"科学"は日々進歩する。
というか、科学には「後退する」という前提がない。
例えば、マルクスによる資本主義社会から共産主義社会へ移行する過
程についての理論は、ある時期まで一部では"科学的"とされていた。
1990年に栃木県足利市でおきた幼女殺害事件の裁判において、もっ
とも重要な証拠とされたのは当時導入間もなかったDNA鑑定の結果で
あった。
DNA鑑定はこれまでの警察の捜査方法を根底から覆すくらい画期的な
ものであった。画期的であったがためにその方法の斬新さばかりに気を
とられ、結果的に鑑定結果の精度の低さに目が向けられなかった。
"科学的"であるはずが、じつは"非科学的"だったのである。
DNA鑑定の"神話"を信じたのは栃木県警だけではない。検察も裁判官
も、そしてマスメディアもである。
わたしが中学・高校のとき、『科学する野球』という本がはやった。
その理論を端的に言うと、例えば消しゴムをねじるともとに戻ろうという力
が生まれる(『内部応力』と言われていた)。それを野球の動作に応用すべ
きだという話で、投手で言えばバックスイングのときできるだけ捻りを加え
ることによって大きな内部応力が生じ、結果力強いフォワードモーションが
得られるといったようなものである。
その理論をまさに地でいっていたのが高校初期の桑田真澄投手である。
彼は高校2年の夏くらいまではひと一倍大きなひねりを加えた脚の上げ方
をしていた。しかし、彼はこの理論に疑問を抱き、高3のときにはもうすで
に以前とはまったく異なるフォームに変えていた。いわゆる"静かなフォー
ム"への変化である。
このことは彼がプロ以降トレーニングに古武道を取り入れたことでかなり
有名になったが、松坂なども桑田に習ってあまり捻らないフォームに変え
たといわれている。
わたしも当時この本を読みながら、「ホントかなぁ?」と思った記憶がある。
実際やってみればわかるが、最終的にフォワードモーションを速くするため
にこの予備動作はあまり意味がないと思う。せいぜい脚はプレートと平行
なくらいの捻りでいいと思う。
話が大幅にずれたが、"科学"という言葉はいわば魔法なのである。
科学的というだけでなんだか話に説得力が出てしまう恐ろしいものなので
ある。
しかし、ものごとの科学的側面を無視することはできない。いわば程度の
問題で、ここからは科学的、ここまでは非科学的というものではないので
ある。
足利事件裁判では当時のDNA鑑定という"科学"を大多数のにんげんが
信用してしまったため、あってはならないことが起きてしまった。
これはDNA鑑定だけの話ではない。これから裁判員制度がはじまればこ
の手の問題はますます処理しきれない難題として裁判員たちに降りかかっ
てくるだろう。
"科学"はまず疑ってかからねばならないのだ。