昭和48年の夏、甲子園の話題は江川一色だった。
センバツでなりふり構わぬ広商野球の前に敗れた作新学院だったが、
夏の栃木県予選で江川は5試合のうち3試合をノーヒット・ノーラン。
打たれたヒットはわずか2本といういまでは考えられないピッチングで
甲子園へ出てきた。
1回戦の柳川商戦では延長15回、2対1で辛勝。江川は23個の三振
を奪った。
そしてむかえた銚子商戦。雨の降り続ける甲子園、試合は0-0のまま
延長12回裏に入っていた。雨で滑るボール、押えが利かない。1死満
塁、カウントが2-3になったとき、作新の内野陣がマウンドに集まった。
江川によると、彼自身が内野陣を呼んだのだという。
江川は「まっすぐを力いっぱい投げたい。それでいいか?」と言った。
ナインは「お前の好きな球を投げろ。お前がいたから、俺たちもここまで
来られたんだろ。」異口同音に言った。
当時、作新は江川が独り浮いていると言われていた。しかし実際はみん
なが一匹狼のような性格で、個性派集団だったのだという。
実はわたしの時の野球部もそうだった。「野球は個人競技」とうそぶる者
さえいた。決して仲が悪いわけではない。上っ面のなれあいを嫌い、個
を重んじる集団だったのだ。
その作新がこのとき初めてひとつになった。江川にはそのときなんの迷
いも消えていた。
そして江川が投じた一球は大きく高めに外れた。しかし江川に悔いはな
かった。高校時代でいちばんいいボールが投げれたからだと江川は言っ
た。


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