「ゆとり教育は、保護者が何を求めているかを霞が関が把握していない
典型例」と彼が言ったのはかなり前のことですが、わたしとは根本的に
教育についての考え方がちがうようです。
彼が新自由主義者もしくは市場原理主義者かどうかはよく知りませんが、
少なくともその傾向はあるように感じます。
わたしは教育制度を"需要と供給の法則"で決めるべきだとは到底考え
られません。
以前わたしは文教政策は社会福祉政策でもあると言いました。生活保護
の制度は主に"経済的弱者"を救うための制度ですが、わたしは"教育的
弱者"も同様に行政で救済すべきだと思っています。
ここでいう教育的弱者とは正規の授業についていけなかったり、そもそも
学校へ行くこともできない児童・生徒などのことをいいます。こういう子ど
もたちを一般の子どもたちの学力レベルになるべく近づけるための努力
を払うことに行政はもっと努力をすべきではないでしょうか?
はっきり言ってそのような方策は全体の学力(あくまでも数値上の)を上げ
るためには効率的ではありません。同知事の掲げる『超エリート校構想』な
どは結局そういった子どもたちに対しなんの意味も持ちません。
わたしが中1のとき、となりにヤンキーの女がいました。その子がなにを思
ったのか数学の質問をわたしにしてきました。いつものやりとりの調子なら、
「そんなもん、先生に聞けよ」と言い放つこともできたでしょう。
しかし、ここでわたしが答えなければ彼女は一生勉強に興味を持たなくな
ってしまうかも知れない、そんな予感がしたのです。
それでわたしは基本的なところからその問いに対して説明しました。そんな
に時間的にはかからなかったと思います。彼女は意外なほどあっさりとわた
しの説明を理解してくれました。ただ、当時から自分でもひとに対する教え
方には自信がありました。だから最初から教育的弱者に対し積極的に目を
向けないような考えには抵抗があります。やり方しだいで彼らの学習意欲を
向上させ、ある程度の学力水準に持っていくことは可能だと思います。行政
はそれをシステムとしていかに機能させることができるか考えるべきではな
いでしょうか?

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