85年の春のセンバツを展望したある雑誌に、ひとりの選手のコメントが
載っていた。
「僕のライバルは田上。もう一歩で抜けます。田上、待ってろよー。」
なにを言っているんだろう? このひとは、とそのときは思った。
このコメントを書いたのは、宇部商の2番手・古谷友宏投手だった。
宇部商と言えば、大会屈指の左腕・田上昌徳が大黒柱の有力校。古谷
のコメントは失礼ながら自分を見失っているようにしか思えなかった。
田上をもう一歩で抜けるって...。
そしてセンバツでは二回戦で田上がPL打線に打ち込まれ敗れた。
むかえた夏の甲子園、宇部商は田上の好投で一、ニ回戦を突破し、三
回戦をむかえたが、田上の不調で苦戦を強いられる。
この試合をなんとかものにした宇部商だったが、準々決勝でも田上の調
子は上がらず、ついに古谷が登板する事態となった。
しかし、代わった古谷は相手の追加点を許さず、逆に味方打線の援護
によって勝ち投手となった。
準決勝でも先発は田上だったが早々に打ち込まれ、再び古谷がマウンド
に登った。
古谷の好リリーフで宇部商はまたも競り勝ち、ついに決勝、PL学園と再
び相まみえることになった。
このときあの古谷のコメントをやっと思い出した。まさか本当にこんないい
ピッチャーだったとは...。
そしてPLとの決勝で古谷はついに先発のマウンドに登った。好投したが、
清原に2本のホームランを浴びて敗れた。
確かにこのとき、古谷は田上を抜いたかもしれない。
古谷のピッチングはわたしに大きな影響を与えた。
わたしは翌年、高校の野球部に入ったが、同級生には素晴らしいピッチャ
ーがいて、とてもエースにはなれそうもなかった。
しかし古谷のようにがんばっていればいつか出番が来るかもしれない、そ
う思って練習し続けた。
だがそのときは来なかった。わたしとエースとはレベルがちがいすぎた。
わたしは古谷にはなれなかった。
最近の高校野球では複数投手が主流なので、いまだったら当然古谷のよ
うな投手の出番はもっと多かっただろう。『エース』という言葉にいま以上の
重みのある時代だった。

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