発掘! あるある大辞典』の一連の騒動もそんな大衆
心理に巧みにつけこもうとしたテレビ番組制作会社が
おこしたわけだが、一番組制作会社がそんな危険をはら
んだ行為を独断でできるのだろうか?
テレビ局側から有形無形のプレッシャーがあったのでは
ないだろうか?

秋田の幼児殺害事件に関する報道機関の取材態度が
一般住民との間でトラブルになったことがある。
マスメディアが『報道の自由』を盾に横暴な行為をする
ことを許してはならない。
わたしは報道機関の行為を監視するオンブズマン的な
機関が必要なのではと考える。
実際にはかなり困難なことだと思うが、いまのメディア
には公権力以外の監視機関が必要だと思う。
いまのままではマスメディアが国を動かしかねない。

「マスコミでとりあげられたため、納豆が品薄に
なっています。ご迷惑をおかけして申し訳ありま
せん。」と、最近のスーパーの納豆コーナーには
張り紙がしてあった。
今日の朝刊を見て、やっとその理由がわかった。
仮にねつ造がなかったとしても、ちょこっとテレビ
で効能を紹介しただけで、商品がバカ売れし、
値段も高騰するというのは消費者サイドもどうかと
思う。改めてマスメディアの影響力は絶大なのだな
と知らされた思いだ。

世論なんて簡単に操れるのではないか?

そんな懐疑心を多くのひとが思って当然だし、実際
そうかもしれない。
ヒトラーは大衆民主主義の恐ろしさをなんら加味
していないあまりにも性善説的なワイマール憲法
体制化で勢力を拡大していったのである。

あるある大辞典の話から大きく飛躍したが、政策に
関する具体的な明言を避け、抽象的でイメージの
よい言葉に頼ろうとするいまの安部政権を危うく
感じるのはわたしだけだろうか?

もうひとつ、『ネット情報』が世論に与える影響を
われわれは襟を正して考察しなくてはならない。
『ネット情報』は今後ますます世論形成の重要な
役割を果たすと思う。
『ネット社会』においてなにが“正論”なのかを判断
するのは非常に難しい。わたしがいままで書いて
きたことも“正論”ばかりではないであろう。しかし
それを判断するのはわたしではなくて受け手の
側だ。実際反対意見も受けてきた。それはまったく
正常なことで、わたしはそのような反対意見も掲載
することで、他のROMのひとたちに判断材料を
提供しているつもりである。
だから反対意見があればぜひコメントしてほしい。

もうほとんど忘れかけていた事件だが、なぜか思い出したので
ここに書きたい。

事件に関し、報道陣の追及を受けた当時の石川哲郎雪印社長は
「私は寝てないんだよ。」と言い放った。
それに対し報道陣からはある記者が「こっちだって寝てないん
ですよ。そんなこと言ったら!」と猛反発した。

そのときわたしは石川社長より言い返した記者に猛烈に腹が
立った。
社長は役職柄寝ることは許されない。だが記者は交代して
取材すればいい話じゃないか。自分の会社のシフト管理の
不備を社長に八つ当たりするとはどういう了見だ。
『報道の自由』の建前のもと、不祥事の責任をとって陣頭指揮に
あたる社長があのように発言するまで精神的に追い詰める権利が
彼らにあるのか?
記者なら無意味に現場にたむろしないでもっと多角的な角度で
事件の真相を捉える取材をしろ。

以前マスメディアの使命とは何か問うたことがあるが(参照)、
日本のマスメディアの『現場主義』はまったく変わっていない。
むしろ『現場主義』を美化する風潮さえある。
もちろんそれも大事だ。しかしそれだけでは事件の全体像は
見えない。
そのことをわたしは強くマスメディアに提言したい。

ヤンキー先生こと、義家弘介さんの存在が教育再生会議でも
際立っている。
やはり教師として現場の実態を知っていること、そしてなに
よりも自身の学生時代の経験が彼の発言を意味あるものに
していると思う。
わたしは基本的にヤンキーは嫌いだが、こうして自分の経験を
生かして社会に還元できるひとはそういないと思う。
ただしヤンキー時代の清算として社会からそれ相当の罰を
受けてからでなければ、真に更生したとしてこういった職に
つくことは許されないと思う。
まわりにありったけ迷惑をかけといて、はい改めましたと
勝手にまともなにんげんになったというのはちがうと思う。
いじめもいっしょで、いじめた側はいじめを止めた後も
厳しい制裁を受けてはじめて問題は解決する、そういうもの
だと思う。

義家氏が社会からそれ相当の罰を受けたかどうかは分からない
が、少なくともいま社会において貴重な存在として自己の経験を
生かしていることはわたしも評価している。

教育再生会議はいじめをした児童・生徒に対して、学校が
「毅然とした対応をとる」ことを柱の一つとした緊急提言
をまとめた。
しかしそのような対応をとるかどうかの判断をする主体は
学校である。いじめによる自殺がないと報告し続けた学校
に自浄能力があるのか甚だ疑問だ。
提言にははっきり触れられていないが、『毅然とした対応』
とは、『出席停止』を念頭に置き、例として『社会奉仕、
個別指導、別教室での授業』などを指しているという。

本当に学校だけでそんなことができるのだろうか?
仮に可能だとして本当にいじめは軽減されるのだろうか?

思うに、いじめのパターンはそんなに多くはないはずだ。
いじめの実態をよく研究すれば、いじめる側、いじめられ
る側にどんな措置が適切かはパターン化されると思う。
個別指導という方法をとるなら、いじめのパターンにあっ
た指導方法までマニュアル化する努力をすべきであろう。

以前にも言ったが、いじめが自殺を引き起こすようなケー
スは『刑事事件』として警察が捜査すべきだと思う。

朝日新聞ではこんなタイトルでいままでに数人のひとの
コラムを連載している。
今回紹介したいのは劇作家・鴻上尚史さんのものである。

あなたが今、いじめられているのなら、今日、学校に行かなくていいのです。
あなたに、まず、してほしいのは、学校から逃げることです。逃げて、逃げて、とことん逃げ続けることです。学校に行かない自分をせめる必要はありません。大人だって、会社がいやになったら、会社から逃げているのです。
次にあなたにしてほしいのは、絶対に死なないことです。
そのために、自分がどんなにひどくいじめられているか、周りにアピールしましょう。思い切って、「遺書」を書き、台所のテーブルにおいて、外出しましょう。学校に行かず、1日ブラブラして、大人に心配をかけましょう。そして、死にきれなかったと家にもどるのです。
それでも、あなたの親があなたを無視するのなら、学校あてに送りましょう。あなたをいじめている人の名前と、あなたの名前を書いて送るのです。
はずかしがることはありません。その学校から、ちゃんと逃げるために、「遺書」を送るのです。
死んでも、安らぎはありません。死んでも、いじめたやつらは、絶対に反省しません。
あなたは、「遺書」を書くことで、死なないで逃げるのです。
だいじょうぶ。この世の中は、あなたが思うより、ずっと広いのです。
あなたが安心して生活できる場所が、ぜったいにあります。それは小さな村か南の島かもしれませんが、きっとあります。
僕は、南の島でなんとか生きのびた小学生を何人も見てきました。
どうか、勇気を持って逃げてください。

どうだろうか?
鴻上氏は非難覚悟でこのコラムを書いたと思うが、
わたしは自殺回避方法の本質を捉えていると思う。
過剰なストレスはにんげんの思考を誤らせる。
もっというとストレスはうつ状態、さらにはうつ病
へと至らしめる。
だからストレスを軽減することが自殺を防ぐ
いちばんの解決策だと思う。
いじめに立ち向かう必要などない。
“にんげんらしく”、いやなことからは逃げれば
いいのだ。

学力テストの結果によって区立小中学校の予算に差をつける
方針を立てていた東京都足立区はこの方針を撤回することを
決めた。
この方針が学校間の学力格差を解消しようとする目的ならば、
この撤回は正解だと思う。
残念だが学力格差の根底にあるものは地域格差そのもので
あることが現実だからである。
どんなに優れた教師でも児童・生徒の学力を向上させること
には限度がある。もともと基礎学力が低い地域の学校にとっては
もうその時点でハンディを背負っているのである。
逆にもともと基礎学力の高い地域の学校はこの方針だと潤沢な
予算の恩恵を受け、ますます学力が伸びる土壌が育つことになる。
目指したことと逆の結果が起こるに決まっている。
むしろ学力が低い学校ほど多くの予算を傾けるべきじゃないのか?
それとも区全体の平均点さえあがればいいと考えているのか?

教育行政は最終的には児童・生徒のためになされなくてはならない。
足立区の学力テストの成績が23区中最下位だったことなど
彼らには関係ないのである。
その前に足立区教委はいじめの実態を徹底的に調査したのか?
今はいじめ対策こそ先決事項であるはずだ。

いじめによる自殺のあった福岡県内の中学校で
加害者グループの生徒たちが事件後も別の生徒を
いじめていたことが分かった。
ひとの死によっても改心することができない生徒に
現状の学校、教委、保護者の枠組みだけで解決
できるはずはないのではないだろうか?

いじめがなくなれば万事解決ではないはずだ。
ひとつの尊い命を奪ったものには罰を与え悔い改め
させねばならない。
それで初めて問題は一段落するのだと思う。
そう、あくまでも一段落。そのあとにいじめのない
状態を維持するシステムが校内に構築されている
必要がある。

後者については前述の三者による研磨により改革
していくほかないだろう。しかし前者については
以前述べたように警察の関与がなければ難しい
のではないか。

それにはふたつの壁がある。
ひとつは学校がいわゆる“治外法権”になっている
こと。しかしこれは学校側が積極的に警察の捜査に
協力すればよい。
もうひとつは、今回の件のような“言葉の暴力”を
『傷害罪』として立件できるかどうかである。
いままでの判例をみると難しいかもしれないが
こういうものも犯罪として認めていかないと今後
ますますこの手の被害は増えていくと思うし、実際
被害者の受けたダメージは“物理的な暴力”に匹敵
するものだと思う。

この問題は緊急を要する問題なのだ。今にでも首を
吊ろうとしている児童・生徒がいるかもしれないのだ。
学校や教委を叩いているだけではこの問題はなにも
解決しない。
政府も指導的立場で上記の案を取り入れ実行させて
ほしい。

いじめとうつ病

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昨日の続きになるが、いじめの体験は最悪自殺にもつながる
深刻な問題である。
本人から『自殺念慮』が少しでもうかがえるようなら、
『うつ病』にかかっていることが考えられるので、早めに
心療内科か精神科に診てもらったほうがいいと思う。
うつ病は基本的に薬物療法で治る病気である。
うつ病にかかると思考がネガティブになり、些細なことでも
死に結びついてしまうようなメンタリティーになってしまう。
しばらく学校を休んで薬を飲みながら療養することで、
ものごとの考え方はガラリと変わるものだ。
しかし、『うつ病』に至らしめた原因が解決しなければ。
復帰したとき、またぶり返しになる可能性は高い。
実際にかかった医者や養護教諭と相談して解決策を練ることだ。
そして味方になる生徒を見つけよう。味方を多く見つけられる
ようなひとは、本来いじめられるようなひとじゃないんだ。
加害者のことを伏せておきたい気持ちはわかる。チクったら
余計いじめられると思うのもわかる。でも相手もたかだか
にんげんだ。本当に信用できて、この問題にかかわることの
できる大人がいたら、加害者のことを話すといいと思う。
もちろんひと頼みだけじゃなくて自分なりにできる対策を
実行しよう。
暴力や恐喝だったら警察にいったっていいんだ。

とにかくひとりで背負い込まないで。いじめは一生続くもの
じゃないんだ。

保健室の活用化

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各地で『いじめ』による自殺があとをたたない。
いまに及んで急激に件数が増えたようにもみえる
が、実際にはいままで組織的に隠蔽されてきたの
が明るみになってきただけのことだと思う。
社会としてこれはなんとしても早く対応しなけれ
ばいけない。

わたしが思うに、いちばんの問題は相談しやすい
“大人の”相談相手が身近にいないということだ。
具体的にはカウンセリング能力に長けた養護教諭
を配置することが有効だと思う。
併せて保健室の役割を児童・生徒たちに周知させ
る必要もあろう。

わたしは中学生のとき腹をこわして保健室に休憩
させてもらったことがある。
そこにはヤンキーぽい女生徒が数人と気弱そうな
生徒(男か女は忘れてしまった)がいた。
ヤンキー姉ちゃんたちは養護教諭としばらく雑談
して、先生の「は~い、戻りなさい。」の声で
教室へ戻っていった。
気弱そうな生徒はわたしが教室へ戻ったあとも
まだ保健室に残っていたようだ。

保健室をそういう空間にできる優れた養護教諭が
いるだけでも『いじめ』の問題にはかなりの効果
があるのではないかと思う。

なによりもひとりで悩ませないことが肝心だと思う。

実態が明らかになるほど問題の深刻さが明るみになる。
学校によっては履修科目の教員がひとりもいないケース
も考えられるわけだし、逆に簡単に対処できたとしたら
その教科の教員数はそれまでのカリキュラムでは過多
だったことになる。

なぜこんな事態になったのか?

学習指導要領が大学入試の実情にあっていないという
指摘、これは本質的な理由のひとつだろう。
だが現場の問題として受験のために生徒の卒業も危ぶ
まれる学習指導要領違反のカリキュラムにしなければ
ならなくなったのはなぜか?
メディアでもあまり論じられていない。

ただ単に学校側が進学実績を上げたかっただけなのか?
しかしわたしの出身校のように受験には無頓着な高校も
ある。
高校三年間でしかできないことをめいいっぱいやって
一年間予備校でがんばる。これがうちの高校の一般的な
考え方だった。
おそらくいま問題にあがっているの高校とはまったく
雰囲気がちがうのであろう。
あるいは実績をあげるよう学校に圧力をかける組織ある
いは人物が存在するとか。教委?、OB?

また、教育の中央集権化が原因だという意見もある。
ゆとり教育の実施によって時間数が減ったための苦肉の
策だといういい分である。
これもやはり進学実績の向上という目的のために学習
指導要領違反のいい訳をしている感は否めない。

正直、わたしには学校一丸となって進学実績を上げると
いう雰囲気が想像できないので、この問題の全体像を
つかめないでいる。
ただひとついえることは学習指導要領を守らせるだけ
では根本的な問題解決にはならないということだ。

昨今、イジメによる事件がおこるたびに、学校や教育委員会
関係者が批判の矢面に立っている。
確かに彼らの姿勢に問題は多い。犠牲者の立場に立って真摯に
この問題を受け止めているようには見えない。
しかし、問題の主体は本当に彼らであるのだろうか?
イジメがおこなわれていたなら、犠牲者以外の生徒の言動に
問題があったことは確かなわけである。
これはもはや“刑事事件”である。本来学校は警察不可侵の
場であるが、“傷害事件”として捜査の対象にすべきでは
ないだろうか?

学校や教育委員会を責めるだけでは亡くなった生徒が
うかばれない。刑事捜査に踏み切ることもひとつの方策では
ないだろうか?

13日の参院予算委員会で、社民党の福島瑞穂党首と
安倍晋三首相とのあいだで珍問答があった。(こちら

わたしは『戦争反対』というスローガンを見ると、
どうもしっくりこない気がする。
交戦状態になっているから『戦争』なのであって、
一方的な攻勢は『侵略』である。
たいてい戦争はどちらかからの『侵略』によって
はじまる。それに対して反撃して『戦争』になる。
反撃できる兵力があるから『戦争』ができる。
そうでない国はかつての朝鮮半島のように『侵略』
されるままになる。それは戦争状態より悪い状態だ。
日本も『侵略』受けたとして反撃すれば『戦争』に
なる。
それともその反撃すら許さない国家にしたいのか、
福島氏の本意のところはわからないが。

ひとを愛する『愛』と国を愛する『愛』はまったく
ちがう性質のものだと思う。前者は純粋なる『感情』
で後者は『道徳的規範』だと思うのだ。
『道徳的規範』は教育できる。
国防のことを考えるとき、愛国心教育はなくては
ならないものである。
『愛国心』は思想・良心の範疇にないものと考える。
だから強制することも可能だと思う。

北朝鮮の核実験実施を受け、国連安保理の常任理事国と
日本の国連大使は国連憲章第7章に基づく制裁決議案の
協議を始めた。中露は軍事行動に結びつかないよう、
経済制裁を定めた第41条だけを明記するよう求めている。

ほぼ新聞から引用した記事だが、これだけではいまいち
分かりにくい。
国連憲章第7章は「平和に対する脅威、平和の破壊及び
侵略行為に関する行動」について規定している。
第41条はこの第7章に含まれ、『非軍事的制裁』に
ついて規定している。
問題は第42条、これは『軍事的制裁』を規定している
のである。
第7章ひとくくりに基づかせてしまうとこの第42条も
含んでしまう。それに中露は懸念を示しているのである。

日本としてはどうなのだろう?本当に『軍事的制裁』を
発動させてよいのか冷静に考えてみてはどうだろうか?
きわめて危険だと思わないか?
アメリカはたとえ『軍事的制裁』に踏み切っても本土への
影響はまずありえない。しかし、日本はちがう。わたし
個人の意見としては中露の立場を尊重したいと思う。

核拡散防止条約

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先日北朝鮮が核実験をおこなったのはご存知のとおりである。
このことが問題になるのは多分に政治的な意味合いが大きい。
なぜなら核兵器を保有できる国とできない国は国際政治が
形成する秩序によって決められているからである。

核拡散防止条約(NPT)は核軍縮のための条約のひとつ
であるが、これは事実上5ヶ国(アメリカ、ロシア、イギリス、
フランス、中国)の核保有を認め、その他の国々の核保有を
認めないというものである。
また条約締結国でないインド、パキスタンが核実験をやっても
国際的には容認状態である。
要は今回の件は北朝鮮がやったからいけないのである。

核保有国の核軍縮がまったく進まないなかの今回の北朝鮮の
行為、道義的にいえば核保有国には強い非難をあびせる資格は
ないはずであるが、これは国際政治の世界、強いものは強い、
弱いものは弱い、でる杭は打たれるのである。

青少年期の自殺

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北海道滝川市で児童がいじめを苦にした自殺により亡くなった
事件をめぐって市教委の対応のまずさが浮き彫りになっている。
さすがにあそこまでいくと単なる無責任というより無知・無学
という感じさえする。
客観的に情勢を捉えることができない知能の低さ、見ていて
哀れである。

わたしは19年前に友人を亡くしている。そのとき友人の受けて
いたものはもはや“いじめ”とは表現できないものだった。
友人とは別の高校に通っていたわたしは、彼が学校へいってい
ないといううわさを耳にしながら、結局最悪の事態になるまで
なにもしなかった。

だから今回の事件もわたしは学校や市教委に対してあまりえら
そうなことはいえない。ただ『遺書』(市教委いわく『手紙』)
を目の当たりにしていじめの事実を認めないのはひととしての
判断能力が明らかに足りない。
青少年期の自殺は誰かが適切な対応をしてあげればほぼ100%
救えると思う。これは自責の念も含めて、強く訴えたいことで
ある。

最近の女性は公衆の面前でもふつうに化粧をする。
それを見てもわたしはなんとも思わないが、どうも
それをよしとしないかたがたも多いようだ。
思うに『マナー』と定義されるためには当事者の
行為が他者あるいは環境に悪影響を及ぼさなければ
成立しない。
ただ不快だという理由で『マナー違反』とするのは
まちがっていると思う。
先の例では他者および環境はなんの悪影響も及ぼさ
ない。
不快に思ったものが我慢すべきである。

そんなことよりも駅周辺のタバコの吸殻の多さは
なんだ。誰が片付けるんだ。

先日タイでクーデターが起きたが国民には支持されている
ようである。
クーデターは憲法をも廃棄してしまう無法行為である。
はたして軍部の声明どおり、民主政権は樹立されるのだろうか。

いまの日本にいると信じられないようなできごとがタイでは
現実に起こっている。
わたしはそこに『法規範』の重みのちがいを感じる。
日本は60年間、現憲法を守ってきた。改憲論者も憲法に
定める正規の手続きに基づいての改憲を論ずるだけで
クーデターの動きが現実味を帯びるようなことはなかった。
それは日本の法規範が国民の努力により固く守られてきた
からだと思う。
政治や社会の上に法規範がどんと構えて抑えを効かして
いたからこの憲法は守られてきたのだと思う。
しかしまだ多くの国では法規範が弱く政治や社会、軍部を
抑える力が弱い。
そういうなかでタイのクーデターは起こったのである。

わたしの思い描く理想は世界が法規範によって治められた
かたちである。現在、国と国の関係は『政治規範』によって
支配されている。いつか世界中にたった1つの『世界憲法』
が制定され各国の紛争・戦争を『法』が解決するような
世の中になってほしい。

世間よりいくばくか「右傾化」しているかと自覚している
わたしだが、今回の判決は正しい判断だと思っている。

「国旗、国歌への正しい認識を持たせ、尊重する態度を
育てることは重要なことで、式典で国旗を掲げ、国歌を
斉唱することは有意義なものといえる。」(判決要旨)
そのうえで東京地裁は都教委の通達や校長の職務命令を
「違憲」と判断している。
憲法19条の「思想・良心の自由」という権利はしばしば
“濫用気味”に主張されることが多いが、今回に関しては
まったく正当な主張であると思う。
この通達については都知事の意向を受けた都教委の突出
した締め付けといわざるを得ない。

ただ裁判所も示しているように、国旗・国歌を尊重させる
教育は重要であると思う。しかしそのまえに“くに”とは
なにか? なぜ国が重要なのかを教えることが大事である。
そのあとに国旗・国歌があるのである。

こういう問題は都教委vs日教組みたいなヤジ馬的観点で
見がちだが、現行憲法を中心に理性的な判断をしたい。

ひもでつながれていない犬が走るCMが、「放し飼いを
助長している」という苦情を受けて放映を中止したという。
これは思うに、放し飼いを助長しているように見えるから
ではなくて、縛られていない犬が走り回る姿が不快で
苦情をいったのだと思う。
よっぽどマナーの悪い飼い主にストレスが溜まっていたん
でしょうな。

これは噂ですが、CMの苦情はたとえ1件でも内容が重大
ならすぐ放映中止になるんだそうです。
でもなんかそういうのってギスギスした社会って感じで
いやだな。
CMって素晴らしい芸術作品になりうるわけだし。
実際以前カップヌードルのCMで銃を構える少年兵がでてくる
作品が放映中止になった。
作品としてもメッセージ性もありとても素晴らしいものだった
のに残念だ。
芸術性と社会性のバランスをうまくとってほしいものだ。

子猫殺し

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ご存知ない方のために説明させていただきます。
直木賞作家の坂東眞砂子さんが日経新聞今月18日付夕刊で
寄稿したエッセイで、自身の飼い猫が産んだ仔猫を自宅隣の
がけ下に放り投げていることを明らかにしたのを受けて、
さまざまなメディアで反響があったのでそのことについて
今日は書きたいと思います。エッセイ全文はこちら

まず感じるのが、同氏の理論構成の矛盾の多さである。
「もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、
子を産みたいというだろう。」というのなら、仔猫にだって
いい分はある。親猫にしても自分が育てられない仔猫を産み
たいだろうか。
というより、この件に関し擬人法を用いるのは適切でない。
猫はにんげんのこころを持っていないのだから。
「私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に
対する責任として子殺しを選択した。」、『社会に対する
責任』をいうなら、投げ捨てた仔猫の亡骸をきちんと処理
すべきだ。そこがタヒチだろうが関係ない。

それにしてもこれが直木賞作家の文章かと思うくらい無茶な
理論構成である。このような文面になるのは『社会に対する
責任』といいながら、じつは仔猫を放り投げる行為にいく
ばくかの快楽を得ているのではないかと疑いたくなる。

わたし自身はペットは飼わないことにしている(もっとも
アパート暮らしなので最初から無理なのだが)。ペットの
死に直面することへの恐れ、そしていわゆる食肉用家畜と
愛玩動物の死の意味のちがいを自己に問いかけることが
こころ苦しいからである(逃げているに他ならない)。

この文章はかの直木賞作家がこのような支離滅裂な文章を
書いていると、その程度にとらえるべきであろう。
あまり善悪を論じるべき話ではない、と個人的には思う。

終戦記念日の今日、小泉総理は靖国神社を参拝した。
このことによって中韓両国と日本との関係はさらに悪い
方向へ向かうことが予想される。
わたしは小泉首相の行為が妥当か、中韓両国がどんな
反応を示すかといったことにはあまり興味がない。
それよりもそんなレベルの話で国際情勢が大きく変わる
ほどこれらの国との関係は未成熟なのかと思うと
嘆かわしくなる。

靖国とはちょっとずれた話になるが“歴史認識”という
のは各国によって千差万別であるというのがわたしの
考えである。
それを前提に互いの利害関係を調節していくのが外交で
はないのか?
中国の新幹線建設にいまの険悪な日中関係が支障をきた
しているというが、それが日中間の“歴史認識”の
ちがいから端を発しているとしたら本末転倒である。

絶対的な“歴史認識”というものは存在しないという
ことを“認識”することが外交の第一歩ではないだろうか?

国連安保理の停戦決議が採択され、レバノン情勢は
ひとまず第二段階へ向かうことになった。
しかし国連レバノン暫定軍(UNIFIL)およびレバノン
国軍がどれだけヒズボラの武装解除に有効か、また
イスラエルの『自衛的な攻撃』がどの程度抑えられる
のか等、現時点では実効性に疑問符の点も多い。

改めて確認すると今回の紛争はレバノンのイスラム教
シーア派民兵組織ヒズボラとイスラエル国軍との間の
ものである。本来ならばヒズボラの軍事行動を抑える
役割を果たすのはレバノン国軍のはずである。
しかしレバノン国軍はシリアの実効支配が続いたため
現状の兵力・装備は貧弱でとてもそのような役割を
担うことはできない。UNIFILの無力さも露呈された。

いずれにせよ今回の紛争が沈静化されたとしても、
中東諸国の“反イスラエル”、“反米”の動きまでも
抑えることはできない。イギリスのテロ未遂事件も
このような流れと無関係とは思えない。

では、どうすればいいのか?

事態はレバノンやパレスチナだけの問題ではない。
イスラム勢力ではイランやシリア、イスラエル側では
アメリカやイギリスが相互に関連しているため事態は
複雑だ。少なくとも現行秩序で解決することは無理と
思われる。
そもそもユダヤ教対イスラム教という宗教対立が終わる
時がこなければ国家間の対立を抑えることはできない
であろう。
そうでなければいくら国連が強力に和平を推し進めても
根本的な解決にはならないであろう。

今年もこの日がきた。21年経ったいまでも『8.12』
という日付は多くのひとびとの記憶にいまも残っている。

この日の甲子園・第一試合は優勝候補・銚子商と好選手
をそろえた宇部商の対戦であった。それをテレビで観ながら
わたしはスコアをつけていた。
宇部商勝利の番狂わせを見届けたあと、夕方ごろ昼寝をした。
するとある時、あとにも先にもあの時だけ聞いた異様な
音が上空からしたのだった。わたしの実家は御巣鷹山から
近い。ひょっとしたらあのときの音は事故機だったのかも
しれない。

最近、日本航空の整備不良などの不祥事がたびたび伝え
られている。どうか500人以上のいのちが奪われたこの
事故を無駄にしないでほしい。

秋田県藤里町の畠山彩香さん殺害事件で殺人容疑で
再逮捕されている畠山鈴香被告が、供述を一転し
殺害について否認していると報道された。
やはり危惧していたことになったわけだが、県警は
追起訴する姿勢を変えないという。
はたして県警はそれだけの裏づけを持っているのだ
ろうか? どうも怪しい気がする。
おそらくこれからも被告は意図的に供述を変えて
くるだろう。県警はそのような事態に対応できるの
だろうか?

埼玉県ふじみ野市で児童の死亡事故がおきた市営プールで
談合がおこなわれていた疑いが浮上した。
以前、入札制度がしばしばサービスの質や搬入商品の質の
低下を招くことがあるといったが、談合となるとそのうえ不当に
高い入札価格で落札されることになり、非常に悪質な条件が
そろうことになる。
ひとのいのちを奪うほど瑕疵のある管理体制であっても
入札という方式を使ってる以上、その管理体制の質を加味
することはいっさいできない。それをやるなら随意契約に
すべきなのだが、それは契約額の上限が決まっている。
結局、管理会社の質の低さをチェックする機能は市には
ないのである。
そのうえ談合とは…。質の低い管理体制に不当に高い費用
をかけていたわけであり非常に悪質なケースといえる。

このようなことが全国的に稀なケースとはわたしには思えない。
管理会社の管理体制、談合の有無をチェックする何らかの
方策が必要だとわたしは思う。

社会保険庁のミスで年金をちゃんと納めていたのに
払ったことになっていないケースがかなりあるそうです。
わたしの実務上の経験ですが、お役所は例外的な処理を
することを極端に嫌います。
例えば一旦支出した旅費のもとになった出張がなんらかの
理由で取り消しになったとき、『戻入』という処理を
するのですが、これをやると本省(霞ヶ関)にやたら
怒られます。
あとは寄宿料など(1ヶ月分700円!)の滞納などは
法規上年度を越えての処理がたいへん面倒なため、担当
職員が一旦立て替えたりします。

要するに本来だったらすぐに非を認めて是正しなければ
ならないところを法規と監督官庁の目が厳しいため、
そのしわ寄せが年金加入者のほうにいってしまうのです。
そもそもそんなミスが生じるシステム自体に大きな問題が
あるんですけどね。

豪憲くんについては物証もあるので問題ないと思うが、
彩香ちゃんの件については容疑者の供述ぐらいしか
犯行の裏づけがない。目撃証言のようなものもあるが
どれも決定的なものではない。
もし裁判の段階になって供述を翻したらどうするの
だろうか?
もともとこの件に関して警察は“事故”という判断を
していた。しかしこの期に及んで「事故・事件両面で
捜査してきた。」といいだした。あまりにも情けない。
プロ根性のかけらもみられない。
栃木では監禁状態の被害者の家族が、再三捜査を依頼
しているにもかかわらずそれに応じず、結果被害者は
殺害された。

公務員のお役所体質は地方へいくほど強いというのが
わたしの個人的な印象である。
はたしてこの事件は真実に則った結果にいたるのだろうか?

日本政府はいま重大な岐路に立たされていることをどこ
まで自覚しているだろうか?
北朝鮮のミサイル発射問題に関し、日本をはじめ数ヶ国
が共同提案している決議案は極めてグローバル・スタン
ダードに則ったものといえる。
グローバル・スタンダードとは結局米国流だということ
であり、一般的な国々には賛同を得られるであろう。
しかし極東地域において北朝鮮と中国・ロシア・韓国は
微妙な関係にあり、このグローバル・スタンダードが
簡単には当てはまらないのである。
ここで日本が北朝鮮に強硬な決議案をそのまま押し通す
となるとこの三ヶ国との関係にも十分影響してくる。
下手をすると当事国である北朝鮮よりもこの三ヶ国との
関係を著しく悪化させることだってありうる。

そういった点からも中国の説得は注目に値する。そして
いまこそ日本の外交上の立ち位置が問われることになる
と思う。

平和な日本

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北朝鮮のミサイル発射のあおりでNHKの連続ドラマ
小説の放送が中止になったことに対して抗議の電話が
殺到したという。
もちろん抗議したのはほんの一部のにんげんだが、日本
全体としては重大な問題としてとらえている雰囲気では
ない。
わたしは日本国民はもう少し危機感を持つと思っていた。
もちろん北朝鮮は攻撃を意図してミサイルを発射した
とは思えないが、最悪の事態を想定して夜間に係わらず
警戒態勢をとっている自衛隊、在日米軍がいたのである。

むかし井上陽水の曲に『傘がない』というのがあった。
都会で自殺が増えていることよりも、わが国の将来の
問題よりも、これからでかけるのに傘がないことのほう
が問題だという曲だ。わたしはこの曲を聴いたとき
激しく同意した。平和なうちはそれで正解だと思う。
問題は真に危機的状況が差し迫ったとき、非常時体制に
スイッチを入れられるかだと思う。
学校教育でもそのことは教えるべきだと思うし、教育を
受けていないわれわれも非常時に備える気構えを持つ
べきだと思う。

ご存知のように北朝鮮がミサイルを発射した。
アメリカの建国記念日をあえて狙ったのかは謎だが、いずれに
しても非常におぞましい行為である。
ピョンヤン市内も平穏だということから、特に軍部が暴走したとか
いう話ではなさそうである。つまりキム・ジョンイルの統制下の
行為だということは間違いないだろう。これはとりあえず最悪の
事態ではないことを指している。あのような指導者にせよ暴走の
歯止めになっていることは確かだからである。だからこそ後継者
問題は非常に重要で、下手をするとたいへんな問題を引き起こす
恐れがある。
ミサイル発射後の動きももちろんだが、後継者問題にはさらなる
注意をはかりたい。

アメリカはイラク戦争を始める理由として『大量破壊兵器の保有』
を挙げた。その理屈からいえば自ら『核兵器の開発』を表明して
いる北朝鮮は当然攻撃の対象となるはずである。
しかし現にそこへ至らないのは、国際社会が『政治』という
“不明瞭な原理”によって支配されているからである。

以前書いたように、国際社会が『法』によって統制されるときが
くることを望むのは理想論だろうか?

戦争の悲惨さ

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今朝の毎日新聞で「戦争の悲惨さ 次世代に」という
見出しで吉永小百合さんの話が載っていた。
吉永さんはかつて『ひめゆり学徒隊』の女子学生を
演じ、あまりの悲惨なシーンの多さに沖縄には遊びに
いってはいけない。あんなできごとがあったところで
のんきに海に入ることなんてできないと思っていた
そうだ。
じつはわたしも同じようなことを考えていて、朝鮮
半島の“正しい歴史”を学習し、朝鮮語をマスター
してからではないと朝鮮半島にはいけないと考えている。
“正しい歴史”という部分は非常に難しく、いまの
ところ日韓それぞれで語られている歴史についてを
別々に理解することしかできないかなと考えている。

話は戻るがこの「戦争の悲惨さ」という見出しには少し
違和感を感じる。
『日中戦争』という言葉はあるが、『日韓戦争』という
のは聞いたことがない。おそらく『戦争』というには
あまりにも戦況が偏っていたからであろう。
しかし、朝鮮半島では著しい人権(ひととして生きる
権利)の蹂躙がなされ、ひとびとのこころを蝕んで
きたことに間違いはない。
しかしこれを『戦争』とはふつういわない。
紙面の制約上ひとことで片付ける必要があったのだろうが、
『戦争』も含めて国家が他の国やひとを支配し、それを
“合法化”する行為を決して許してはならない。

わたしはつねづね、刑事裁判というのはその犯罪の事実に
よってのみ判決すべきであると思っている。
ほとんど弁護のしようのない犯罪を犯したにんげんは、
決まって犯行当時の精神状態が異常であったことを主張
するか、それが不可能であれば犯罪者が真摯に反省して
いると主張する。
わたしはこれらのことは審理に反映されるべきではないと
思っている。
この事件は客観的にひとふたりが少年によって殺されて
いるのである。
判例によって、3人以上殺せば死刑という暗黙の了解が
あるようだが、これをこの事件に当てはめれば死刑は免れる
ということになる。
この基準は加害者側にとって甘いとわたしは個人的に考えるが
「被告は心神耗弱状態だった」とか「被告が反省している」
といったことで判決が左右されないことを希望する。

ただ、裁判員制度が実施されればわたしの希望することとは
反対の方向にいきそうだが。

「シンドラー社」のエレベーターの欠陥が次々と
明るみになっている。
以前『入札制度』の弊害を書いたことがあったが
国内シェア1%にもかかわらず今回事故のあった
住宅公社のように公営施設で同社の製品が採択
されるケースが多い。
やはり過剰なコストダウンが計られていて製品と
しての完成度が低かったのではと疑わざるをえない。
耐震強度偽造のマンションや先日故障したわたしの
家のテレビの場合はある程度『価格』によって商品
の信用性を察することができる。しかし入札では
いちばん安ければいいのである。いちばん公正な
制度ではあるがそういった欠点もあることを加味
したなにか新しい制度はないだろうか?

外務省の“元・族議員”鈴木宗男代議士が国会で吠えている。
職員の飲酒運転による傷害事件に対する軽すぎる処分から
盗撮・セクハラまで、外務省の不祥事について次から次へ
と暴露している。
自分が外務省に都合よく利用されたあげく使い捨てにされた
ことへの完全な“腹いせ”なのだが、ムネオ議員の立場でしか
明らかにできない外務省の“闇”の部分を国民が知るには
好都合である。
この際われわれ国民はムネオ議員を都合よく“利用”して、
外務省の“実態”を知ろうではないか。
どうせあの程度のにんげんに高度な政策案などを提案する
能力などないだろうから、めいいっぱい“資源の有効活用”を
しよう。
こんないい方をしたが、汚職をした議員はこんなことでせめて
罪を償ってもらいたいのである。ムネオ議員の場合刑が確定
したわけではないが、せめてなんらかのかたちで国の役に
立ってもらいたい。

教育基本法改正案の審議が進むなか、児童・生徒の『愛国心』の
評価を通知表にすでに盛り込んでいる学校が多数あることが分か
った。
スポーツ競技の場などでは、国旗掲揚・国歌斉唱がおこなわれる
ことが一般的であり、国際的にはこれらの儀式はわが国よりも
“神聖なもの”としてとらえられることが多い。相手国の国歌を
静聴することは当然の義務であり、そのようにしないサポーター
は非難される。なぜそうなるのか? それを教えることが今回の
教育基本法改正の第一歩であってほしい。

第一歩といったのは『愛国心』は『国防』と密接に絡み合うこと
であるから、最終的には国防に参加する意欲を育成する教育も
していくことになると思う。だいじなのは、あくまでも『国防』
だ。その域を一線たりとも越えてはならない。いまの日本の若者
は、“静かなるアナーキスト”だ。北朝鮮や中国は依然として
不気味な存在である。アナーキストに国が守れるか? 国を守る
ことに価値を示す教育をしなければ国は守れない。

北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんのご両親の
辛いお気持ちはわれわれには想像のつかないくらい
大きなものであろう。
しかし、残念ながらこの事件は一個人の問題ではなく
“外交問題”、“政治問題”となってしまった。
アメリカや韓国へ積極的に渡られて支援を求められて
いるのは日本政府が北朝鮮に対して強固な態度をとっ
ていないことと無関係でないと思うが、日本が経済制
裁をとることで簡単に解決するほどやさしい問題でな
いことはご夫妻も分かっているだろう。
北朝鮮への経済支援が縮小されたとして、まず被害を
被るのは同国の多くを占める貧困者層である。北朝鮮
政府はまず自分たちの食い扶持を確保したうえで庶民
に“分け与える”。結局経済制裁をしていちばん被害
を被るのはなんの罪のない北朝鮮の庶民なのである。
韓国にとって北朝鮮人民は本来“同胞”だ。だから北
朝鮮に対しては宥和政策を採らざるを得ないのである。
日本とは事情がちがうが、北朝鮮の一般市民の生命を
守るためにも、経済制裁には慎重になってほしいと思う。
もちろん日本の経済支援がある程度北朝鮮の一般市民
の助けになると想像のうえだが。

英語ではよく口語で耳にする言葉だが、わたしは英語を
学んだ9年間、一度も習ったことがなかった。
これって日本の英語教育を象徴していることじゃないか
と思う。
確かにこれらは上品な言葉ではないが、現実として使わ
れているのである。口語ということに関していえば、
有名なスラングなどについても学校教育で教えるべきだ
と思う。

会話はNOVAに任せてというのでは実践的な英語教育
は望めない。あまり上品ぶらずに教えてもらいたいとこ
ろであるが、すでにわたしは手遅れである…。

最近は『禁煙治療』が健康保険の適用範囲になったという。
わたしは喫煙したことが一度もないので喫煙で得られる
ものが想像つかないのだが、確かに喫煙者の行動を見て
いると異常である。勤務時間中に堂々と席を離れ、15分
近く喫煙していたりする。ふつうの神経では考えられない
ことが日常としておこなわれている。あれをみると“病気”
としてみられても分かる気がする。治療の効果がどの程度
あるかは分からないが。

『喫煙』とおなじかそれ以上に深刻なのが『パチンコ依存症』
である。調査によると、健常者はパチンコ屋のあの雑踏とした
雰囲気に平常心を失い、落ち着きがなくなるのだが、『依存症』
のひとはむしろ脳内から“癒し”を誘発する分泌物がでて、
逆に落ち着くのだそうだ。

どちらにしても、そういったものに最初から興味を持たなけ
ればいいのだが、ストレスの多い社会、なんらかの回避策と
してこういったものに依存してしまいがちなのであろう。
深い問題である。

審議拒否

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『共謀罪』創設をめぐる衆議院法務委員会が野党復帰で
ようやく正常化された。

そもそも『審議拒否』とはどういうことか?

議会制民主主義の基本的ルールは『多数決原理』を柱と
している。
それは異なる意見を持ったものどうしの意見を集約する
最終的な手段である。
しかし国会ではしばしば『審議拒否』という名目でその
基本的なルールに従わないことがある。
単純にいってしまえば、自分の意見が多数派でないから
この『多数決原理』を無視する行為である。
こんなことは小学生の学級会でもやらないのに国会議員
が毎日莫大な税金を犠牲にしてやっている。

これが『野党』といわれるものの仕事なのだろうか?
わたしにはどうも納得がいかない。

『強行採決』という用語があるが、勝手に審議の参加を
拒否してでていったものの票をとらないことなど当たり
前ではないか。
野党のすべきことは与党が進めている法案のどういう点
が問題で、どのような代替案があるか『国民』に向けて
示すことである。
政権を担当することがない政党が国会に存在することの
意義はそこにあるのではないのか?
自分の意見が正しいと思うなら、堂々と国会や委員会で
自説を述べ、広く国民に知らしめる。仮に今回とおった
法案でも、野党議員の努力によっていつの日か改正され
ることだってあるかもしれないし、そのための努力をする
のが野党だと思う。

「堀江さん、なにかひとこと。」

これに対して、なんと答えればいいのだろう?
マス・メディアの使命をほぼ放棄していると
いっても過言ではない質問だ。
プロならば質問する以上、なにが聞きたいのか、
なにが知りたいのか明らかにすべきだ。
『なにかひとこと』などという抽象的な質問
など素人でもできる。しかもこのような質問は
容疑者や被告だけでなく犯罪被害者の親族など
にもおこなわれている。犯罪によって被害を
被ってひどく動揺しているにんげんに取材して
なにが社会のためになるのか? いま問題に
なっている被害者側の人権を侵しているのは
マス・メディアでもあるのではないのか。

いまさらいってもしょうがないと思うが、
『マス・メディアの使命』とはなにか、改めて
考えてもらいたい。メディアは単なる伝達機関
ではないのである。

数ヶ月に及ぶフランス国内の騒動は、結局政府側の事実上の
敗北というかたちでいちおう終結した。
もともと若者層に良かれと思って打ち出した政策がこうも
嫌われるとは政府としてはとんだ大誤算というわけだが、
いったいどうしてこんなことになったのだろうか?

問題となったのは、26歳以下の若者を対象に「2年間の試用
期間中は理由なしに解雇できる」とした条項だが、これには
雇用市場の流動化を促し、企業側に雇用しやすい環境を作る
という意図があった。噛み砕いていうと、新たな採用者に働き
が悪いなど問題のある場合、簡単に解雇ができるという保証を
企業側に与えることによって、積極的な雇用を促すことができる
と考えたのである。しかし単純に考えれば、この条項は企業側に
都合よく使われやすいという印象が拭えない。
わが国でも正社員の雇用を避け、契約社員・派遣社員・アルバイト
というかたちでの雇用が進んでいるが、はたして政策的にその
ような身分での雇用に関し十分な保証がなされているだろうか?
日本ではむしろ働く側が好んで正社員というかたちをとらない
ケースが多いようだが、長い目で見て自分の身分が保証されない
ことは非常に危うい。日本では終身雇用と年功賃金が長年セット
で慣行として行われていたが、前述のようにその傾向は薄れつつ
ある。問題はいまの若者が若・壮年期に十分な蓄えをして老後を
迎えることができるかどうかである。ご存知のように現在の年金
制度は今後どのように変革していくか不透明な状態であり、いざ
老後を迎えたとき年金による保障が確実であるとはいえない状況
なのである。

フランスの状況を『対岸の火事』と軽視することなく、われわれも
わが国の雇用政策を注意深く監視していくべきであろう。

先日も国土交通省の官製談合が明るみになった。
談合、天下りの実態はかなり深刻なようだが、
一見非常に合理的なように見える入札制度にも
実は弊害というか難点があるということを知って
おいてもらいたい。
わたしはある国立大学(法人化される前の)に
勤めていたのだが、警備会社が年度替わりを
さかいに替わったことがあった。
わたしは残業が多かったので学内のいろいろな
トラブルの報告を受けることが多く、警備員とは
かなり密接な関係があった。
警備会社が替わるまではとくに問題がなかったの
だが、新しい警備員は耳の遠いご老人で、体力的にも
とても学内のトラブルの処理にきちんと対処できる
ようなひとではなかった。
まさに『安かろう、悪かろう』を地でいくできごと
だといえるだろう。

もちろん近頃明るみになっている官製談合は悪質で
このような類はどんどん摘発してほしいものだが
入札制度にはこんなマイナス面もあるということを
知っておいていただきたい。

中教審は27日、小学校高学年からの英語教育の必修化を提言した。
わたしは小・中・高と公立学校だったのでよく知らないのだが、
私立などではかなり早い段階から英語教育に取り組んでいるのでは
ないだろうか。
しかも今回の報告では週一回程度の授業ということであり、中途半端な
感は否めない。
わたしは英語のような語学教育を行うなら早いに越したことはない
と思っている。
英語がグローバル・スタンダードになっている以上、英語教育は
今後さらに重要視すべきだと思う。
わたしは小学校入学と同時に英語教育をはじめてもよいのではないか
と思う。
英語を母語とするひとたちは日常会話の中から言語を習得するわけ
だから、日本でも自然な形で英語と接し始めることが大事だと思う。
それにはなるべく早い段階で英語と接する機会を与えたほうが効率
がよい。
日本の英語教育の悪いところは英語が受験のための“学問”になって
いるところにあり、より実践的な“ツール”になっていないことにあると
思う。

英語教育を単に早く始めるというだけでなく、内容的にもより実践的な
ものに改善する必要があるだろう。

合計特殊出生率の低下が深刻な問題としてマス・メディアでも
よく取り上げられている。
はたしてそれは本質的な問題なのだろうか?
問題とされる理由は主に年金制度の破綻を危惧するものであるが、
そもそも人口が増加を続けることを前提とした制度に問題はない
のだろうか?
現行の年金制度の背景には実は国政選挙が背景にあるという見方
がある。つまり選挙権のない年少者に最終的な負担を預けるかたち
にして有権者の不満を生まないようにしてきた結果だという。
一般的にいって、生活水準の高い国の出生率は低くなる。
つまり制度的な改革によって根本的に改善ができることではない
のである。
それならはじめから人口減少を前提に制度改革をすべきではない
だろうか?
具体的には北欧型福祉国家への転化を目指すのも一案だと思う。
北欧型福祉国家は端的にいって『高福祉・高負担』つまり福祉は
充実しているが税金が高い。しかし主に税金を負担する世代と
国家的補償を受ける世代との間が近くなるため将来の不安という
点では現制度より小さいものになると思う。
もちろんいまそのような政策を掲げたら選挙に勝てないだろう。
いま現在そのようなことを掲げるとしたら日本では共産党くらい
だろう。

日本の人口密度は世界的に見て高く、しかも都市部に偏っている。
都市での生活環境を改善すればするほどひとは集まり、人口密度
はさらに高くなる。
こっちのほうが問題なのではないか?

卒業式や入学式での「君が代」の起立斉唱を徹底するように
という動きが東京都を中心に強まっている。
国歌の斉唱はスポーツの国際試合などの場ですでに一般的に
なっている。他国の国歌・国旗を尊重すべきことは教育の場
において指導されるべきだと思うし、そのためには必然的に
自国の国旗・国歌に敬意を払うべき教育がなされる必要が
あるであろう。
しかし教職員本人の不起立はともかく、生徒の不起立に対して、
「指導が不適切」として懲戒処分を持って望むというのは
いかがなものか? 冒頭に国歌・国旗についての教育の必要性は
述べたが、それが教育現場でそれほどプリオリティーがあるとは
客観的に思えない。
校長先生の話をろくに聞かない生徒に、国歌斉唱となったら
教職員がやっきになって起立斉唱させる光景は明らかにポイ
ントがずれている。
国歌・国旗より生徒にとって大事なものはたくさんあるはずだ。
民間会社では社訓をいわされたり、社歌を歌わされたりするの
だから、教職員に徹底指導されるのは致し方ないかもしれない。
しかし生徒の立場は違うのではないか? 不起立の判断を下す
には彼らなりの理屈があるはずだ。教職員は式の前に生徒と
よく話し合うべきだと思う。上意下達式の指導では納得するはずの
生徒も納得できないだろう。

彼に同情的な論調はどのメディアにおいても見当たらない。
彼くらい若くて、電子メールというものの証拠としての
信憑性を熟知していてしかるべきひとがこのような致命的な
ミスを犯したのは確かにお粗末といわざるを得ない。
しかし、ニュースの“ウラ”を取ることがおろそかになって
いるということは、最近のマス・メディア全体にもいえる
ことで、このような事件が起きてもそこへ立ち返っている
メディアが皆無なことこそ深刻な問題のような気がする。
あなた方はフィリピンの旧日本兵発見の報道をどのように
伝えたのか、『ピアノマン』騒動はなんだったのか、
ガードレールの金属片騒動はなんだったのか、改めて問い
直してほしい。永田議員の騒動を“反面教師”にすべきなのは
あなた方なのだ。

今回のオリンピックにもいましたが、「自分が有名になって
生き別れた親が名乗り出てくれるのを待っている。」という
方程式、どう思います? まず子が有名になったからって名乗り
でるようなにんげんはろくなもんじゃないと思うし、そもそも
それで名乗り出た例なんてあるのでしょうか?
本人にしてみれば切実な問題なのでしょうが、なんかステレオ
タイプ的な発想にしか感じられません。そうやって自分を酔わ
している感もあります。幸せなにんげんがいうのもなんですけど。

最近の医学会は概して信用性が疑われる傾向にありますが、
この話はどうなのでしょうか?

・子の知能指数を調べると、多くの場合両親の平均に近くなる。
・運動能力では遺伝子型によって持久力の強弱が左右される。
・女性のほうが感染症に強い傾向がある。
・浮気性も遺伝子に関係がある。
・遺伝子の影響は趣味や性格まで規定する。
・生活習慣病も遺伝子の影響が大きい。
・最終的には「性格も3分の2が遺伝」で決まる。

わたしはそんなに驚かないですけどね。そんなもんだろうな
という感じです。いろんなものを親や祖父母から受け継いで
いますし。
努力すれば多少は補えるのでしょうが、努力する遺伝子も
あるでしょうからね。
結局ひとの人生は生まれたときから決まってるんですよ。

宮崎勤被告の上告審は一、二審と同じく死刑判決だった。
死刑というものが社会的に許されるものかどうかという
議論は置いといて、わたしは犯人の犯行時における精神
状態の判決に及ぼす影響について問いたい。
宮崎被告は少なくとも4人の幼児を殺害している。
そもそもひとを殺すという行為は、まともなにんげんの
することではない。どんな理由があるにせよ、そのことを
もって犯行時は精神異常だったといってもいいのではないか。
事実、宮崎被告に対する精神鑑定は意見が分かれている。
そのような不確実な方法を持って、無罪と死刑が分かれる
ようなことがあってよいのだろうか?
わたしはこのようなケースには『結果責任』のみ問うべき
ではないかと思う。精神異常者の刑事責任を免除するという
考えを改めてみてはと思う。そのようなひとは生まれながら
にして殺人を犯すべく生まれてきたのであり、そして国に
よって断罪されるべく運命を背負っていたのだと。
にんげんの運命とはそういうものだ。それは被害者にも
いえる。あの子らは殺されるべくして生まれてきたのだと。

この上告審をきっかけにこのような犯罪を繰り返してはなら
ないというキャンペーンが一部マス・メディアでおこっている。
しかし、それは幼児、児童に対する監視の目を厳しくすると
いうことになり、子どもたちにとっては行動が制限されること
になる。はたしてそれはよいことなのだろうか?

堀江さんは好きなほうかと聞かれればそうでもない
ですなぁ。わたしは常に自分はこれでいいんだろう
かと考えているにんげんですので。
でも、この捜索はそれこそ『想定内』なんじゃない
かな? たとえ立件されてもたいした犯罪にもなりそう
にないし、今回の騒動が会社にとってマイナスに
運んだとしても、それまでやってきた多少強引な手法
で得たものの方がはるかに大きいでしょう。
あのひとのことだから、これもプラスに変える可能性
はありますね。

小児科医・内科医らのグループの調査によってインフル
エンザにかかったと思われる子どもなどが異常行動を
起こした例が少なくとも14件あったことがわかった。
このうちタミフルを飲んでいた子どもが5人、他の薬
だけを飲んでいた子どもと大人が一人づつ、薬を飲んで
いなかった子どもが7人という結果だった。
一時報道されていた“タミフル誘引説”は、この結果
からは証明されなかった。むしろ、インフルエンザ自体の
異常行動との関連性が明らかになったといえる。

マス・メディアはなぜ“タミフル誘引説”を断言して
報道したのだろう? どうしてNPO団体の代表の発表を
鵜呑みにしたのだろう?
もちろんこの調査でタミフルと異常行動の関連性が否定
されたわけではない。それは今回の報告でも伝えられている。

わたしは医療について報道するなら、医療についての
基本的な知識を持ったものが伝えるべきだと思っている。
それは医療に限らず、国際問題や政治、スポーツあらゆる
ジャンルのニュースについても、専門性のある記者が担当
すべきだと思う。しかし、現状はどうなのだろうか?
多くのメディアで専門性の乏しい記者がこの記事を扱って
いるのが実情なのではないか。

少なくともわたしのような素人に『この記事は怪しい』と
記事のあら捜しをされているようでは情けないではないか。

以前インフルエンザ治療薬「タミフル」が異常行動を
引き起こすという報道に関して触れたが、いまタミフル
についてはその話題はぶっ飛んでしまって、備蓄が足ら
ないことが問題とされている。
もし異常行動の件が事実だとしたら、備蓄の問題が解決
されても別の問題を抱えることになる。
しかし異常行動についてはそれ以降なんの報道もない。
大丈夫なのだろか?

最近の報道を見ていると「独自取材」をする姿勢が足り
ないような気がする。「だれかがこんなことをいった」
で止まっていて、追跡調査をほとんどした形跡がない。
これはいかがなものか?

報道はつねに新しい話題を提供していればよいという
ものではない。確かに受け手の側は真新しい話題に
興味を注ぎがちになるが、本当に重要な事柄については
逆に受け手の注意を喚起するための記事を提供すべき
だと思う。
報道は“ブーム”に流されるべきではない。

インフルエンザ治療薬「タミフル」の服用によって
異常行動死が引き起こされたという報道が世間を騒がせている。
これはあるNPO法人の理事長が学会において発表したのが
きっかけで、それによると04年2月、17歳の男子高校生が
タミフル1錠を飲んだ約3時間半後、素足で家を飛び出し、
塀を乗り越えてトラックにはねられて死亡したという。
05年2月には、14歳の男子中学生がタミフル1錠を飲んだ
2時間後、寝ていた部屋から見当たらなくなり、マンションの
下で転落死しているのが見つかったという。

同理事長には「インフルエンザは安静にすることが大事で、
薬に頼るべきではない。」との持論があり、上記の発表はその
持論から誘導的に発せられたのではないかという憶測が
どうしてもおこってしまう。にもかかわらず、報道ではあたかも
タミフルとの関連性が確実のようにも報道されていた。

なぜマス・メディアは同じ過ちを繰り返すのか?
この件については初めから「怪しい」と思っていたが、やはり
決定的な事実ではなかった。

マス・メディアはいま本当に危機的状況に陥っていると思う
のだが、当事者に危機感がないのが非常に怖いと思う。
なにかいい解決策はないのだろうか?

東武鉄道の運転士が自分の息子を運転室に入れて
乗務したことに対し、会社側が懲戒解雇の方針を
とったことについて、会社側に対する抗議が殺到
しているという。
わたしは会社のとった処分は妥当であると思う。
乗客の命を預かる運転士の使命は、それだけ重い
ものだと考えるからである。
これが運転士の「過失」によって生じたものなら
解雇の処分は行き過ぎかと思うが、トラブルでは
あたっとはいえ、息子の存在をじゅうぶん認識して
乗務してしまったのだから弁解の余地はない。
息子の状況から見て、乗務の妨害をするような
ことはないと思ったのだろうが、それはあくまでも
この運転士の判断である。客観的に見て、3歳の
子供を運転室に入れて乗務することは極めて危険で
ある。
あくまでも余談として聞いてほしい。わたしは
会社内のスケジュールの伝達方法についてメールで
進言しただけで解雇されたことがある(正確には
契約の更新をしてもらえなかったのだが)。
こと安全にかかわる職務に付くものは、安全に関し
過敏なほどに神経を配らなければならないと思う。
それに見合う報酬はもらっていると思うのだが、その点
は未確認で申し訳ないが。

ヒルズ族

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ヒルズ族のひとたちはいったいどこを目指しているのだろう?
堀江社長はプロ野球参入、テレビ局買収、衆院選出馬。
三木谷社長はプロ野球参入、テレビ局買収。
村上社長はプロ野球参入。
村上氏は投資ファンドの社長だから阪神株買い上げはあくまで
も業務の一環で説明がつく。
しかし、残りのふたりはインターネット関連事業が本職である。
とくに堀江氏の目指すところはまったく見えてこない。
国会議員になって立派な政治家を目指すのが最終目標とは
思えない。
また、ふたりともカネが目的のようにも思えない。
わたしが思うに、彼らは彼らなりの名声を得るために行動して
いるのではないだろうか?
ただ、その価値観はわれわれ庶民とはちょっとズレていて、
そのことが日本の社会ではいろいろな摩擦を生ずる結果になって
いるのではないだろうか?

ひとついえることは、ライブドアも楽天も村上ファンドも
それぞれ社員を抱えているということである。
個人の名声欲のためにそういうひとたちが犠牲になってはならない。

これ書いていいのかなぁ? いいや書いちゃえ!
わたしがかつて勤めていたWebコンサルティング会社は
売り上げアップを目論んで、営業職の人間を一時大量に採用した
ことがあった。
それが裏目に出て、半年後にはその営業職の人間どころかわれわれ
制作サイドの人間までリストラする羽目になった。
経営者が暴走すると、結局社員がいちばん迷惑するのである。
ライブドア、楽天がそうならないことを切に願う。
とくにライブドアには知人がいるし(乙部さんじゃないよ!)。

自己責任

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古い話になるが、昨年4月イラクで日本の民間人が誘拐された。
結果として3人は無事解放されたが、いろいろな意味で問題が
提起された。そのなかのひとつが3人の「自己責任」を問うもの
である。
被害者のひとり、今井紀明さんはこの点について、「今回の
自分の経験をひとびとに伝えていくことが、ぼくなりの自己
責任のとりかただと思う。」と語っていた。
今井さんはなにか勘違いしていると思う。
このとき問われていた「自己責任」とは、避難勧告がでている
にもかかわらず現地入りしたことに対して、政府は彼らの身の
安全について保障しきれないという意味である。仮に彼らが
危険な状態になったとしても、それに対して彼らの命の確保を
最優先としない(具体的には自衛隊のイラク派遣維持などを
優先する)ということである。
今井さんはまだ若い。日本でもう少しいろいろなことを学んで
からイラクへいったほうがよかったのではないだろうか?
少なくともあれだけ問われている「自己責任」について正しく
理解できるようになってからでもおそくないと思う。

国勢調査

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いま調査員のかたがたが苦労して各世帯を回っています。
じつは知人が調査員をやっているのですが、ホントたいへん
みたいですね。
昼間はなかなか留守が多いので少しおそい時間にいくと、
「何時だと思ってるんだ!」とかいわれてしまうそうです。
でもいま住基ネットとかある世の中で、こんなアナログな
調査方法を使ってまでしなきゃいけないことなんでしょうか?
まあ住基ネットは完璧じゃないですし、記入内容も職業とか
にも及んでるのでその分のデータは住基ネットにもないですから
調べる必要があるのかもしれないですけど。
わたしも公務員をやっていたことがありますからお役所の
内情はよく知っています。はっきりいって無駄な仕事ばっかりです。
ただ、法律どおりにやると確かにそうなってしまうというのも
あるんですけど、職員ももう少し努力してほしいですよね。

「エコロジー運動」とはとどのつまり、“人間にとって”理想的な
地球環境を築き上げることを目標とした運動である。
そう、あくまでも最終的には“人間にとって”なのである。
地球の温暖化とか、ダイオキシンや環境ホルモン、最近では
アスベストなどの問題は直接人間の生活環境にかかわってくる
問題なのでそれに対して対策を行うことに異論はない。しかし、
例えば「メダカ」などの「絶滅危惧種」を保護しなければなら
ないという発想のなかには「科学的な」ものから少し離れた
「倫理的な」発想が垣間見える。

いうまでもなく「にんげん」のおこなう行為そのものも生態系の
一部である。「にんげん」の持ち込んだ「外来種」によって
「固有種」が駆逐されるというのは“自然なこと”なのである。
「クジラ」についての認識のしかたが各国によって違うように、
エコロジー運動とは非常に「主観的」な行いなのである。
それを「地球のため」、「宇宙のため」などとスケールの大きい
ことをいうのは宣伝にはなるだろうがバカげている。
たとえ世界中の核爆弾を爆発させ、人類を滅ぼし、地球上の
あらゆる生物を絶滅させたとしてもそれは生態系の一部である
「にんげん」のやったことなのである。
こんなことで地球は、そして宇宙はびくともしない。蚊にさされた
程度である。数億年後にもとの地球に戻るかもしれないし、
まったく新しい姿を見せるかもしれない。しかしそれは生態系の
なかで起こったことなのである。そしてそれは地球自身が
起こしたことなのである。

そう考えると、「クジラ」がかわいそうとか「メダカ」を守れって
小さなことに聞こえませんか?
エコロジー運動とはあくまでも「にんげん」の考える、理想の環境を
築くことなのです。

いよいよ明日は総選挙です。
総選挙のほうはもちろんですが、最高裁判所裁判官の国民審査も
あります。
実際に罷免されなくても、ある裁判官に対して辞めさせるべきと
いう票が多ければ、それはめぐりめぐって全国の地方裁判所から
最高裁判所の判例にまで反映されるともいえます。
だからけっこう重要なんですよ。

今回審査にかかる裁判官について非常に参考になるサイトが
あったので紹介します。

「最高裁判所裁判官 国民審査」に、キチンと参加したいあなた

時間のない方はこちらだけでも。

現役最高裁判事プロフィール

いよいよ総選挙が迫ってきました。自民有利が伝えられて
いましたが、ここへ来て民主が盛り返してきたようです。
かつての選挙は自分の選挙区に橋をつくる、道路をつくるで
票を集めていましたが、今回の選挙は明らかに大きく違います。
郵政民営化にしても年金制度改革にしても国民全体の利益
のためにいかになすべきかを問う選挙になっています。
本来、国政選挙はこうあるべきだったのではないでしょうか。
今回ほど国民が「マニフェスト」に関心をもったことはないでしょう。
わたしはどの政党が勝つにしろ、このような争点で選挙が
行われること自体に意義があると考えます。
政治学的に投票率が高すぎると“票の質”が下がり、本当に
望ましい選挙結果(それがなにかは誰にも分かりません)から
乖離したものになるといわれますが、今回はほとんどのひとが
おのおの“予習”して投票されると思うので、投票率は高く
なると思いますが、全体的には危惧することにはならないと
思います。(個別的にはホリエモン vs 静香ちゃんみたいな
低レベルな争いもありますが。)

そうそう、よく選挙カーのアナウンスで「○山×夫、頑張って
おります。」というのがありますが、選挙運動頑張ってるの
アピールしてどうすんだよ!選挙戦以外で頑張れよ!と言い
うツッコミで終わらせていただきます。

マスメディアの使命とは端的に言って、「市民に正しい情報を
提供し、社会全般の発展・向上に貢献する」ということだと思う。
マスメディアの究極の使命は『社会全般の発展・向上に貢献する』
ことであって、『市民に正しい情報を提供』することではない。
これは使命ではなく手段である。

わたしがそんなマスメディアに初めて疑問を持ったのは、豊田
商事の永野会長刺殺事件である。
そのとき永野会長が籠もっていたマンションの周りには30人
ほどの報道陣が取り囲んでいた。
そこへ2人の男がやってきて、「永野をぶっ殺しにきた。」と
いう内容の発言をして、窓ガラスを蹴破り部屋の中に入っていった。
数分後、血まみれになった2人が出てきて、「殺ってきた、警察を
呼べ。」と言い放った。
その後、永野会長の死亡が確認された。

この間報道陣は何をしていただろう?これは記事になるとばかりに
その様子をカメラに撮り続け、明らかにこれから殺人を行うと宣言
している者に対してなんの引き止め行為もしなかったのである。

このとき、まだ若いわたしはマスメディアの本質をまざまざと知った
のである。つまりマスメディアはマクロの意味で『社会全般の発展
・向上に貢献する』ことを使命としても、ミクロの意味で、つまり
このような差し迫った犯罪を防ぐようなことには無関心なのである。
というより、“ひと”としてこのような状態を見逃す、いやむしろ
歓迎すらしている集団をどう捉えたらいいだろう?報道と関係ない
ひとのほうが逆に彼らを引き止めようとしたのではないだろうか?

わたしはまずそういう気質のひとたちがマスメディアを構成している
というフィルターを通して、彼らの発する報道内容を捉えることにしている。
永野会長刺殺事件以来ずっとそうしてきたつもりである。

駒大苫小牧の野球部長の暴力が明るみになり、問題になっている。
事実関係は本人の話と被害を受けた生徒の保護者の主張が食い
違っており、真相究明には時間がかかりそうだが、少なくとも
この部長は恒常的に“暴力指導”を行っていたということはおそ
らく間違いないであろう。

指導者によるいわゆる“暴力指導”、上級生の下級生に対する
“シゴキ”、どちらも望ましいことではない。しかし現実問題
として、少なくとも野球部ではほとんどの高校で行われている
というのが実体である(うちの高校は数少ない例外である)。
これはなにも高校の野球部に限ったことではない、運動部、
体育会には必ずついてまわる問題である。しかしそれらの上部
組織(この事件の場合、高野連)はそのような事実に目をつぶり、
問題が表面化したときだけ厳しい処分を下す。これでは抜本的
な解決になるはずがない。高野連はいちどそういった現実を
徹底的に調査すべきではないだろうか。そのうえでどんな対策が
必要か、根本的に考える必要があるのではないだろうか。

多くの優れた選手が“暴力指導”や“シゴキ”によってその素質
を開花させることなくその競技から離れていっている事実を上の
人間は認識してほしい。

う~ん、ひどいですねぇ。

「吸いがらを排水溝に捨てない」51.7%
約半数のひとが捨ててるってことですか。
罪悪感があまりないんでしょうかねぇ、
この程度のことには。

「人通りが多い歩道で歩きながら吸わない」74.8%
これはビックリ!4分の1のひとは
平気で混んでる歩道で歩きタバコ
してるんですか!! 衝撃です。

先日も言いましたが、JTのマナーを守るのを
喫煙者任せにしている態度は問題だと思います。

すでに東京都特別区の一部では喫煙に関する
いくつかのルールを規定する条例が制定されて
いますが、やはりこの現状を考えるとその方向性は
間違っていないのではないかと思います。

JTはその点よく考えてもらいたいと思います。

喫煙マナー広告

ふと思ったんですけど、わたしのブログいろんな写真が
使われてますよね。これらはほとんど「違法」なんです。
風景とかの写真なら、どなたかに「著作権」があり、
人物の写真ともなると、「著作権」のほかに被写体のひと
に属する「肖像権」という権利が加わるわけです。
わたしは当然権利者に無許可で写真を使っているので
「違法行為」をしているわけです。
この点を法的に突かれたら、弁解の余地はないわけです。
これはわたしだけでなく、多くのブログやウェブ・サイトで
無許可と思われる写真が使われています。
そういうブログやウェブ・サイトでは制作者のメールアドレスが
公開されていることも多いです。そこでたとえば…、

「nissyさま ○○プロダクションですが、貴殿は弊社のタレントの
 写真を無断で使っておられます。
 それにより△月から□月までの肖像権借入料(このへんは
 デタラメのそれらしい名称を使うんです)××円を支払って
 いただくことになります。
 下記の口座に期限までにお支払いください。」

みたいなメールが送られてきたらどうでしょうか?
いまやブログやウェブ・サイトはだれでも簡単に開設
できますが、そのへんの法的知識がないひとがやっている
ケースって多いと思うんです。だからこんな犯罪これから
出てくるような気がしてるんです。

これはあくまでもわたしの想像です。
まさかこれを観たのをきっかけにやらないでくださいね。

やっぱり写真は削除したほうがいいのかなぁ…。

まず、こちらをご覧になっていただきたい。

具体的な政策のことや歴史教育については改めて調査するとして
ドイツ(西ドイツ)の政治姿勢についてはわかりやすく書かれて
いると思います。

端的に言って、ドイツもいまに至るまでは紆余曲折があったと
言えるでしょう。

それに対し、日本の戦争謝罪発言

ご存知のように、日本も“謝罪”はしています。「謝罪外交」と
言われるゆえんです。

しかし、そもそも『これだけ謝ってるんだからいい加減いいだろう』
という一部の保守派の考え自体が、反省の意志のないことを物語って
いるのではないでしょうか。日本の犯した過ちは永遠に許される
ものではありません。それはわたしたち国民とともに永久に背負って
行かなければならない歴史なのです。

これだけ謝罪しているにもかかわらず、近隣諸国(例えば中国、韓国)
では『日本は謝罪をしていない』と思っているひとたちが多いと思います。
この点でシュレーダー首相が“巧み”なのは相手国民の“愛国心”を
称えているところです。あなたがたの“愛国心”にドイツは屈したのだ
という言い方をしているのです。
実際の日本はアメリカの本土攻撃とソ連の参戦により降伏したのですが
そのような“話術”も必要なのではないでしょうか。
実際韓国の教科書ではそういう風に教えられているのですから。

また、西ドイツのブラント首相のように象徴的な行為(ワルシャワの
強制収容所の記念碑の前で跪いた)をするのも効果があると思います。
ちなみにブラント首相はポーランドという“国”に謝罪したのでは
ありません。迫害を受けたユダヤ人に対して謝罪したのです。

こちらのページで韓国人の偽らざる気持ちが代弁されています。

日本を対極に置こうとするあまり、ドイツを“美化”して捉えている
気配が感じられます。
また学校での採用率が1%にも満たない教科書をさも“国定教科書”
に指定されたかのように捉えています。
でもそれが韓国人の大半の理解するところでしょう。

「謝罪外交」は間違っていないと思います。しかし“誠意”を伝える
にも“テクニック”が必要だと言うことを政治家は学んでほしいと
思います。

わたしの母が教育委員をやっている関係で、家に歴史の教科書の見本が
置いてあったのですが、それがなんとあの「新しい歴史教科書」だった
のです。
恐ろしいことに、母はその教科書がやり玉にあげられているということ
など知らずに教育委員をやっていたのです。
これはいい機会だと思って、その教科書にざっと目を通してみました。
しかし思っていたほどに“極端な表現”はなく、一見したところでは
大きな問題のある教科書には見えませんでした。
そしてつい最近、母は『中学校「歴史教科書」の採択に際し知って
ほしいこと』と題された冊子を渡されたとのことでした。
これは「在日本大韓民国民団」と名乗る団体が発行しているもので、
それによると、問題点は“表現”ではなく記載されている“史実”に
意図的な彎曲が多数存在するということらしいのです。
“史実”が正しく記載されているかということは、わたしには判断でき
ません。ですからわたしには「新しい歴史教科書」が本当に中学校の
歴史教科書として不適切かどうかはほとんど判断できないというのが
本当のところです。

一方、韓国の教科書はどうなんだろう? とわたしは興味を持ちました。
韓国は国定教科書、つまり全国どこの学校でも同じ教科書を使っている
のです。
わたしは韓国の高校で使われている教科書の日本語訳版を入手しました。
そしてその中身は予想どおり、極めて“民族主義的”な“表現”がされて
いました。
「わが民族は」という表現がいたるところに出現し、とくに「抗日運動」
についてはかなりのスペースを割いて記載されていました。
このことから、少なくとも韓国では政府主導で民族主義的な歴史教育を
行っているということが読み取れます。記載されている“史実”については
もちろん正誤の判断はつきかねますが、あのような民族主義的な表現を
している日本の教科書は少なくとも存在しないはずです。

前にも言いましたが、わたしは韓国が大好きです。ひとりの日本人として
韓国国家そして韓国の方々とは友好関係を持っていきたいと思っています。
しかし「歴史」という教科で“民族主義的”な教育を行うべきではないと
思います。それは日本もしかりです。
民族主義を否定する気はありません。実際に国家が危機にさらされたとき、
国を守るために重要な働きをすることがあるからです。また自己のアイデ
ンティティを確立する上でも欠かせない場合もあります。しかし一方で、
国際社会において排他的な思考過程を持ちかねない危険性もはらんでいる
のです。

わたしがプロボクサーのチャン・ジョングのことを知ったおかげで韓国の
ことが好きになったのは、彼が激闘を交わした対戦者に対して、たとえ
相手が日本人でも最大級の賛辞を惜しまなかったからです。
韓国人は日本人を嫌ってばっかりだと思っていたわたしに考えを改めさ
せてくれたからです。

「新しい歴史教科書」を実際に採択した学校はほとんどありません。しかし
韓国の国定教科書は当然100%の確率で採択されるのです。どちらの
影響力が大きいかはおのずと結論が出ています。
日本人として、また世界の中の1個人として、韓国の国定教科書が変わって
くれることを望みます。

最近気になるのですが、テレビのニュース番組でテロップが間違ってたり、
原稿が間違っていてアナウンサーがそのまま読んでしまったりというミスが
多いような気がするんです。酷いときには被害者と加害者の名前が入れ
替わっていたなんてこともありました。
わたしの知る限り、以前はこんなに頻繁にこの手のミスはなかったような
気がします。アナウンサーが言い間違えてしまうというのは一発勝負だから
たまにあっても仕方がないと思いますが、この手のミスはきちんと確認作業
をすれば防げるはずです。出したもん勝ちで間違ってたらあとで訂正すれば
いいと言う性質のものではないと思います。
以前ガセネタ(?)に振り回されすぎているという話をしましたが、それ以前に
こういう基本的なことをきちんとやってほしいと思います。

暴論覚悟!

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今日はおとなげない疑問をぶつけてみたいと思います。

なぜ電車の中で携帯電話でしゃべってはいけないのでしょうか?
電車の中のひととひと同士の会話が許されて、携帯電話の会話が
許されないのはなぜなんですか?
あとなぜポータブル・オーディオ・プレーヤーの音漏れが
許されないのでしょうか?
ひと同士の会話のほうがよっぽど大きい音だと思うんですけど。
どなたか説明できるかたいますか?

もちろんわたしもふだんは守ってますよ。
ただ、合理的なことが正しいとされないとイヤなんです。

たばこ訴訟

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喫煙が原因で肺がんなどの病気になったとして、患者らがJTと元社長2人、
国を相手に起こした訴訟で、東京高裁は22日1審を支持し、患者側の
控訴を棄却した。
タバコを吸うことで健康を害したとしてもそれ以上に本人にとって利益は
あったと思うのだが(わたしはタバコを吸わないのでよくわからないが)
なんだかよくわからない訴えである。
タバコを一度も口にしたことのないわたしにとっては、正直喫煙者の行動は
気味が悪い。会社などで勤務時間中に堂々と喫煙室に行き、喫煙する姿を
見ていると、「ああ、このひとたちは侵されてるな。」と思う。
客観的に考えて、勤務時間中にまで喫煙という行動を抑えることができない
なんて異常だと思う。わたし個人としては受動喫煙を別になんとも思わない
のだが、その喫煙者の“中毒的”行動が気味悪くてならない。明らかに
非喫煙者と平均的な喫煙者の労働時間は1日あたり30分は違う。
それでも我慢ができないから喫煙するのだろうからまさに“中毒”としか
言いようがない。

前述の裁判だが、非喫煙者から見れば「そんなの自己責任じゃないか。」と
思うひとが多いと思う。しかし、喫煙者の“異常な”行動ぶりを見ていると
そうとばかりも言えないと思う。人間があんな“異常な”行動を恒常的に
行うように仕向ける「喫煙」という悪魔に呪われるのは本人だけの責任では
ないように思える。「喫煙」という行為にもっと高いハードルを設定する
(例えば自動販売機やコンビニでの販売を禁ずるとか)責任がJTや国には
あるのではないだろうか。
損害賠償うんぬんはともかく、その部分は理解できる。

昨日のエントリーに対するコメントをいただいたので、
今日はそれに関連したことを書きます。

以前ここにも書きましたが、歴史観というものはその国の
事情が大きく左右するので、すべての国で共通するものを
持てるようになるわけがないんです。
ひとつの提案として、わたしは朝鮮半島および中国へ
の侵略の歴史、そして在日朝鮮人・韓国人の存在に
ついては「道徳」の授業で教えたらよいのではないかと
思っています。
被差別部落についての教育と同じようにです。
これらの国々との関係については「歴史」とは別の枠組みで
教育すべきだと思うのです。
例えば、「歴史」という角度からでは、なぜ在日朝鮮人
・韓国人が帰化しないのかということがわからないと
思うのです。彼らの朝鮮民族(韓民族)としての
アイデンティティを理解させることは非常に大事だと思う
のですが、「歴史」という教科の枠組みで教えるべきでは
ないと思うのです。その点は韓国、北朝鮮、そして中国も
考えてほしいと思います。

話は変わりますが、マスメディアのなかでも新聞社に
ついてなのですが、多分どこの地域でも新聞の拡張員が
脅迫まがいの勧誘をしていると思います。
末端でそういう汚いまねをして読者を獲得しておきながら
正義づらした紙面を作っているのがどうにも腑に落ちません。
社員のひとはこの事実をどう受け止めているのでしょうか?
知りたいです。

なんか不確かな情報に振り回されすぎてるような気がするんですけど。
たとえばミンダナオ島の旧日本兵の情報とか、きちんと現地へ
行って取材していれば怪しい情報だってことは分かったでしょうに。
それとイギリスのピアノマンの報道。どうやら現地ではほとんどの
ひとが信用してない情報(でっちあげ?)らしいですね。
最後に埼玉県行田市に端を発したガードレールについた金属片の
情報。最初はほとんどのマスメディアがイタズラだと断定して
報道してましたよね。
ニュース・ソースの「ウラを取る」という作業は報道の「基本中の基本」
だと思うんですが、どうも最近その点がおろそかになっているような
気がします。
最近でこそわたしもマスメディアの報道をどの程度信憑性があるのか
吟味して受け取るようになりましたが、ほとんどのひとはそのまま
受け取っているのが現状ではないでしょうか。
なんかマスメディア全体が“東スポ化”しつつあるようで、危機感
を感じてます。

JR福知山線の脱線事故から1ヶ月少し経つ。
関心するのは列車が衝突したマンションに住んでいた
方々の行いである。
事故現場で被害者の遺留品を探したり、
JR西日本が運転再開ための工事の説明をマンション住民に
対してのみにしかしていないことに対して、
ほかの近隣住民に対しても個別の説明が必要だと
抗議したり、数々の善意に満ちた行為を行っている。
彼ら自身もマンションから離れた不自由な生活を
強いられているにもかかわらず、他人への気遣いを
忘れないマンション住民の方々。対照的に不誠実な
対応の目立つJR西日本。この温度差はこれから
どうなっていくのだろうか?

ちょっと化学をかじったひとは『マイナスイオン』とかいうのが
はやってるのを、「なんか怪しいな」と思ってるんじゃないでしょうか。
ということで、調べてみました。

まず化学の分野で『マイナスイオン』という学術用語は存在しないようです。
『水酸化物イオン』(OH-)や『塩化物イオン』(Cl-)などのマイナスの電荷を
帯びたイオンは正式には『陰イオン』と言うらしいです。
『マイナスイオン』の正体は、どうやらマイナスの電気を帯びた
水滴らしいです。
それが健康上どのような影響があるのかですが、おそらくほとんど影響が
ないという見方が強いようです。

参考サイト
http://www.ne.jp/asahi/ecodb/yasui/MinusIonAgain.htm

まあ効果を疑った時点で効果がなくなるようなものみたいですね。
高いお金を出して、『マイナスイオン』効果をうたう商品は買わない方が
いいでしょう。

『ゆとり教育』はそれまで文部省が一貫として続けていた
『詰め込み教育』がその弊害として生徒たちに過度のストレスを
与え、しいては非行や不登校、イジメなどの問題につながった
という解釈から、教育カリキュラムを見直し、生徒たちにかかる
圧力を教育現場において緩和することによって、生徒たちの
問題行動を抑えようという目的で2002年4月以降実施されている。
そしていまその『ゆとり教育』のために学力低下、格差が広がった
としてその見直しが議論されていることはご承知のとおりである。

『詰め込み教育』が結果として生徒の問題行動を引き起こすことに
なったかどうかは別として、小中学校のいわゆる『義務教育』の内容が、
すべての生徒が『義務』として身に付けなければならない部分ばかり
でなかったことは事実だと思う。
『ゆとり教育』の象徴的な例として、『円周率』が『3.14』から
『およそ3』と教えられるようになったことがあげられる。
もちろんそれは『ゆとり教育』のある象徴的な部分に過ぎない。
個人的には『3.14』くらい覚えろよと思うが、現実問題として
このことをクラス全員に覚えさせようとしたら教師は大変な努力を
強いられることになる。また、覚えられない生徒はどうしても
覚えられないのが現実だ。じつはわたしの小学生時代の同級生は
格段に学力が低く、小4にして児童が総じてアナログ時計の読み方
すらできないクラスだったのだ。このような生徒に『およそ3』と
教えればすんなりといかないまでもおそらく覚えられるだろう。
そこで『見直し』の問題である。いままで難しく教えてたことを
簡単にした、あるいは教えなくなれば学力が下がるのは当然である。
そして本人のやる気かどうかは別として、より難しい内容を学ぼうと
学校で教える以上のことを学ぼうとするものもいるだろうから、
学力格差が広がるのも当然である。わたしが言いたいのは、『およそ3』
以上の知識を知ることに個人にとってどれだけ社会的必要性があるかと
いうことである。これから先数十年後いまの状態が続けば、学力の低下が
経済的競争力の低下を生み、日本は他の国(とくにアジア諸国)に
追い抜かれるであろう、という危惧は、『ゆとり教育』を見直したところで
変わらないと思う。なぜならいまの日本の経済的競争力を支えているのは
一部のエリートたちだからである。そういうひとたちは学校で教えなくても
塾や予備校で勉強する。どのみち日本にいまの経済的競争力を数十年も
持続する力はない。
また私的な話になるが、わたしが中1のとき、隣の席がヤンキー女だった。
ある日彼女はなにを思ったのか、わたしに「これ解かんねんだけどよう。」と
数学の問題を聞いてきた。わたしは自分のできる限り丁寧に彼女に教え
そして理解してもらうことができた。よく覚えていないが、そのとき
彼女は微笑んでいたと思う。彼女のような生徒に『3.14』ではなく
『およそ3』と教えて問題全体の意味を解かり易くしてやる。
それって大事なことではないだろうか。

なぜかわたしは韓国が好きなのである。
サッカーに限れば北朝鮮も熱狂的に応援してしまう。
北朝鮮は在日朝鮮人の北朝鮮代表、アン・ヨンハッが
人間的にすごく好感のもてる好人物だということが
大きいのだと思うが、
韓国はたぶんチャン・ジョングというボクシングの世界チャンピオンの
試合を観てからじゃないかと思うが、定かではない。
ただ、大学1年のときすでにハングルを勉強していて、
なんで第二外国語に朝鮮語(韓国語)がねーんだよぅと
怒ってた記憶がある。
最近韓国の高校で使われている国定教科書の日本語訳版を
入手した。国民の60%が「日本は嫌い」と答える理由が
そこにあるのではないかと思ったからである。
歴史認識というのは同国人でも立場によって多少の違いは
あるものだから、いわんや国が違えば異なるのは当たり前だと思う。
いまの『歴史の共通認識をつくる』という動きは、結局自国側の
歴史認識の押し付け合いになるだけじゃないかと危惧している。
その話し合い自体が決裂して、もっと悪い関係になるんじゃないかと
心配している。
いま日本人で韓国に興味を持っているひとが増えていることは
確実である。
韓国人も日本は嫌いだが日本の文化に興味を持っているひとは
若者を中心に確実に増えている。
まずはスポーツや文化を通しての交流から始めて、実際に会って
みることから始めるのがいいと思う。
きっと韓国側は歴史教科書で抱いていた日本人のイメージと
違うと感じるだろう。
逆に日本人はニュースなどで報道されている反日運動のイメージと
実際の韓国人は異なると感じると思う。
日韓の交流はそこから始めるべきだと思う。
歴史認識の問題は重要だが、まずは棚上げすべきではないかと思う。
そして無理に“共通認識”にいたる必要はなく。
「わたしの国ではこうだが、相手はこう考えている。」
それで十分だと思う。

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