スポーツが教育の一環のわけがない

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例のセクハラ問題の学校が甲子園に出場することになりました。
被害者とされる女性記者が朝日、毎日両新聞社という甲子園
の大会主催者ということと関係があるかどうかは定かではあり
ませんが、とにかく学校側による監督だけの謹慎といううやむや
な処分に終わりました。
もし両新聞社が大会のイメージダウンを恐れてこの件に関する
真相究明を避けたとすれば、大会主催者である前にマス・メディ
アとしての資格がないでしょう。上っ面だけ拾い上げて、あたか
も高校野球がしごく健全なものとして扱うのは大げさな話、大本
営(高野連)発表と変わりがないのではないでしょうか?
報道機関としての自覚があるのなら、被害者の口から事実を聴
取することなどたやすいはずです(自分のところの記者なんです
から)。

話は変わりますが、そもそも多くの指導者が「高校野球は教育の
一環」だと公言し、高野連もその前提で指導者を監督している現
状がうさんくさいと思います。もちろん立派な指導者はたくさんい
ると思いますが、表では指導者の操り人形のようにしゃんとして
いて、裏ではなにをしているかわからない状態で本当に『教育』が
行き届いているといえるのでしょうか? 本当に理想の状態とは生
徒が自主的に部活動、はたまた学生生活に及ぶまで自主管理で
きている状態なのではないでしょうか?
われわれの3年の夏の県予選の入場行進を観てもらいたいです。
横や後ろを向いてしゃべっているのがいたり、大笑いしているのが
いたり。そういうのを観て、「指導が足らない」というのは勝手です
が、普段のわれわれは自主的に真面目に練習していたし、なによ
りも下級生を大事にしていました。
『スポーツ教育論』を語る指導者たちはなにを持って部の秩序が保
たれているというのかよく考えてもらいたいです。

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このページは、nissyが2008年7月26日 23:46に書いたブログ記事です。

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