聖望、まさかの初戦敗退

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夏の埼玉はとにかく荒れることが多い。
昭和57年、大型左腕・日野を擁した上尾高校はセンバツには
出場したものの、全国制覇の期待のかかった夏の県予選で伏
兵・鴻巣に9回裏、逆転サヨナラ3点本塁打を浴びて3回戦で
敗れ去った(このとき日野はKOされていて、打たれたのは二
番手の造)。
この年の甲子園出場校は斎藤政樹擁する市立川口でもなく、
県北一の進学校でメガネの選手ばかりの熊谷高校だった。

昭和63年は大型スラッガー・山口のいる大宮東がやはり全国
制覇を狙える高校として注目されていた。
しかし、大宮東は準決勝で破れ、優勝したのはやはり進学校の
浦和市立(現・市立浦和)だった。
しかも彼らは甲子園でも旋風を巻き起こし、準決勝まで進んだ。

聖望学園にも当然期待がかかったが、記念大会で学校数が半
分に分けられ2代表になっても甲子園への道は厳しかった。

埼玉の高校で唯一優勝しているのが昭和43年のセンバツの大
宮工。あとは大宮東、聖望学園が準優勝。夏は熊谷と春日部共
栄の準優勝が最高、埼玉はまだ夏の甲子園を制したことがない。
ほかのスポーツに比べて、野球は弱いといわれるゆえんである。
確かにうちの町もサッカーのほうが盛んだったし、中学でも軟式
だったしなぁ。弱いのも仕方ないかも。

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このページは、nissyが2008年7月13日 23:49に書いたブログ記事です。

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