投手の醍醐味

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昭和63年夏、つまりわたしに残された最後の甲子園のチャンスの年、
埼玉球児の注目を一身に集めていたのは大宮東高校であった。
1番から9番までだれでもホームランを打てる打線、そのなかでも、全
国にもその名を轟かせていた主砲・山口幸司は注目の的だった。
われわれは前年の秋の県大会準決勝(県営大宮球場)で彼のバッテ
ィングをレフトスタンドでつぶさに観た。たしか2本のホームランを放っ
たと思う。一本はレフトポール際の場外に消えていった。もう一本は右
中間スタンド(だったと思う)。
このとき思った。コイツと対戦できるなら死んでもいい。
たとえホームランを打たれたとしても。

その大宮東は春の関東大会を制し第1シード、準々決勝では西武台と
の死闘
を制し、準決勝で市立川口と対戦した。意外にも先制したのは
市立川口。しかし4回表、主砲・山口が逆転2ラン、このまま大宮東が
逃げ切るかと思われた。
しかしエース永島には疲れが見えた。同点に追いつかれ、その後もず
るずると追加点を許した。このとき山口は投手の練習などしていない
にもかかわらず、自ら投げたいとさえ思ったという。

結局大宮東は準決勝で敗れた。甲子園に出場した浦和市立(現・市立
浦和)はベスト4にまで進出した。もし大宮東が出場していたとしてもお
そらくこれまでの好成績は残せなかっただろう。

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このページは、nissyが2009年1月28日 23:35に書いたブログ記事です。

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