わたしがいままでこのブログで書いてきたなかで、『こころ』と
『にんげん』は必ずかな書きでいたことにお気づきだろうか?
これらはわたしにとって特別大事にしたいワードだという気持
ちから自然とそうするようになった。
『こころ』と『にんげん』、どちらも自分にとって不可思議で、謎
が深いものだ。
わたしが持っている『こころ』と、いまこれを読んでくださってい
るあなたの『こころ』、おなじものなのだろうか?
わたしは自分の『こころ』をじかに感じることができる。でも、あ
なたが持っている『こころ』はわたしの『こころ』というフィルター
を通さないと感じることができない。
言い換えれば、わたしの『こころ』が存在しないとあなたの『こ
ころ』も存在しないのである。
唯物論を信仰するわたしにとってどうしても説明のつかない『こ
ころ』の存在。わたしが『こころ』をかな書きにするのにはそうい
う意味がこめられている。
つぎに『にんげん』。『にんげん』は『こころ』を持っている。いや、
持っているものと思い込んでいる。
『にんげん』は『こころ』を持つからこそ『にんげん』なのである。
動物のなかで、『にんげん』だけが『こころ』を持つ。
というか、『にんげん』が持っているから、それを『こころ』と呼ぶ
のである。
いったい『こころ』の正体とはなんだろう? 唯物論信仰者の持
つ最大の難問である。そしてその『こころ』の持ち主である『に
んげん』とは?
たまにはこんな感じでいいでしょうか?

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