大学浪人時代、ち○この会(参照)の友人が、毎回ちがうものを買ってきて
もおなじような味がするカップラーメンを“民主主義の味”と言った。
多数決でひとつの意見に決まり、それが民衆の意見とされる、そんなとこ
ろがこの言葉に表れたのだろう。
あのころはとにかくひととおなじになるのがいやだった。一般的にはやって
いるようなことには意識して無視していた。
「あ~ かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう。」
これもその友人の言葉だ。自分もそんな感じで生きていた。女に媚びるな
んざ死んでもできなかった。浪人時代・大学時代とそんな調子で生きてき
て、友だちなんぞひとりもできなかった。
それに比べるといまはずいぶん変わってしまった。いまじゃ女友だちのほ
うが多いくらいである。社会で生きていくためにはそう変わらざるを得なか
ったのだろうか。
でもやっぱりわたしの根幹にはち○この会がある。
受動態の人生より能動態の人生のほうがいい。

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