ティー・ブレイク: 2007年8月アーカイブ

1.サッカー 日本 vs イラン(1997年11月16日)
2.ボクシング 大橋秀行 vs 崔漸煥(1990年2月7日)
3.高校野球 熊谷 vs 市立川口(1982年7月30日)
4.高校野球 浦和市立 vs 宇部商(1988年8月20日)
5.サッカー 日本 vs ロシア(2002年6月9日)

こんな感じです。
1はやっぱり一番かな。わざわざ街頭に出て観にいった
甲斐があったってもんです。
2は実は音声でしかオンタイムで聴いていないんですよ。
テレビを置けない寮住まいだったもんで。
それでも飛び上がって喜んだものです。
3は当時埼玉で甲子園に出ることの難しさを考えたらや
っぱり先輩たちはすごいですよ。
斎藤政樹から3点取ってるし。
4はうちらの同級生の快進撃。なんであんなにニコニコ
しながら野球ができるのかわたしには信じられませんで
した。
5は記念すべきワールドカップ初勝利。稲本のゴールは
最初オフサイドだと思ったのでその瞬間喜べませんでし
た。

う~ん、いいですねぇ。当時の記憶がよみがえります。
大橋戦は生で映像観れてたら最高だったんですけどね。
今年の佐賀北は浦和市立の快進撃を思い出しました。
それにしてもあのときの浦和市立はなんだったんだろう?

麻雀に限らず、将棋、トランプといったものがとにかく苦手。
先を読むということができないんだろうな。
麻雀は中学生時代覚えた。音楽の授業中にやってたりし
た。
高校では土曜日に友だちの家に泊まって徹マンして次の
日の練習に出たものだった。ほかの部員からは不良扱い
されていた。
そんな残りの部員もやがて麻雀を覚えたのだが、三元牌
を鳴くだけとかひどいレベルで喜んでいた。そのころには
自分がこういうのに向いていないことを感じとっていた。

いまは賭け事やギャンブルもしない。しても楽しくないだろ
う。

1.サッカー 日本 vs イラク(1993年10月28日)
2.ボクシング 具志堅用高 vs ペドロ・フローレス(1981年3月8日)
3.ボクシング 大橋秀行 vs リカルド・ロペス(1990年10月25日)
4.高校野球 浪商 vs 上尾(1979年8月9日)
5.高校野球 PL学園 vs 池田(1983年8月20日)

こうなりますな。
1はご存知“ドーハの悲劇”です。にんげんは本当に呆気に
とられたとき、声も出なくなるというのを身をもって感じたのが
このときでした。
2は先日お話したとおりです。当時のわたしにとって具志堅
は“神”でした。
3は大橋があえて前評判の高い相手を指名した試合。
のちのロペスの強さの片鱗がこの試合でも観ることができま
す。
テクニックのある大橋をああも簡単に攻略してしまうロペスの
ボクシングの完成度の高さには驚かされます。
4は上尾が大金星目前で大魚を逃した試合です。
高校野球を真剣に観だしたのはこのころかな。
5は“やまびこ打線”が完封されるという当時としては信じられ
ない試合。このときのPLのピッチャーが当時一年生の桑田で
す。

最近はいろんなものに対し当時ほど思い入れがないせいか、
ショックを受けるような敗戦はないですね。
大人になってしまったのかな?
まぁ、それはそれでいいことなのでしょう。

もう何ヶ月前からか忘れたが、朝食だけちゃんとしたもの
を食べ、昼食は冷凍食品の焼きおにぎり、夕食はカロリー
メイト、そして2~3キロの走りこみを続け、10キロ近いダ
イエットに成功した。
血液検査でも不健康な値が改善され、少なくとも検査項
目の上では無理なダイエットではないことが証明された。
それまで特別太っていたわけではないが、鏡を見るとちょ
っとみっともないなぁと思っていた。それがいまではカオサ
イ・ギャラクシーみたいな腹になってる。なんとなく自分に
酔えてしまう。
ただこのダイエット法、万人にお勧めできそうもない。なに
よりも忍耐力がいる。やせるならもう少しマイルドな方法
のほうがいいと思う。いかがわしいダイエット本ではない
信用できる内容の本をひとつ手に取りにんげんのエネル
ギー消費の仕組みを学ぶのがよい。

亡くなった『メタボ侍』のようにはくれぐれもならないように。

9月2日のニュース検定試験まで徐々に時間が迫ってきた。
これまでにいちおうやるだけのことはやってあるつもりでは
あるが、なにしろ2級を受験するので合格するのは並大抵
のことではない。3級くらいにしとけばよかったかな?
よく『一夜漬け』勉強はよくないというが、それはふだん勉
強しなくて一夜漬けだけで済まそうとするからだと、どこか
の予備校講師が言っていた。
ふだん地道に勉強したうえでの一夜漬けは効果覿面なの
である。

残り2週間、新しいことはやらず、いままでの総復習でなん
とか総仕上げしたいと思う。
受かるかなぁ?

なんと恐ろしい言葉だろう。わたしもかつてその危機に
瀕したことがあった。
そのときはまわりの社員が経営者の評価以上にわたし
を高く評価してくれていたおかげでリストラをまぬがれた。
しかし辞めるも地獄、残るも地獄でリストラにより仕事の
質・量ともに増加した負担に耐え切れず、数ヶ月でその
会社を去った。厳密には体調を悪くし1ヶ月の病休のの
ちに退職したのだが、病休の最中まで自宅で徹夜作業
をさせられた。技術的にわたしにしかできない仕事だった
のだ。
なのに経営者はのんきに「1ヶ月ゆっくり休んでください」
などという能天気なメールを寄こした。偶然だがこの経営
者とは同大学同学部同期であった。彼のような職に就く
のがふつうでわたしは特殊であった。まぁ別に気にして
はいないが。

ダイエットが原因ではないと思うけどなぁ。
そうだとしても本人もノリノリでやってたみたいだし。
でなけりゃ『ビリーズ・ブートキャンプ』までやらないでしょ。
企画としてもおもしろいし、市の側に非はないと思うな。
自分もダイエットしたけど、血液検査の値が全部正常値に
なった。それまでは中性脂肪とかが異常値だったのだけれ
ど。

でも、亡くなったのはホントお気の毒。なかなか毎日ジョギ
ングなんてできないですよ。その努力があだになってしまっ
たわけだけど。
ダイエットの危険性というよりは運動の危険性を啓発したか
たちになったのかな。

最近あまりおもしろいことが書けないことに自分でも気づい
ている。
それは知識の探求がお笑いやスポーツではなく社会情勢
全般に広がってしまったからだ。
というのも9月2日にニュース検定なる試験を受けるからで
ある。
いまパレスチナで起きていること、ダルフールで起きている
こと、ひとつひとつ正確に覚えるには量が膨大でどうしても
浅い知識になってしまう。
また、問題が解けるためには最低限の知識を覚えることが
受験テクニックだ。
ただ新聞は検定を受検することを決める前からけっこうこま
めに読んでいた。試験が終わったらいっさい終わりというわ
けでもない。
ただ、もう少しちがう内容の文章も書けるようになるのでは
ないかと思う。

高校時代にパフォーマンス集団『ち○この会』に感化された
わたしは大学で悶々とした日々を過ごしていた。
そんなときひとつのニュースが飛び込んできた。
アントニオ猪木がイラクの日本人人質解放のためイラクに
出向き、人質の解放に成功したのだ。
わたしはゼミの時間、わざと別のクラスへ行って『猪木万歳』
と書いたビラを扉に貼り付けた。そしてその足で本来の自
分のクラスへ行った。
すると数日後、体育の授業に備え着替えていると、ある学
生に「あっ、猪木万歳のひとですよね?」と尋ねられた。
わたしのパフォーマンスはちゃんと認められていたのである。
ほかにも自分のゼミに掃除機のノズルや金属たわしを持っ
て入っていったりした。
ゆくゆくはこういうことが好きな連中で集まってなにかでかい
ことをやれたらいいなと考えていたが、『ち○この会』のように
行動力と表現力が伴うことなど奇跡に近いことなのだろう。

結局、わたしはただの変わり者であった。

じつはわたしは『就職浪人』している。
民間企業は面接が重視され、自分には割が悪いと思い、
公務員一本、それも埼玉県庁にしぼって勉強した。
模擬試験は常にA判定、まったく落ちることは予想してい
なかった。
しかし二次試験の面接で失敗し、まさかの不合格。
公務員試験までも面接重視だったのである。
同時に国家II種にも受かっていたが、気持ちは県庁への
リベンジに向かっていた。
その翌年、就職先が決まらないまま大学を卒業し、再び
試験勉強に励んだ。
県庁の一次試験はらくらく突破、そして問題の二次試験、
面接でまたもや失敗した。
県庁をあきらめ、国家II種の官庁訪問を精力的にこなす
うちに面接の対応がうまくなっていた。
最終的に国立大学に採用になるが、聞くところによると
面接での対応が好印象だったとのことだった。
面接は向き不向きではなく慣れによって克服できるもの
だったのだ。

結果的にはそのおかげで大学で素敵な仲間と知り合え
たのだから、これでよかったのかもしれない。

ひと昔前、職場の近くの空き地に女子プロレスが興行に
来たことがあった。
さすがにナマで観るプロレスは迫力があった。とくに女子
プロは飛び技が多いので、遠くから観ていてもその迫力
に圧倒された。
ところが試合の最中に夕立に見舞われ、あたりは土砂降
りになった。
観客たちはみなリングから離れ、ぬれない場所へと避難
していった。
しかし選手たちはそんなことなどいっさいかまわず試合を
続け、危険もいとわずトップロープからの飛び技まで繰り
出していた。
これにはわたしも感動せずにはいられなかった。
彼女らを見習って、荒波にも負けず、自分の仕事に全力を
注ごうと思った。
そんな大げさなことじゃないか…。

高1のとき野球部の練習をサボって『鶴ちゃんのプッツン5』
というテレビ番組の公開生収録に行った。
出演者はレギュラーが片岡鶴太郎、塚田アナ、おきゃんぴー
そしてまだ干される前の大川興業がVTR出演していた。
ゲストはのちに薬丸裕英の妻となる石川秀美だった。
やはり芸能人はオーラが出ている。石川秀美はテレビで観る
のにも増して美しかった。
局アナ(と思われる)塚田アナも大人の色気の漂ういい女だっ
たぁ。
鶴ちゃんはまだ太っていて、どっちかというとカメラのオンオフ
でキャラを切り替えてる感じだった。

それ以来、多くのお笑い芸人(数え切れない)や女性音楽アー
ティスト(椎名林檎、鬼束ちひろ、元ちとせ、矢井田瞳)、アナ
ウンサー(武内絵美テレ朝アナ)などを間近で観ているが、い
ちばん感動したのは鬼束ちひろかな。SHIBUYA-AXでオー
ルスタンディングの2列目で観れたのです。

テレビの世界のひとが目の前にいる感覚、一度味わうとやめれ
ません。
さあて、次のタイタンライブはいつかな?

高校時代、うちの野球部はけっこうゴタゴタ続きだった。
われわれが最上級生になって監督に指名された主将
が周りと意見が合わず、ついには野球部を辞めること
になった。
わたしも彼とは相性が悪かったが、辞める話を聞いて
さすがにまずいと思い、「野球がやりたければ、辞める
ことはねえんじゃねえの?」と言ったのを覚えている。
しかし周りはそういう雰囲気ではなく、彼は追われるよ
うに野球部を辞めていった。
ほかにも長髪を認めさせるために監督に反抗したり、
そのような野球以外のことに熱心になる上級生と下級
生のあいだに溝ができたりといろいろあった。
また精神論になるが、われわれが一心に野球に打ち
込んでいればエラーのオンパレードで負けることはなか
ったと思っている。

わたしの高校野球は後悔の連続である。

先月31日に除幕式のあったばかりの本田美奈子.さんの
記念碑を見に、隣の朝霞駅まで行ってきました。

記念碑

ぱっと見た限りではなんの記念碑かわからない感じなので
すが、そばにあるボタンを押すと美奈子さんの歌が流れる
ようになっていました。

昨日から朝霞では夏祭り『彩夏祭』をやっていて、市内は
たいへん盛り上がっています。美奈子さんも子どものころ
はきっとお祭りを楽しんでたんだろうな。

新聞の契約更新するとやたら付いてくる洗剤、タオル。
一人暮らしにそんなに大量にもらっても困るんだよ。
そんなのくれるくらいなら新聞購読料を安くしろ。

新聞の使命は端的にいって真実の報道を伝えることに
よって、公益の増進に寄与することにあると思う。
しかし末端では新聞拡張員を使って、ときには強引に
市民に契約を迫る。
新聞社の掲げる“正義”がいかに薄っぺらいものかわか
る。
身内の不法行為を防ぐどころか助長して、正義面してい
る。

景品はホントわずらわしい。いいかげんにしてくれ。

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