真夏の死闘

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80年代、韓国のボクシング界は黄金期をむかえていた。
なかでもWBCジュニアフライ級(いまのライトフライ級)王者のチャン・ヂョ
ング(張正九)の強さは群を抜いていた。
元世界王者のアマド・ウルスア、アルフォンソ・ロペスらを退け、破竹の勢
いでデビュー以来18連勝。その勢いをかってチャンはパナマの技巧派王
者イラリオ・サパタに挑んだ。
15ラウンド攻め続けたチャンだが、判定は2-1でサパタを支持した。
しかしこれは韓国人以外のボクシング関係者も首をかしげるような判定で
あった。
この苦戦でチャンと闘うことに嫌気が差したのか、半年後におこなわれた
再戦では王者サパタは3ラウンドで試合を投げてしまった。
チャンはこのあとこのタイトルを15回防衛するのだが、当時はまだ荒さの
目立つラフなファイターであった。

チャンは着々と防衛を重ね、4度目の防衛戦でWBA元王者の渡嘉敷勝男
の挑戦を受けた。
渡嘉敷はWBAのタイトルを5度防衛したが、スキャンダルにみまわれたこ
とやさほど強敵と目されなかったルペ・マデラとの苦戦続きの防衛戦の末タ
イトルを奪われ、奪還もかなわなかったことから日本国内でさえもボクサー
として高い評価を受けていなかった。
渡嘉敷がまさに上り調子の若きチャンピオンに勝てるなどと想像した者はお
そらくほとんどいなかったであろう。

試合は猛暑の浦項(ポハン)でおこなわれた。当時の韓国でのチャンの人気
にはすさまじいものがあった。こんな雰囲気のなかで日本人が勝つにはKO
しかないであろう。当然渡嘉敷もおなじ気持ちだった。
試合ははじめから激しい打ち合いになった。アウトボクシングもできる渡嘉敷
だが、チャンの得意とする打ち合いに真っ向から挑んでいった。
1ラウンド終了間際までどちらかというと渡嘉敷のほうが押し気味にみえた。
しかしロープに追い込まれたチャンの左フックがヒットし、渡嘉敷ダウン。
すぐに立ち上がった渡嘉敷にチャンが追い討ちをかける。1ラウンド終了のゴ
ングが聞こえない。場内騒然とするなかレフリーがふたりを分けた。
2ラウンド以降も渡嘉敷は前に出て打ち合う。ヒット数では渡嘉敷のほうが上
回っているようにみえるがパンチ力ではチャンが上回る。しばらく一進一退の
攻防が続く。
しかし中盤以降チャンがロープを背負う場面が増える。パンチの数も減り、明
らかにペースダウンが見て取れる。一方、渡嘉敷の攻撃は衰えない。チャン
のクリンチが多くなる。
チャンにとって悪い流れが続き、場内がやや不穏な雰囲気になる。しかし7ラ
ウンド、チャンの連打が立て続けにヒットし渡嘉敷がロープ際まで後退する。
チャンが気力を振り絞ってラッシュを仕掛けるが渡嘉敷はひるまない。
ここで仕留め切れなかったチャンの疲労はさらに深刻になる。疲労した選手を
助けるためにセコンドがよくやる手にわざとグローブを巻くテーピングをはがし
て選手を送り出すというのがある。レフリーがそれに気づけばセコンドにそれ
を直させるからだ。結局この作戦は功を奏し、チャンは2回も休むことができた。
そしてむかえた9ラウンド。いよいよ疲労困憊のチャンに対し渡嘉敷にはまだ
動きに力が感じられる。流れが再び渡嘉敷のほうに向かいかけたそのときチャ
ンの連打がヒットする。チャンのフォームはもはやバラバラだが、おそらく最後の
力を振り絞ってラッシュを仕掛ける。渡嘉敷の上体が大きく揺らぎロープ際まで
後退したところでレフリーがストップをかける。
明らかに早すぎるストップだ。止められた渡嘉敷はキョトンとしている。
精根尽き果ててリングに倒れこんでいるのはチャンのほうだった。

チャンは試合後言った。「レフリーが止めなければ俺は負けていた」と。
そして再戦を願う渡嘉敷を襲ったのは脳波の乱れを理由とするドクターの引退
勧告だった。
思えばレフリーの早すぎるストップが渡嘉敷の命を救ったのかもしれない。

間違いなく渡嘉敷のベスト・ファイトであり、またラスト・ファイトであった。

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このページは、nissyが2009年6月13日 23:59に書いたブログ記事です。

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