ラシュワンは万人に評価されるべきか?

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ロサンゼルス・オリンピック柔道無差別級決勝に進出した山下泰裕は
右脚にひどい肉離れを負い、立っているのがやっとの状態だった。
決勝の対戦相手エジプトのモハメド・ラシュワンは、山下が傷めていた
右脚を攻めなかった。結果この試合は山下が抑え込み一本で勝利し
た。
このあと、銀メダルのラシュワン選手に対して、世界中に賞賛する声が
あふれた。しかし、わたしには納得がいかなかった。
彼が山下の右脚を狙わないということは、彼が得意とする右払い腰を
封印するということである。わたしなら相手の状態がどうであれ、得意
技を封印するようなことはしない。しかし、怪我をした箇所を執拗に攻
めるようなことはせず、あくまでも自分の得意なスタイルを貫くというの
が自分のスタンスである。
だから相手の怪我に合わせて、自分の柔道を捨てたラシュワンがフェ
アプレーと称えられることにわたしは違和感があった。

このことはわたしには『柔道』というスポーツの後進性の表れではない
かと思えた。今回のオリンピックも谷本のオール一本勝ちが「これぞ柔
道」と日本では高く評価された。しかし、オリンピックで行われているの
は『柔道』ではなく『JUDO』である。それはサッカー発祥の地・イングラ
ンドがかつて"放り込みサッカー"にこだわっていたのに似ている。しか
し、それでは勝てなくなったので、伝統のスタイルを捨て、イングランド
も少しずつモデルチェンジしていったのである。

もはや『JUDO』は世界のスポーツである。日本がリーダーシップを握る
時代は終わったのである。そして、それは『JUDO』がよりグローバルな
スポーツになったという証なのである。
喜ばしいことではないか。

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このページは、nissyが2008年9月 8日 23:56に書いたブログ記事です。

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