それはまぎれもなくあの試合を観たときからはじまった。
昭和60年夏の甲子園決勝・PL学園対宇部商。
KKコンビを中心に、圧倒的な力を誇ったPL学園。
かたやエースの不調による二番手投手起用により辛うじて決勝まで
勝ち残った宇部商。力の差は歴然としていた。
当時その宇部商躍進の原動力となり、その時点での大会通算最多
の4ホームランを放っていたセンターの藤井進は、あのころのPLに
勝つ方法があったのか考え、こう答えた。
「可能性はひとつあるんです。清原を敬遠することです」
「でもそんなこと当時は考えもつきませんでした。また敬遠して優勝
しても、もやもやしたものが気持ちの中に残ってたでしょうね」
「だから、負けは負けでも、エエ負けやったと思うんです」
大黒柱・田上の陰に隠れながらも、必死にいままで努力してきた二
番手投手・古谷の力を宇部商ナインは信じた。いや、ひょっとしたら
いままで陰でがんばってきた古谷に清原との対決という最高の舞台
を与えてやりたいと思ったのかもしれない。
先の藤井の言葉、どっかの四国の監督に聞かせてやりたい。

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