江田産業とは

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今日はこのブログのドメイン「eda3gyo.com」ってなに?っていう
疑問をお持ちのかたにむけてご説明します。
これはカタカナにすると「エダサンギョウ・ドット・コム」になります。
「エダサンギョウ」は「江田産業」と書きます。
オリジナルは「仁義なき戦い」にでてくるヤクザの組名です。
そこから拝借して、我々のお笑いユニットの名前として
使わせていただきました。
お笑いユニットの活動の始まりは平成6年にさかのぼります。
初めて就職した職場の懇親会で、新人はなんかしゃべれという
ふうに言われて、トークは苦手だが、漫才ならできると言って
しまったのが始まりでした。
職場の先輩を相方にして数回程度のネタ合わせで本番を迎えました。
いまから観れば、超グダグダな漫才でしたが、会場はまあまあ
受けてました。
そのあとはその先輩のほうがのる気になってしまい、懇親会の
舞台は3回くらい続きました。
そしてその先輩の異動とともに「江田産業」はしばらく活動休止して
いました。

そして平成12年6月、わたしが退職することとなり、けじめ
として「ラスト・ライブ」をしたいと思いました。
舞台は退職日の2日前です。
このときはよく練習しました。
わたしのピンネタ、漫才、3人によるコントをやりましたが
お客さん(職員+わたしの個人的な友達)の評判は上々でした。
とくに漫才はよかったようです。
これでこの職場に思い残すことなく退職できました。

しかしわたしのお笑いに対する情熱は消えていませんでした。
2002年度の「M-1グランプリ」に出場したのです。
結果はわたしが舞台に上がったとたん頭がまっ白になり、
なんのセリフも言えず、相方の「いいかげんにしろ」で
無理矢理舞台からはけてしまいました。
相方にはそれで愛想をつかされてしまいました。

それでもあきらめず、今度は新しい相方とお笑いのインディーズ
団体のライブに出ました。
一発目のネタは途中相方がセリフを見失いましたが、アンケートの
評価はよかったです。ほかの芸人さんにも褒められました。
しかし2回目の舞台では明らかにスベりました。
相方にも本業の忙しさを理由にもうお笑いはできないと言われて
しまいました。

それ以後お笑いの活動はしていません。
しかし、お笑いを完全にあきらめたわけではありません。
もし同じような気持ちを持っている人がいれば
いっしょにやってみませんか?

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このページは、nissyが2005年7月25日 23:37に書いたブログ記事です。

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