中京のエースといえば

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10年ほど前、広島ファンの同僚に連れられて神宮球場へナイターを観に
いった。
わたしはほとんどプロ野球に興味がなく、しかもヤクルトにも広島にも特別
な思い入れがなかったので少々かったるい思いで試合を観ていた。

ところがヤクルト側の守備で、ある投手がマウンドに登ったとき、わたしの
目はそのひとに釘付けになった。
その投手とは野中徹博。かつて甲子園で池田・水野と緊迫した投手戦を
繰り広げた末敗れ去った愛知・中京高校のエースだった男である。
彼はその年のドラフト1位で当時の阪急に入団し将来を期待されたが、故
障で思うような結果を残せず野手転向ののち自由契約の身に。その後は
ひと知れず一般の社会人としてふつうの生活をおくっていた。

誰もが"中京の野中"は終わったと思った。
いや、ほとんどのひとがすでに彼の存在を忘れかけていた。

そんなとき、台湾から意外な情報が入ってきた。
あの野中が台湾で大活躍をしているという。もちろん投手として。
台湾という異国の地で自信をつけた彼は、翌年入団テストから這い上がり、
憧れの中日のユニフォームに袖を通す。
貴重な中継ぎ投手として活躍したが、3年目はわずか3試合の登板に終わ
り再び自由契約を言い渡される。

しかし"中京の野中"はまだ終わらなかった。

今度はヤクルトの入団テストを突破し、翌年みごと開幕一軍の座を勝ち取
る。
"野村再生工場"のもと、野中は再び輝きを取り戻した。
中継ぎとしてチームの日本一にも貢献し、自己最多の44試合に登板、ま
た念願のプロ初勝利も挙げた。

わたしが彼の姿を観たのはおそらくこの年だと思う。外野スタンドからだっ
たが、この雄姿をしっかり目に焼き付けておこうとわたしは食い入るように
マウンド上の彼の姿を観ていた。

結局その翌年は思うような結果を残せず彼は引退した。現在は都内でサ
ラリーマンとして第二の人生を送っている。
しかし野球とは離れられず、いまはマスターリーグで活躍しているという。

そう、"中京の野中"に終わりはない。

元中京高校エース 野中の野球人生

高校生時代の彼はなんだかやけにオッサン臭く観えたが、いまの彼の姿に
むかしの『巨漢』のイメージはまったくない。むしろいまのほうが男前に見え
る。
気が張っているときのほうがいい顔をしている場合が多いと思うのだが、逆
の場合もあるのだなと思った。

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このページは、nissyが2009年8月16日 23:51に書いたブログ記事です。

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