ティー・ブレイク: 2007年12月アーカイブ

唐突ですが、あなたはあいさつが好きですか?
わたしはたぶん一般のひとが考えているほど、あいさつが好き
ではないと思います。
思うに、こころを許せる間がらほど、あいさつなど不要になって
いくような気がします。
あいさつをするということは、相手とのあいだに一線を引いてい
るということだと感じてしまいます。
しかしそのような関係に至るまでには、やはりあいさつがあっ
たような気がします。
あいさつという作為によってひと同士が結びつき、やがてあい
さつをしないという不作為に変わることによって相手を空気の
ように身近な存在に感じる。そんな感じでしょうか。
なんにしても、ひととの付き合いの最初にあるのはあいさつに
まちがいありません。
たまたま隣の部屋のひとに初めてであったとき、お互い気まず
い雰囲気のなかあいさつを交わすでしょう。
先に言い出すのは勇気のいることです。無視されたらどうしよ
う?
そう考えて機会を逃すひとも多いでしょう。
でも、それは相手のほうも同じです。あいさつされていやな気
になるようなひとは付き合い方を考えたほうがいいひとだと思
います。

結局なにが言いたいかというと、返しのあいさつぐらいできるに
んげんにはなるべきなんじゃないかなと思うのです。
自分からあいさつできなくても、せめて相手の返しくらいは。

わたしは針で刺されるのが好きです。
別に女王様プレイが好きなわけではなく、純粋にあの刺激が
たまらないのであります。
でも子どものころは医者に行くのも注射をされるのも嫌いだっ
た記憶があります。
いったいいつごろから変わったのでしょう?
いまでは献血の呼び込みをしているのを見ると、1リットルくら
いとってもいいですよと言いたいのですが、あいにくわたしは
降圧剤(血圧を下げる薬)を飲んでいて献血できないのです。
いまは年数回の血液検査で採血されるのを楽しみにしており
ます。

こんなわたしは変態でしょうか?

年賀状

| | コメント(0) | トラックバック(0)

今年もわたしは数通しか出していない。
これはわたしだけに限ったことではなく、世間一般の傾向らしい。
個人的には結婚したとか、引っ越したときなどにメール一通くれ
れば用は十分事足りる。
なにもないのになにを年明けに改まってという気がしてならない。
もっとも最近はメールの交換もほとんどないが。
だいたいブログで日々の出来事などを綴っているわが身からす
れば、いまさらハガキで改まってと思うのも自然だろう。

でも、最近は年賀状に手を抜きすぎているので、来年こそは嗜
好を凝らしたものを作りたい。
その年賀状を見るのは数人だが。

昨日の話ですが、ふいに懐かしくなってTSUTAYAでTOTOの
アルバムをいっぱい借りました。
高校生当時はテープに録音してよく聴いたものです(これは法
的にいいのか?)。
今回はCD-Rにコピーさせていただきました(これはやっぱり
問題あり?)。
『アフリカ』とか懐かしい楽曲から当時はもれていたアルバムの
曲までCD4枚しっかりとコピーさせていただきましたよ。
つぎはどのあたりいこうかな? エイジアは済んでるし、ハート、
スターシップあたりかな?
世代としてはそのあたりです。

今朝の『やじプラ』で堂ちゃん本人が結婚の報告してました。
ホントに結婚しちゃうんだな。
堂ちゃんに特に想い入れはないけど、若い子が結婚って聞くと
つい動揺してしまうわたし。

わたしは学生時代掛け持ちでバイトしたことがあった。
春休みを利用して、昼は税務署、夜は鋳物工場で働いていた。
鋳物工場はかれこれ1年以上働いており、まったく負担にはな
らなかった。
しかし税務署の仕事は非常につらかった。このとき自分に事務
職は向いていないんだなと感じた。
案の定、大学卒業後公務員に事務職に就いたが、やはり向い
ていなかったのか5年ほどで辞めてしまった。

やっぱりわたしは“3K”仕事が向いているようだ。

わたしはある会社を辞め、別のところで働いていたとき、前の会社から
仕事の依頼を請けた。
打ち合わせで移転していた前の会社に行くと、あるものを手渡された。
それはウィンドウズ付属の『ペイント』で描かれたと思われるベジータと
おでんの絵だった。
描いたのは前の会社で4ヶ月ほどいっしょだったひとだった。
その短い間に交わした会話のなかで、わたしがベジータに似ているとか、
好物がおでんだとか話したことは確かにあった。
会社を辞めて1年近くたったそのときまで、ちゃんと覚えてくれていたの
である。
その絵はお世辞にも上手とはいえないものだが、どんなお金のかかった
ものよりもありがたいプレゼントだ。

その絵はいまも大事にとってある。

1989年4月20日朝日新聞夕刊に写真入りのある記事が載った。
それは『KY』という文字に傷つけられたサンゴ礁の写真と、ダイバ
ーの低モラルを告発する記事であった。
しかしその後この文字はこの写真を撮ったカメラマン自ら傷つけた
ものだとわかった。
単なる偶然だが、このカメラマンはまさか『KY』がこんな意味でいま
使われていようとは思いもしなかっただろう。

小島よしお愛用のブーメラン海パンが売れているらしい。
もちろん忘年会で使われることが前提だと思うが、本人でさえ
空気を読めないことが多々あるのに、素人が場の空気を壊さ
ずにいられるか心配だ。
ゴールデン・グラブ賞の表彰式にマイケル・ジャクソン(スリラー
の時期)で現れたひちょり。なぜマイケル? なぜむかしの?
インタビューでコスチュームについて答えていた内容を聞いた
ところでは本人もさぐりさぐりなんだなぁと伝わるものがあった。

忘年会ではくれぐれもネタがかぶらないようにみなさんおねが
いします。

わたしがいままでこのブログで書いてきたなかで、『こころ』と
『にんげん』は必ずかな書きでいたことにお気づきだろうか?
これらはわたしにとって特別大事にしたいワードだという気持
ちから自然とそうするようになった。
『こころ』と『にんげん』、どちらも自分にとって不可思議で、謎
が深いものだ。
わたしが持っている『こころ』と、いまこれを読んでくださってい
るあなたの『こころ』、おなじものなのだろうか?
わたしは自分の『こころ』をじかに感じることができる。でも、あ
なたが持っている『こころ』はわたしの『こころ』というフィルター
を通さないと感じることができない。
言い換えれば、わたしの『こころ』が存在しないとあなたの『こ
ころ』も存在しないのである。
唯物論を信仰するわたしにとってどうしても説明のつかない『こ
ころ』の存在。わたしが『こころ』をかな書きにするのにはそうい
う意味がこめられている。

つぎに『にんげん』。『にんげん』は『こころ』を持っている。いや、
持っているものと思い込んでいる。
『にんげん』は『こころ』を持つからこそ『にんげん』なのである。
動物のなかで、『にんげん』だけが『こころ』を持つ。
というか、『にんげん』が持っているから、それを『こころ』と呼ぶ
のである。

いったい『こころ』の正体とはなんだろう? 唯物論信仰者の持
つ最大の難問である。そしてその『こころ』の持ち主である『に
んげん』とは?

たまにはこんな感じでいいでしょうか?

今日も引用ですみません。
手を抜いているわけではないですよ。

 茨城県東海村の認知症の女性(73)が5日朝から行方不明となり、約30時間後に自宅から約5キロ離れた同県ひたちなか市の公園で無事、保護された。
 氷点下の屋外で一夜を過ごしたとみられるが、女性の傍らには中型犬(雑種、オス)が寄り添っており、ひたちなか西署は「犬を抱いていたため毛布代わりとなり、体温低下が避けられたのではないか」と話している。
 同署によると、女性は5日午前7時半過ぎ、家族が目を離したすきに自宅から姿が見えなくなった。セーターに薄手のジャンパーという軽装だった。家族の捜索願を受けて同署や消防団で捜索していたが、6日午後1時ごろ、たまたま公園を通りかかった男性が見つけ、女性と犬を同署に連れてきた。女性は自宅から公園までの道のりを歩いてきたとみられる。
 犬は女性の飼い犬ではなく、体長約1メートルの老犬。署員が女性に事情を聞いている間も女性のひざに乗るなどよくなついていたという。ひたちなか市に隣接する水戸市は6日未明、最低気温マイナス2・2度と、この冬一番の冷え込みだった。水戸市消防本部は「(この服装で)じっとしていたら、2時間程度で凍死していた可能性がある」と指摘した。女性は「寒くなかった」と話しているという。

(2007年12月7日3時4分 読売新聞)

こんなあたたかい犬との想い出も、少しずつ女性の記憶から消えて
いくと思うと切ないですね。
認知症はつくづく残酷な病気だと思います。それまで良好だった家族
関係の記憶を、介護者からも奪ってしまいかねないのですから。
われわれは第三者ですからひとつの美談で済ましてしまうかもしれな
いですが、ご家族の方は今後さらに気を配らなければならないわけで
す。

それを思うと、複雑な気分になります。

プロフィール(6/23更新)

メッセージ

このアーカイブについて  

このページには、2007年12月以降に書かれたブログ記事のうちティー・ブレイクカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはティー・ブレイク: 2007年11月です。

次のアーカイブはティー・ブレイク: 2008年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.24-ja