2009年8月アーカイブ

大野(元広島)、山本昌(中日)、和田(ソフトバンク)、藤井(日本ハ
ム)。4人の共通点は表記のとおり。
もうひとつ、なぜか左投手なのである。これはカメラの角度で判別しやす
いからなのか、右投手で彼らと同類にあたると思われる投手はまだ確認し
ていない。
要は変則モーションで、極端に腰を折り曲げて投げる投手がこの類に挙げ
られる。この「球の出どころがわかりにくい」という要素は、じつは球速
とおなじくらい重要な要素だとわたしは考えている。そう考えると、40
歳になっても140キロ台をバンバン投げていた大野なんかもっと現役を
続けてもよかったんじゃないかと思う。

では、この「球の出どころがわかりにくい」フォームというのが彼らの成
功の原因なのだろうか?
興味深い考察がある。『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』(佐野
真著・講談社現代新書)によると、和田のピッチングの

・驚異的なストレートの切れ

それに加えて、

・投球腕の隠れ
・リリースポイントがふつうのピッチャーよりかなり前

という要素が、彼の球を球速以上に打ちづらくしていると分析している。
さらに「驚異的なストレートの切れ」のもとになっているのは、「ボール
の回転数の大きさ」だという。
つまり和田にとって「球の出どころがわかりにくい」というのは付加的要
素でしかないという結論だ。

正直ストレートに切れのある投手といったら江川とか、現役なら藤川なん
かのほうが個人的にはイメージが強いのだが、おそらくテレビで観るのと
実際に対戦しているバッターとはだいぶ感覚がちがうのだろう。

奇跡の予感漂う大甲子園、快音を残して放たれたライナーはそれをかき消
すように三塁手のグラブに収まった。
このとき三塁ベース上の伊藤の目にひざから崩れ落ちた若林の姿ははどう
映っただろう?

新潟県の山形県境にちかい山間の村・関川。村にただひとつしかない中学
でバッテリーを組み、県大会で準優勝。ふたりの夢は大きく膨らんだ。

「いっしょに甲子園へ行こう。」

念願は叶った。今春のセンバツに出場。しかし、優勝した清峰に完封負け。
しかしこの敗戦をムダにはしなかった。日本文理は雄々しく立ち直り、春
夏連続出場を果たした。
そして新潟県勢としては春夏通じて初という決勝戦に駒を進め、一時は7
点差とされながら、9回二死からの怒涛の反撃で1点差までせまった。
敗れたとはいえ、決して"野球留学校"でもない地方の高校がこれだけの完
成度の高いチームに仕上がったことは多くのおなじような条件下の高校の
励みになるだろう。

対象はいつも存在する

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昨年電撃的にある女優さんにハマり、舞台挨拶へ行ったり、映画祭の授賞
式へ行ったり。
それだけではなくほかの女優にも飛び火して、テレビドラマをチェックし
たり。
ここまでハマったことはさすがになかったけれども、以前にもこれにちか
いことはあった。

大学生時代は田中美佐子さんがダントツ、以下大島さと子(当時は智子)
さん、森尾由美さん、伊藤かずえさん、洞口依子さんあたりが好きでした。
いまも好きですね、このひとたちは。
当時とちがうのは子どもくらいの年齢のひともいいなと思えること。
吉高由里子さんや、谷村美月さんに抱く感情はカワイイという感覚ではな
いと思う。

なんで最近になって復活してきたかというとたぶんそれは日常接する女性
に対象がいないということなんでしょうなぁ。

ネットと公職選挙法

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いろいろ検討はされているようだけれども、今回の総選挙もいわゆる「ネ
ットでの選挙活動」は原則として禁止されたままおこなわれることになり
そうだ。
もともと選挙期間以外に投票の依頼などをおこなうことはいっさい禁止さ
れているのだが、選挙期間中も頒布するハガキ、ビラ、ポスターなどの数
がこと細かく制限されている。ネットによる選挙活動(以下ネット選挙)
は明文で禁止されているわけではなく、条文の解釈上そう読み取れるとい
うだけである。
思うに、この制度は「物理的に平等な選挙運動」を保障するものだと思う。
これは立候補者の経済的な格差を得票に反映させないためのひとつの方法
だと思う。それは経済力のある者ほど物理的に多くの『文書図画』をばら
まけるというのでは公平な選挙ではないという考えに裏づけられているの
だと思う。
つまりむかしからあるハガキ、ビラ、ポスターという"物理的な文書図画"
とは異なる"理論的(?)な文書図画"にもこの規制をあてはめることに
は無理がある。
だとすれば、ネット選挙を禁止する正当な理由はこの理念だけではでてこ
ないのではないのか?
考えられる理由としてはいわれのない誹謗中傷が横行する可能性などがあ
げられているが、そういった情報はいまでもいわゆるアンダーグラウンド
なサイト上で流通している。候補者の公式サイトが発する情報のみが候補
者の公式な情報であるとすればそれで足りるのではないだろうか?
サイト制作はお金をかければそれなりのものはできる。しかし、肝心の候
補者に優れた資質がなければそのサイトはただのお飾りに終わる。

韓国の大手銀行のひとつ、新韓銀行の日本法人『SBJ銀行』が開業した。
以前から新韓銀行の日本支店はいくつか存在したが、本店が日本国内に
ない外国銀行の預金は預金保険の対象にならない。SBJ銀行は本部を
日本国内におく『外資系邦銀』なので1000万までは保証される。しかも
『プレミアム定期』と称し他の邦銀と比してかなりの高利をうたった商品を
売り出している。
もともと日本より韓国のほうが金利は高いのが最近の傾向のようだが、1
0年ちょっと前に通貨危機でIMFから融資を受けていた国だけに、興味は
あれどやはり簡単に飛びつく気にはならない。
預金保険の対象とはいっても、やはりいざというときに国が本気で外資系
邦銀を助けてくれるかといったらやはり怪しいと感じぜざるを得ない。
まさにその感覚が日本人の国際化を阻む要素ではあるのだろうけど。

最近ではこの業界以外のところでもよく聞くようになりました。
関連する専門書もすでに多く出版されています。
...が、正直実感としてそういう動きを(なんちゃって)ITエンジニアとしては
まだとらえきれておりません。

この言葉は『Web 2.0』とおなじで包括的な概念と言えます。
具体的には『ネットワーク・コンピューティング』とか『グリッド・コンピューティ
ング』などと従来呼ばれていた概念を統合し、さらに発展させたものという
ことになります。

例えば...、駅探日本気象協会、なんてのはよくできてると思います。

このなかで『駅探』の機能で言えば、わたしが事務員をやっていたときは
『駅すぱあと』という有料ソフトを職場のパソコンにインストールすることに
よって実現できたのでした。このような使い方をするコンピューターを『ファ
ットクライアント』と呼びます。
しかし、運賃の改定があったり、想定外の運賃体系が登場するなどしてバ
ージョン・アップの必要に迫られたりすると、その都度担当者はすべてのク
ライアント・マシンに環境を設定しなおさなければなりません。

そこで登場するのが『HTMLクライアント』です。
クライアント・ソフトにWebブラウザを使うことによってネットワークを通じて
HTMLファイルを表示することができ、しかもプログラムを使って双方向に
通信することも可能になりました。
しかし、ご存知のように(Flashなどを使わない)単純なHTMLだけで表現
した画面は表現力と操作性が乏しいものになってしまいます。
また、異なるブラウザで同一の表示が期待できないというブラウザの互換
性の問題も生じます。

そこで今度はAjax、Flashなどを使った『リッチ・クライアント』の登場です。
これによりHTMLクライアントの弱点である表現力や操作性の乏しさは解
消され、また、クライアント・サイドで入力処理プログラムを動かすことによっ
てサーバーへのアクセスを最低限におさえることも可能になります。
また、Ajaxではまだまだ大きな課題ですが、Flashではブラウザ互換の問
題はほぼ解消できます。
しかし今度は別の問題が出てきます。
すなわち高度な表現力や操作性を持つユーザー・インターフェイス(以下
UI)の制作とそこから得られる入力データを処理するプログラムのつじつま
が合っていなければなりません。
HTMLクライアントでは入力フォームをつくる作業などはプログラマーが片
手間でやるような感じでUIの表現力や操作性はあまり考慮に入れられない
傾向がありました。しかしリッチ・クライアントを強く意識するならUIにデザイ
ナーズ・マインドが含まれていなければなりません。

結論としてクラウド・コンピューティングとリッチ・クライアントという概念は密
接に関わってくると言えると思います。このふたつの概念は今後のウェブ技
術の発展の両輪を担っていると言えるのではないでしょうか。

ファーヴ、ミネソタへ

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またまた無視できない男が戻ってきた。
「ちゃんとパスルートに投げっから、きちんと取ってくれよ」と言わんばかり
に"ぶん投げジャーマン"の如く剛速球を投げ込む彼の姿をまた観ること
ができる可能性が残った。
そう、あくまでも可能性。開幕までの短期間でチームのフィロソフィーに自
分のプレーをマッチさせるのはフットボールの世界では非常に難しいこと
だからである。
いかにファーヴといえどもそれはおなじ。

なんか去年もおなじこと言ったような気がする。

倒れろ!

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元WBA世界J・バンタム級(現S・フライ級)チャンピオンの鬼塚勝也は一
般的にはいまも現役当時もボクサーとしてそんなに高い評価を受けては
いないと思う。
それはタイトルを手にしたタノムサク・シスボーベー(タイ)との試合が非常
に接戦で、世界戦の採点基準をよく知らないひとには"疑惑の判定"としか
うつらなかったことに端を発する。
実際このクラスの日本人世界チャンピオンは数多いが、専門家のあいだで
も渡辺二郎や川島郭志などと比べるとあまり高く評価する声はない。
彼のキャリアのピークはおそらく中島俊一(ヨネクラ)から奪った日本タイト
ルを保持していたころだろう。
ただ、もし網膜剥離を患っていなければもっと強いチャンピオンになってい
たと思う。

イ・ヒュンチュル(李炯哲)との最後の防衛戦は壮絶だった。
第9R、鬼塚は一方的に打ちまくられた。
だが倒れない。ただボクサーとしての本能だけで立っている感じだった。
このままでは本当に事故が起こるとわたしは思った。
気がつくとテレビに向かって叫んでいた。
セコンドはなぜタオルを投げなかったのだろう?

結局チャンピオンは1分以上も挑戦者の連打を一方的に浴び続け、レフリ
ーが試合をストップした。

このときはじめてわたしは彼を『偉大なチャンピオン』だと認めた。
いや、『偉大なチャンピオン』だったと。

PLがメッシュ生地?

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いまから30年くらい前から高校野球でも夏の試合のユニフォームはメッシュ
生地が主流となっていたが、PLはかたくなにノーマルな生地のユニフォーム
を着ていた。
...のはずだったのだが、今年の夏彼らのユニフォームは流行の縦に筋の入
ったメッシュ生地のものだった。

いったいいつから?

所蔵していたDVDで調べると松坂と対戦した平成10年(第80回)のときは
もうメッシュになっている。気がつかなかった。
ひとつ手がかりになるのは、中村監督がこの年のセンバツを最後に退いてい
ることだ。
春夏連覇した昭和62年(第69回)のときはまだメッシュではない。ただ、この
間11年がある。DVDにはこれ以上の資料がない。

そうなるとネットだ。PL、中村監督、メッシュ、いろいろ組み合わせてみたが答
えにつながるものは見つからなかった。

わたしのかすかな記憶では中村監督がメッシュ生地を嫌っていたという話を
聞いたことがあるのだが...。

まぁ、ときにはわからないことが頭の片隅にあってもいいだろう。ネット時代に
なってもわからないことはわからないままでいい。

中京のエースといえば

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10年ほど前、広島ファンの同僚に連れられて神宮球場へナイターを観に
いった。
わたしはほとんどプロ野球に興味がなく、しかもヤクルトにも広島にも特別
な思い入れがなかったので少々かったるい思いで試合を観ていた。

ところがヤクルト側の守備で、ある投手がマウンドに登ったとき、わたしの
目はそのひとに釘付けになった。
その投手とは野中徹博。かつて甲子園で池田・水野と緊迫した投手戦を
繰り広げた末敗れ去った愛知・中京高校のエースだった男である。
彼はその年のドラフト1位で当時の阪急に入団し将来を期待されたが、故
障で思うような結果を残せず野手転向ののち自由契約の身に。その後は
ひと知れず一般の社会人としてふつうの生活をおくっていた。

誰もが"中京の野中"は終わったと思った。
いや、ほとんどのひとがすでに彼の存在を忘れかけていた。

そんなとき、台湾から意外な情報が入ってきた。
あの野中が台湾で大活躍をしているという。もちろん投手として。
台湾という異国の地で自信をつけた彼は、翌年入団テストから這い上がり、
憧れの中日のユニフォームに袖を通す。
貴重な中継ぎ投手として活躍したが、3年目はわずか3試合の登板に終わ
り再び自由契約を言い渡される。

しかし"中京の野中"はまだ終わらなかった。

今度はヤクルトの入団テストを突破し、翌年みごと開幕一軍の座を勝ち取
る。
"野村再生工場"のもと、野中は再び輝きを取り戻した。
中継ぎとしてチームの日本一にも貢献し、自己最多の44試合に登板、ま
た念願のプロ初勝利も挙げた。

わたしが彼の姿を観たのはおそらくこの年だと思う。外野スタンドからだっ
たが、この雄姿をしっかり目に焼き付けておこうとわたしは食い入るように
マウンド上の彼の姿を観ていた。

結局その翌年は思うような結果を残せず彼は引退した。現在は都内でサ
ラリーマンとして第二の人生を送っている。
しかし野球とは離れられず、いまはマスターリーグで活躍しているという。

そう、"中京の野中"に終わりはない。

元中京高校エース 野中の野球人生

高校生時代の彼はなんだかやけにオッサン臭く観えたが、いまの彼の姿に
むかしの『巨漢』のイメージはまったくない。むしろいまのほうが男前に見え
る。
気が張っているときのほうがいい顔をしている場合が多いと思うのだが、逆
の場合もあるのだなと思った。

やっぱり観てしまう女子バレー。
今年はけっこう男子のワールドリーグも放映してたけど、営業的にはやは
り女子のほうが盛り上がるんでしょうなぁ。

んで、眞鍋監督は「Bキャッチからのコンビバレーを目指す」という指針を
掲げている。これには大賛成。柳本前監督はサーブキャッチの精度を上
げてセッターが自由にアタッカーを使えることをまず第一に目指して、そ
の前提で攻撃のバリエーションを増やしていくという方針だったとわたし
は認識している。
しかし実情は世界レベルのサーブをきっちりAキャッチで返すのは難しく、
それは選手のレベルうんぬんではなく、レセプション技術の限界だとわた
しは思っている。だから柳本ジャパンはサーブで崩されるとほとんどなに
もできなかった。わたしも何度か「二段トスが打てるアタッカーを育てよ」
とここで書いたことがあると思う。また、大山加奈はそれができる数少ない
アタッカーだということも書いた。
残念ながら彼女はまだ無理ができない状態(昨年8月に手術)なので、今
回の最終選考には選ばれなかった。それでいいと思う。それくらい大手術
だったのだから、こんなところで無理をしては仕方がない。それよりも彼女
のようなアタッカーをほかにも育てることが先決だ。

で、実際日本のバレーはどう変わったか? もともと竹下の技術であれば
Bキャッチでもかなりの精度でいいトスがあがる(いまだに竹下頼みという
のは置いといて)。アタッカーも以前と比べるとうまく打てていると思う。
しかしコンビバレーというにはまだ精度が低い。

最後にやっぱりというか、フジテレビは狩野舞子に目をつけた。気づくと彼
女ばかり映している。
坂下も映してやってな。

ボニさんは客観的に見てもかなりの美形だと思うのだが、いまのように女
性らしいスタイルになったのは30代になってからである。
もし彼女が初めからセールスを意識して、それも含めてBONNIE PINK
というふうに割り切ってふるまっていたら、あるいはもっと早くブレイクして
いたかも知れないなぁと思う。
でも、20代の"赤髪"のときのPVとか観てもかなり女性としてイケてると
思うんだけれど、どうしても「ショートカット=ボーイッシュ」っていうのがひ
との先入観としてあるのかな? そのうえ赤髪だし。
彼女自身も若かったし、女性ということでナメられたくなかったという『反骨
心』みたいなものもあったということは言っている。

彼女からそういう束縛がなくなっていくとともにファッションや音楽性にも変
化が出てきて、いい意味でどちらも"幅が広まった"気がする。
10年前には彼女がスカートをはくようになるなんてありえなかったし、R&
B系のサウンドを取り入れることも想像つかなかっただろう。

林檎とか鬼の10年と比べると年齢にもかかわらずいろいろな意味で明ら
かに跳躍の幅が広いと思う。

ボニさんはまだまだリニューアルし続けるだろう。

フライで走るな!

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小学校上級生としての"指導者的立場"に立つと、頭が痛いのが低学年の
子にこれを教え込ませること。
うちの小学校は野球をやらなかったのでソフトボールの話になるのだが、
まぁ、子どもたち(自分も子どもだが)は解かってくれない。わたしのような野
球大好き少年(その小学校ではごくまれな)にはまぁストレスがたまることで
あった。
これが理解できるようになると次はフォースプレーを覚えさせなければなら
ない。これはもっとたいへん。なぜタッチしなくていいのか? いくら頭で理解
しても実際に体が動くまでにはたいへんな時間と労力がいる。反復練習を
繰り返すしかない。自分のようにルールだけはいち早く覚えていた"兄貴"に
はホントに彼らをまともな選手に育てるのに苦労した。彼らがスポーツを好き
なら自然と身につけるのも早いのだが、わたしの字の低学年の子はどちらか
というと"もやしっ子"が多かった。だから余計苦労した。野球が好きなだけに
彼らとの意識のギャップに悩まされたものだ。

もっともわたしもサッカーのルールや動きを覚えるのは熱心じゃなかったから、
上級生たちはイライラしてたのかもしれないけど。自分ら以下の学年とちがっ
て、上級生たちはどちらかというと体育会系だったから。

ちなみに字(あざ)っていうのは地域の単位です。念のため。

サッカー嫌いの少年

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わたしの育った町はサッカーが盛んで、小学生で野球をやっている子どもは
ほんの一部だった。
ましてやわたしの通う小学校ではソフトボールくらいしかやっていなかった。
わたしは野球のピッチャーがやりたいのに、ソフトボールのピッチャーで満足
できるはずがない。結局中学になるまで野球経験はゼロだった。
これは最終的に大きなハンディになった。
投手というのは非常に経験がものを言う。なのに小学校時代本格的にやれ
るスポーツはサッカーしかなかった。
そのくせ変にキーパーとしての能力が認められ、"飛び級"で5年次に町の選
抜チームに送り出された。
もともとそんなにサッカーに興味がなかったのだが、それでますますサッカー
が嫌いになった。

いま考えればぜいたくなことだが、もしあのまま選抜チームでキーパーの練習
をやっていたら、中学でもサッカーをやっている流れになっていたかもしれな
い。
しかし、当時のわたしには野球でピッチャー、それで甲子園を目指す、そういう
考えしかなかった。
だから自然と選抜の練習には行かなくなった。ひょっとしたら野球のピッチャー
よりサッカーのキーパーの素質のほうがあったのかもしれない。

そして大人になって純粋な気持ちでサッカーを観ることができるようになると、
めちゃくちゃおもしろいスポーツじゃないかと再発見するのだった。
そして実際にプレーしてみても、だてに"サッカーの町"で育っていない。体がち
ゃんと動くのである。
それに実際にプレーしていなくても、テレビやスタンドで観戦してきたので選手
としての動き方が理解できているので、戦術的な動きがもともと染み付いてい
るセンスにプラスされ、ブランクがあるにもかかわらず、学生のときより明らか
にうまくなっているのである。

しかし、残念ながらこのときわたしの体はすでにオッサンになっていた。
この体では体力面でフルコートのサッカーはハードすぎたのであった。

伝統のユニホーム

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高校時代、中京(現・中京大中京)の襟付きユニフォームに憧れているチ
ームメイトはけっこう多かった。
しかし現在名門と呼ばれる野球部もユニフォームのデザインを変えてい
るところがいくつかある。
例えば中京大中京もそうだが、興南、広陵、三重などもそう。
かくいううちの高校もいちおう県内では名門と呼ばれているが、しょっちゅ
うデザインを変えている。
まぁ、うちの場合は伝統とかあまり気にしない雰囲気がわたしの在学当時
からあったが。
しかし中京といえば『襟付きユニフォーム』、これは高校野球ファンの常識
であった。いったいだれがこの伝統を破る権限を持っていたのか、またOB
の激しい反対はなかったのか関心のあるところではある。

しかし一方で久しぶりの甲子園でも変わっていない学校などを見ると正直
オジサンはうれしい。箕島、県岐阜商、熊本工、西条、龍谷大平安、作新
学院、高知、東北、PL学園、天理、県内では上尾、所沢商、熊谷商、川越
工など。

やっぱり伝統のユニホームは魅力がある。わたしの高校が甲子園に出た
ときのユニフォームはむかしの全国大会準優勝したころのものとはちがう
デザインになっていると思うが、わたしは幸運にも最後に甲子園に出たと
きとおなじデザインのユニフォームを着ることができた。これは自分のなか
ではひそかな自慢だ。

ある意味中京のリニューアルは掟破りだが、結局は時代を創っていくのは
いまの選手たちなのだ。彼らが新たな中京大中京の伝統を創っていくので
あろう。
ただ、選手の意見と無関係に『鶴の一声』で伝統のデザインを変えられて
しまっては、それに憧れて入部した選手にはたまったもんじゃないが。

以前ちょっと言ったことがあるが、最近はこのアルバムにハマっている。
ボニさんの3rdアルバムだが、ジャケットの雰囲気からして暗い。
彼女自身精神的に落ち込んでた時期に創ったアルバムなので、聴き返
せない。いい作品だとは思うけど。と言っているので、ボニさんの作品の
なかではけっこう異質なのかもしれない。
わたし個人としてはひょっとしたらいちばん好きなアルバムかもしれない。
ひとつも"ハズレ曲"がないと断言できるのだ。
とくに気に入っているのは『He』、『Eve's Apple』、『Quiet Life』、
『Only For Him』、『evil and flowers(original ver.)』、ってまぁほとん
ど全部になってしまうんですけど。

ボニ初心者に紹介するとしたら、『ONE』とこれをまず勧めるかな?
『ONE』は"いまのボニさん"を知ってもらうということで。
んで、ライブで『Heaven's Kitchen』と『Tonight,the Night』を聴いて
もらう。そんな感じかな?

なんにしてもボニさんはシングル曲だけでは理解しきれないですよ。

らりピー

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いやね、ホントに『清純派女優』だなんてこれっぽっちも思っていません
でしたよ。だからといってこの事態は予想してませんでしたよ。だから
"失踪"したときは正直ホントに心配しましたよ。その時点で勘のいい方
とか、家族の事情を知っているひととかは"失踪"じゃなくて"逃亡"だっ
て思ったみたいですけどね。
だっていままでほとんど彼女に興味を持ったことはなかったんで、"自称
プロサーファー"の方と結婚していたことも、10歳になるお子さんがい
ることも知らなかったですからね。ただ、親父さんを交通事故で亡くした
ときはリアルタイムで知ってましたけど。『星の金貨』も観てないし、『碧
いうさぎ』もサビしか知らんし。

所属事務所がデカいとタレントさんはやっぱり有利ですよね。もっともそ
こへ入るまでが狭き門なんだろうけど。

ニュース速報

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このデジタル放送の時代でもニュース速報や地震情報は「ピロロン♪」と
いう音とともにいやでも画面にテロップとして映し出される。
それがどうでもいい番組だったらいいのだが、永久保存しようと録画まで
して観ている番組にこんなものが出されたらたまらないとは思わないだろ
うか?

以前スカパーで『ファイティング原田 対 エデル・ジョフレ』を2度目の
再放送でやっと録画することができた。
しかし途中で最悪にも自宅とはかけ離れた震源の地震情報のテロップが
出されたのである。
なにもスカパーにニュースの速報性など求めてないと思うのだが、いちお
う出さなければいけない決まりなのだろうか?

いつも思うのだが、このようなテロップ情報はオンタイムの放映中にだけ
表示して裏の録画には影響を与えないような仕組みはできないものなの
だろうか? そのような要望を想定していなかったとしたら、いまのデジタ
ル放送化はだいじなところに目が配られていないと思う。

わたしがよく訪問する夏川さんファンのブログに韓国の方と思われる人物
からの書き込みがあった。
そのひとによると、韓国にも夏川ファンはけっこういるのだという。
最近やっとそうでもなくなったが、日本でも夏川さんの立ち位置は微妙な
のに海外のファンがいるとは意外だった。
しかもその方は信じられないくらい多くの夏川情報を持っていて、夏川さん
の出演作をほとんど観ているようなのだ。

いったいどこから仕入れているのだろう? さすがネット大国。

青春のひととき

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いつからか高校野球でも野手がマウンド上に集まることに回数制限が設け
られるようになった。
基本的には延長戦を除いて1試合に3回までということのようだ。
その制限の理由は「試合の進行をスムーズにするため」と規則には書かれ
ている。
わたしは正直この制限には賛成しかねる。
これまでこのような『タイム』が無用なものに感じたことはないからである。
人生全体のなかで高校野球に捧げられる時間などほんのわずかでしかな
い。
正直高校野球レベルでは野手がマウンドに集まり伝令が来たところで大し
て戦術的な話などできないであろう。しかし、このわずかな時間にこれまで
いっしょに練習し、ともに戦ってきた仲間とかわすひとことふたことは人生に
おいて非常に意味のあるものだと思う。

たとえ試合に影響はなくても、人生には大きな意味を持つ時間なのだ。

できればこの条項は撤廃してほしいが、せめて5回くらいまでは許してあげ
てほしいと思う。

思いがけず早朝4時ごろ目が覚めてしまったとき、とりあえず『やじプラ』
がはじまるまではフジテレビの『めざにゅ~』を観ることにしている。
この番組の月~水曜のメインキャスターはセント・フォース所属のフリー
アナウンサー、杉崎美香さんである。
もともとは信越放送の『局アナ』であったが、2年で辞めて現在の事務所
に所属している。
Wikipedia上の情報では事務所のスカウトではなくオーディションに
合格したとあるが、はたして地方局とはいえ難関の局アナに採用された
のにたった2年で何のつてもなく辞めるなどという冒険ができたのか個人
的にはこの情報は疑問に思う。

で、この杉崎さんのアナウンス能力は非常に高いと思う。原稿読みは非
常に安定しているし、声もほどよい高さ、声質で長く聴いていても疲れな
い。
いっしょに出演している他のフジテレビ局アナたちと比べると一聴瞭然で
ある。
また、ニュース読み以外のコメントも常に落ち着いた感じで、いい意味で
フジテレビらしくない。
三十路に突入しているがルックス的にはまだまだ八重歯のかわいらしい
女性である。

事情はよくわからないが、フリーに転じて以来現在までフジテレビ系列以
外のテレビ局には出演していないようである。
アナウンサーとしての資質は一級品だと思うので、そのあたりの"足かせ"
がなくなったとき、彼女が新たにどんなステップを踏むのか楽しみである。

杉崎美香さん

なるほど

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『WOWOWエキサイトマッチ』を観ていると、ときどき高柳アナが的外れな
ことを解説者のふたりに振ってくることがある。
で、そういうときジョーさんは即座に否定的な言葉を返すのだが、浜田さん
がストレートに否定したことはあまりない。
あるとき高柳アナがかなりあさって方向の見解を述べ、それについて振ら
れた浜田さんは「なるほど」と答えた。
「そういう見解もありますね」という言葉が省略されたかたちだと思うが、そ
れによって高柳アナの面目も保たれ、浜田さんも決してその意見に賛同は
していないという最低限の抵抗は示せたことになった。
そのことから浜田剛史というひとはジョーさんのダジャレにはつれないが、
意外とそういうところに気配りができるのだなということがわかった。
決して多弁ではないし、もともとの性格が解説者に向いているとは思えな
いのに、選手についての下調べは怠らず極めて合理的な解説をする。
そのうえさきほど言ったような気配りもできる。
選手時代幾多の苦難を乗り越え世界チャンピオンになった努力のひとだが
そのことを自慢げに話すそぶりもない。
アルレドンドを1RKOして会場に座布団が飛び交っているなか、独りだけニ
ュートラルコーナーで静かにロープにもたれかかっていた。あんな静かに自
分の世界奪取を受け止めた選手を見たことがない。

すごくかっこいいとは思うけど、まるで悟りを開いたようなひとなのでちょっと
近寄りがたい。そんなひとだな、浜田さんは。

無謀な挑戦

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浜田剛史が世界に挑戦した試合を観たことがあるだろうか?
ゴングと同時にグローブも合わせずに攻め込んだ浜田。初めから12ラウ
ンド闘うつもりなどないようだった。
相手はカウンターのうまいテクニシャンで、しかもKO率も驚異的に高い。
この戦法はあまりにも無謀に見えた。

しかし浜田陣営には計算があった。というより浜田は右膝に爆弾を抱えて
おり、とても長丁場を闘える状態ではなかったのだ。
浜田自身も「二度と通用しない」と言っていたこの作戦だが、じつは浜田の
怪我の具合などを総合的に考えて"最も合理的な戦法"だったのだ。
もし浜田があの戦法をとっていなかったら、おそらく中盤以降は一方的な展
開になっていただろう。あるいはKOされていたかもしれない。

ファイタータイプの選手はただやみくもにラッシュしているだけだと思ったら
大まちがいである。浜田がいかに考えたボクシングをしていたかは彼のボ
クシング解説を聞けばわかるだろう。
ファイティング原田はポーン・キングピッチ戦で観せた"狂った風車"と呼ば
れたラッシュ戦法ばかりがとり立たされるが、相手の懐に入るのがじつにう
まかった。ただやみくもにラッシュするだけであの"黄金のバンタム"エデル
ジョフレに勝てるわけがない。むしろボクシングの組み立て自体はボクサー
タイプの選手のほうが単純なような気がする。

話を戻すと、一見無謀に見えたあのときの浜田の闘い方にはじつは合理的
な裏づけがあったということだ。
成功する確率は低いにせよ、あの戦法は考えに考え抜いた末のもっとも成
功する可能性の高かった闘い方だったのだと思う。

16年前の夏川さん

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夏川さん、いくらなんでも緊張しすぎだろ!
タモさんに面接受けてるみたいじゃないの。髪いじりすぎだし。
メチャクチャおもしろいエピソードを淡々と語ってるのもおかしいし。
「もしもし?」って声裏返ってるし。

このひとがいまでは演技派女優として非常に高い評価を受けているんだ
からわからないものです。
ふだんの夏川さんも根本的なところはいまもまるで変わってないみたい
ですけどね。

むかしおぎやはぎがまだそれほど世間一般に知られていないころ(02年)
の彼らの単独ライブで「エンヤしか聴かない殺し屋」という設定の役を矢作
がやっていた。
そのころはようやく日本でもエンヤというアーティストのイメージが一般的に
なったころだと思う。

待ち合わせの店で携帯の着信音が鳴るのだが、それがエンヤの『Book
Of Days』という曲だった。
わたしはけっこうむかしにエンヤにハマっていた時期があり、反射的に笑っ
てしまったのだが、まわりの観客はだれも笑っていなかった。
というのも、この曲は91年発売の『Shepherd Moons』というアルバムの
収録曲で、当然とくにエンヤへの思い入れのない客がほとんどのお笑いラ
イブで彼女が日本でポピュラーになるそうとう前のこの曲に反応があるは
ずはなかったのである。

しかしわたしはそこにおぎやはぎなりのこだわりを垣間見たような気がする。
ほとんど自己主張しない彼らが、「このセンス解れよ」という無言のアピール
を込めて放った選曲のような気がするのだ。

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